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INTERVIEW FILE:赤澤 裕介


男の名は、赤澤 裕介(あかざわ ゆうすけ)。岩手県矢巾町出身・1991年7月14日生・背番号8・盛岡第一高ー山形大・駅員兼内野手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。

「やりたければ死ぬ気でやれ やりたくなければ今すぐやめろ」これはEELMANの”Simple”という楽曲にある歌詞である。男は人生の節目節目でこの言葉を胸に舵を取ってきたという。

黄金世代の一翼

盛岡第一高校は岩手県随一の進学校。「父が一高出身で、ちょうど自分が入学する時に父の恩師・杉田監督が再就任するということで入学を決意しました」と志望動機を語る。

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杉田監督の就任により「杉田監督を甲子園へ連れて行こう」という機運が一気に高まり、内野・外野・バッテリー・走塁といった各コーチにかつての教え子たちが就任した。公立高校でここまでスタッフが揃うのは現在でも少なかろう。

「入学のためなら一生ぶん勉強してやる覚悟でした」と合格を勝ち取った男が「指導者の重要性を感じた」と語るのは、伊藤貴樹部長(秋田高-早稲田大/大学日本代表)の存在だ。「自分たちの入学と同時に赴任されました。大学時代は鳥谷選手や青木選手らのなかにあって5番レフトという経歴の持ち主でした。的確な打撃指導のおかげでホームランを打てるようにまでなりました。外野手陣も見違えるような成長をしていました」と自身とチームの成長曲線を上方修正させた恩師だと語る。

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男は1年秋に早くも4番打者を任された。その後も着々と地力を蓄え、2年夏にはベスト4。「レギュラーの7人が2年生だったので来年はもっとイケるかもと思った」と語る。

3年春県大会。伊保内高校戦では後にNPB入りする風張蓮投手(横浜DeNA)から本塁打を放つ。「奇跡でしたよ」と謙遜するも、延長15回サヨナラホームラン&再試合阻止というオマケつきの貴重な一発だった。

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3年夏。1回戦でまたしても風張蓮投手と対峙し勝利。男の打撃はさらに熱を高めた。続く2回戦・花北青雲戦では一試合2本塁打(動画)を放つ。周囲からは「野球も勉強も100点といじられてましたね」と語るが、進学校が野球も強いとなれば当然注目の的となり愛あるイジリも含めて応援されるのは無理もなかった。

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準決勝では伊東昂大投手(元・広島)率いる盛岡大附高に勝利し、いよいよ甲子園を賭けた決勝の舞台に駒を進めた。

ここで一旦整理すると、今でこそ大谷投手や佐々木朗希投手が有名だが、岩手県の黄金世代といえばこの菊池雄星投手を筆頭としたこの世代だという呼び声が高い。菊池雄星投手(マリナーズ)、風張蓮投手(横浜DeNA)、伊藤昂大投手(元広島)、下沖勇樹投手(元ソフトバンク)、のちにNPB投手となる4人に中学や高校といった成長する年代で揉まれたことによりこの世代は底上げが図られたのではないだろうか。

花巻東との決勝戦が始まった。「2年秋は雄星相手に3打数2安打でしたが、いざ打席に入ってみるとその時とは別人のようなレベルに達していました」と語るもチームは試合を優位に進め、6回終了時点で1-0とリードしたまま終盤戦に突入した。これが逆転の花巻東なのか。7回裏・エラーふたつが絡み2失点で逆転を許した。9回表・二死無塁という万事休すの場面で監督が選手が全幅の信頼を寄せるこの男に打席がまわった。

「風張投手から打ったサヨナラホームランのイメージを残像として打席に向かいました」と奇跡を信じつつも「この試合、自分の打席では2球ほどしか打てそうな球がありませんでした。この場面、初球はストライクを取りに来るだろう。その初球を狙おうと考えていました」と冷静に脳内を整理し、超高校級投手に対峙した。

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■当時の動画↓↓↓

https://www.youtube.com/watch?v=UPf9iD3uCFw

初球、124km/hのスライダーが外角一杯に決まる。「初球はボールでも振ってやろうと思っていましたが、スライダーのキレが良すぎて手が出ませんでした」とその凄さを語る。「カウント2-1。2ストライクに追い込んだ雄星がサインに首を3回振ったんですよね。ここはもう真っすぐだろう。そう思いました」と振り返る。結果はボール気味に沈むスライダーを打たされてピッチャーゴロ。人生を賭けた高校野球に幕を閉じた。

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「当時はMLBからも注目されるような投手がなぜ最後にスライダーを投げるんだとは疑問でしたが、後々『抑えるためならプライドはいらないことを選抜甲子園で学んだ』という雄星の記事を知り、もっと早くに知ってれば――」と冗談交じりに悔しさを語った。

大学野球改革

男は山形大学に進学し、社交ダンス部に入部した。

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<上段真ん中>

「燃え尽きてました。漠然と大学野球は辛い練習も多いだろうと考えていて、好きだから野球やっているのになんのためにつまんない練習しているんだろうと思う性格なので高校で野球は終わりにするつもりでした」とルンバやワルツを踊る日々だったことを明かす。

そんな矢先に観戦した試合で、同郷岩手出身の柏崎良平投手(久慈高校)が奮闘している姿に「山形大学野球部のことは知りませんでした。そこで見た試合が興味をそそる試合をしていました。特に柏崎先輩の力投は印象的で、この人と一緒なら野球がおもしろくなるかもしれない」と野球熱再燃のきっかけを語った。

それからは、日中に野球・夜20時から社交ダンスというミラクルな生活を送った。1年夏のダンス大会でまずまずの結果を残しつつも社交ダンス界から身を引き、野球に専念することとした。

「当時は監督が実質不在の状態で、練習内容に不満やぶつかり合いが多かったです。そんな折、先輩らが続々退部していき2年冬にはキャプテンに就任しました」とこれまたミラクルの渦中に身を置いた。

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「キャプテン=監督という立場で、それまでは出場選手も決めていました。失敗する例を見てきたこともあり、過去の経験を押し付けるようなことは辞めようと。色んな意見を聞いたうえでチームに何が必要かを考えるべきだと思っていました」と語り、出場選手決定のプロセスをそれまでの主将一任制から選手らによる総選挙制に変更したそうだ。「大学野球の数々の経験で野球観が磨かれました」とも語った。

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<最前列赤リストバンド>

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<最右>       

JR東日本盛岡支社入社

ここでも男は野球部に入らず、社業専念の道を歩む。

「入部しなかった理由はふたつありました。高校で辞めるつもりが大学もやったことでお腹いっぱいでした。もうひとつは大学時代に社会人野球の手伝いに行くと、きらやか銀行が強すぎて大量点差に辛い気持ちになって見ていたことがありました。調べるとJR盛岡も当時は企業チーム相手に大量失点で敗戦していたこともあり、そういう気持ちで野球をやるのは僕には耐えられないから無理だな」という事の顛末を語ってくれた。

男は野球を嫌いになったのではない。背を向けたわけでもない。その証拠にまたしても野球観戦に訪れる。「都市対抗野球を見て不思議な気持ちになりました。故障を抱えながらプレーしている選手もいましたが、上手い選手も多くて、これはちゃんとやればいけるんじゃないか」とJR盛岡の第一印象を語る。寮ではプライベートがないと愚痴る先輩たちが、それでも早朝や遠征前には楽しそうに玄関前に集まっている姿をみて、男はすでに気になって仕方がない心境だったという。「1年目の冬に同期の大越から『野球部強くしたいから入ってくれないか』と誘われ即答しました」と、誘われるのを心待ちにしていた可愛い一面も教えてくれた。

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始めるに遅いといったことはない。そのかわり始めたのならばフルアクセルで突き進む。それは男の好きな言葉「やりたければ死ぬ気でやれ」とニアイコールで引き合っているように思える。

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男は高校野球の指導に携わりたいと語る。「人生で必ずやりたいことのひとつです」と言うので、来年でも?と聞くと「来年でもそうしますね。夢ですし、やりたいことを優先するのが自分の生きる軸なので」と、そのためならば選手生活に未練はないとも断言した。

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その第一歩ではないが、この冬から男はチームの打撃メニュー考案を一任されている。「まずは首脳陣が考える理想の打撃を聞き出しました。そのオーダーに応えるべく練習メニューを考えました。それぞれに良さはありますから、その個性を潰さないようには気をつけて目を配るようにしていますし、ベテラン選手陣にも同様の意識で見てもらえるように話しています」と考案・遂行の注意点を語る。さらに「今の練習はデキるデキないではなく基本的な共通事項です。その趣旨や本質を理解してもらえるように会話やチーム内ネットワークを使っています」と相互確認の重要性も語った。

ココをみてくれ

「チャンスでの打撃を見て欲しいです。燃えますから。あの場面で燃えなきゃ男じゃないですよ。チャンスで打席が回ってくると自信とパワーが漲ります。根拠はないんですけどね(笑)」

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「打った後のベンチが喜ぶ姿を想像するだけでその打席が楽しくて仕方ないです。チームを勝利へ導く一打にぜひ期待していてください!」

オススメの選手

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宮 順之介です。おそらく彼の野球人生で昨年ほど出場機会が減ったことはなかったはずです。今年は外野へコンバートするとのことですが、監督からは内野兼任も打診されたところを自身の判断で外野一本と決めた『覚悟』を応援しています。一方で既存の外野手には危機感を持って欲しいですね。昨年限りで主将を含む2名の外野手が引退したことでチャンスですが、そこに宮がコンバートされている意味を考えると――」と、宮選手のブレイクに期待しつつ、チームのために叱咤激励も忘れなかった。



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赤澤裕介という男、いかがだったでしょうか。過去・現在・未来を紐解くとそこには自分に正直に生きつつも、野球の魔力が人格を育てていることに気づきました。信念に生きる男の一挙手一投足にぜひご注目ください。

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