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INTERVIEW FILE:菊池 天
「野球をお祭りに」男の名は菊池 天(きくち そら)。岩手県滝沢市出身・1996年3月6日生・背番号4・花巻東高校-産業技術短大・電気設備保守兼内野手・主将。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
高校時代
盛岡北シニアで野球を学んだ男は、祖父からの「本気で野球をやるならば私立に行きなさい」という後押しもあり花巻東高校野球部の門を叩く。菊池雄星投手で一気に全国へその名を馳せた同校。入
INTERVIEW FILE:宮 順之介
「男の居場所」男の名は宮 順之介(みや じゅんのすけ)。岩手県盛岡市出身・1993年6月17日生・背番号7・一関学院高・運転士兼車掌兼外野手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
高校野球が教えてくれたこと
男は2年夏にセカンドで甲子園出場。主力だった。
2年秋にはキャプテンに就任し県準優勝。3年夏は3回戦で敗れるもチームメイトから「最後が宮で良かった」と言われる人格の持ち主だ
INTERVIEW FILE:赤澤 裕介
男の名は、赤澤 裕介(あかざわ ゆうすけ)。岩手県矢巾町出身・1991年7月14日生・背番号8・盛岡第一高ー山形大・駅員兼内野手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
「やりたければ死ぬ気でやれ やりたくなければ今すぐやめろ」これはEELMANの”Simple”という楽曲にある歌詞である。男は人生の節目節目でこの言葉を胸に舵を取ってきたという。
黄金世代の一翼
盛岡第一高校は岩
INTERVIEW FILE:大越 拓人
「それを変えたら僕じゃない」男の名は、大越拓人(おおごし ひろと)。岩手県宮古市出身・1991年8月6日生・宮古高校ー岩手大学・背番号9・運転士兼内野手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
――岩手大学へ
「文武両道が親の教えでした。高校も私立へ行きたかったのですが宮古高校へ進学しました。野球をやりたくて大学へ進学しましたがその際にも文武両道を重んじて選びました」と語るが、1年
INTERVIEW FILE:村上 直人
「良い運命もありました」男の名は、村上直人(むらかみ なおと)。岩手県陸前高田市出身・1995年9月29日生・高田高校ー富士大学・背番号13・車掌兼投手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
――学生時代
男が「野球人生で一番動いた瞬間」と語るのは高校時代のこと。高校から投手専念となった男は当時スリークォーター気味で投げていたという。しかしスピードが出ず悩んでいると当時の監督から
INTERVIEW FILE:中澤 優也
「1回のチャンスを1回で」男の名は中澤 優也(なかざわ ゆうや)。岩手県矢巾町出身・1997年8月27日生・背番号5・駅員兼外野手・盛岡第四ー東北福祉大。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。(閲覧注意:手術痕写真掲載)
男の社会人デビューシーズンは鮮烈だった。公式戦で先頭打者本塁打2発・打率.380・出塁率.480をマークするなど新人ながら打撃陣を牽引した。それだけでなく抜群の走塁
INTERVIEW FILE:田上 諒
「知ること・やること・流されないこと」男の名は田上 諒(たがみ りょう)。岩手県盛岡市出身・1989年12月21日生・盛岡大附高ー盛岡大・背番号11・運転士兼投手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
――大学時代
当時、盛岡大学は北東北リーグの2部に所属していた。2学年になると男はリーグ戦で先発投手を任されるようになった。「1学年時は制球難で貢献できませんでしたが、2学年では上
INTERVIEW FILE:三森 寛人
「妥協せず頑張るからこそ」男の名は三森 寛人(みつもり ひろと)。神奈川県藤沢市出身・1995年6月1日生・藤沢翔陵高ー富士大学・背番号0・車掌兼捕手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
――昨年を振り返って
「あの試合を勝ったことはこれっぽっちも嬉しくない」今シーズンの初ミーティングで男は言い放った。「あの試合」とはシーズン最終戦で勝利し優勝を決めた試合のことだ。男は出場機会
INTERVIEW FILE:日向端 将
「できる理由を探そう」男の名は日向端 将(ひなはた しょう)。宮城県仙台市出身・1988年5月16日生・背番号12番。運転士兼内野手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。
――高校時代
男は中学時代を青森県八戸市で過ごした。県内複数の高校から誘いを受けるなか男が選んだのは光星学院(現・八戸学院光星)だった。試合に出られるのかといった不安もあるなか最も重視したのは「甲子園に出場する