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#1483 教授パラダイムから学習パラダイムへのシフト

これまでの教育は、「教授パラダイム」が支配してきた。

教師が主役であり、いかに指導するか、いかに知識を伝達するかに主眼が置かれてきた。

教師が効果的に指導をすることができれば、学級の子どもたちに一定の学力をつけることができると信じられてきた。

しかし、このような「知識の伝達モデル」は現代では通用しない。

私の記事で何回も紹介しているように、知識は子どもの中で個性的に構成される。

教師の指導によって分かる子どももいれば、すでに分かっている子ども、教師の指導でも分からない子どももいる。

このような考え方を「構成主義」と呼ぶ。

この構成主義に則って教育を考えるのであれば、主眼を置くべきなのは「学習者である子ども本人」の方である。

子どもたち一人ひとりが主役なのである。

このように、子どもたち側に生起している「学習」に注目することが重要となる。

これは「学習パラダイム」と呼ばれる。

従来までの「教授パラダイム」から、今は「学習パラダイム」にシフトしているのだ。

そして、授業を参観したり、省察したりするときには、子どもたち一人ひとりに「主体的・対話的で深い学び」が生起していたかどうかをチェックするようにする。

つまり、教師がいかに「アクティブラーニングを実践した」と胸を張っていても、子ども側に「主体的・対話的で深い学び」が実現していないのであれば、その授業は失敗なのである。

教師の言い訳ができない時代となったのだ。

子どもが自律的・主体的に自己調整をしながら、学習を進めることができていたか?

子どもが様々な他者と対話・協働しながら、自分の学びを変容させることができていたか?

子どもが教科等特有の「見方・考え方」を働かせながら、知識同士をつなげたり、概念的知識を得たりするような深い学びを進めることができていたか?

このような「主体的・対話的で深い学び」の視点で、子どもの学びを見取ったり、省察したりすることが重要となるのだ。

逆に、このような学びが子ども側に生起していないのであれば、授業改善をすることが求められる。

子どもが「主体的・対話的で深い学び」を実現するためには、教師による仕掛けが必要だ。

教師が何もアプローチしなければ、「主体的・対話的で深い学び」など生起するはずがない。

「学習パラダイム」においても、教師の役割やするべき仕掛けは重要なのである。

子どもが自律的・主体的に自己調整をしながら、学習を進めるためにできることは何か?

子どもが様々な他者と対話・協働しながら、自分の学びを変容させるためにできることは何か?

子どもが教科等特有の「見方・考え方」を働かせながら、知識同士をつなげたり、概念的知識を得たりするような深い学びを進めるためにできることは何か?

これらを、教師として考え抜くことが必要となる。

これにより、子どもたち一人ひとりに「主体的・対話的で深い学び」が生起し、結果的に「資質・能力」の育成につながっていくのである。

さらに、授業後のリフレクションがいっそう重要となる。

子ども側に「主体的・対話的で深い学び」が実現していたかをチェックする。

実現していなかったのであれば、その原因と改善策を考える。

このような省察・リフレクションが必要なのである。

そして、教師側のリフレクションのためには、子ども側にどのような学びが生起したかを確認する必要がある。

しかし、学びは個人の中で個性的に構成される。

目に見えないものなのだ。

そこで重要となるのが、思考のアウトプットである。

つまり、「振り返り」や「授業で一番重要だと思ったこと」を書かせる活動である。

このような子ども側のアウトプットを見取ることで、どのような学びが生起していたかを評価・確認することができるのだ。

以上、「学習パラダイム」の詳細や、教師のするべきことを整理してきた。

これからも、子ども側に「主体的・対話的で深い学び」が生起していたかをリフレクションしていきたい。

では。

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