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INTERVIEW FILE:日向端 将

「できる理由を探そう」

男の名は日向端 将(ひなはた しょう)。宮城県仙台市出身・1988年5月16日生・背番号12番。運転士兼内野手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。

――高校時代

男は中学時代を青森県八戸市で過ごした。県内複数の高校から誘いを受けるなか男が選んだのは光星学院(現・八戸学院光星)だった。試合に出られるのかといった不安もあるなか最も重視したのは「甲子園に出場するならば」の一点。3つ年上の兄(日向端悠太・現JR盛岡硬式野球部コーチ)が甲子園で活躍する姿を見て心は決まった。同期には坂本勇人選手(現・巨人)を筆頭に県外の有望選手たちが集った。当時の金沢監督も手応えを感じており三ヶ年計画でこの世代を徹底的に鍛え上げると言っていた、と語る。

当初は不安に押しつぶされそうになっていたが、基礎体力は負けておらず不安は存外早くに消えていったという。しかし、いざ野球が始まると関西出身選手の動きに脱帽したという。一言でいえば「野球の質が違った」という。走塁にしろ挟殺プレーにしろ、クチもうまいし狡賢かった。野球脳が鍛えられている状態とそうでない状態でのスタートには少々面食らった。

そのようななかでも男は徐々に出場の機会を掴み、信頼を積み重ねていった。そうして3年春センバツ甲子園の舞台に三塁手で出場を果たす。相手はダース・ローマシュ匠投手(元・日本ハム)や上田剛史選手(元・ヤクルト)らを擁する関西高校。「あまり思い出したくはないですね。戦犯でしたから。僕のエラーで負けて返ってきた。申し訳ないといっても取り返しがつかないので」いつも明るく振る舞う男の顔が少し曇る。しかしすぐに気を取り直して「今もこの歳まで野球を続けているのはそれが引き金だったと思います」と語った。

<左:坂本勇人選手 / 右:日向端将>

坂本勇人選手と三遊間を組んだ男。間近で見た人間にどう見えてきたのかは気になるところ。「正直最初はそこまで凄いとは(笑)…いや、確かに凄いんですけどやはりチームメイトの感が抜けなくてどうしてもそこまで崇めるようには見れませんでしたね。でも最近段々凄さを感じてきました。理論を持っていながら、吸収力が凄いじゃないですか。普通自分に強い信念があれば突き進みそうなものですけど、それでもあくなき探求心で色んなことを吸収しようとする姿勢。それは凄いことだと思います。人に教えを乞う姿勢っていうんですかね。あのレベルの選手がそうやっているんだから俺なんてもっとやらないと、と思わせられました。それからは自分も年下選手によく技術を聞くようになったりしましたね」

「凄いなと思うのは当時の監督(金沢成奉/現・明秀日立監督)ですよ。最近はSNSとかで色んな練習方法が発信されていて、目新しかったり注目されている練習があるじゃないですか。それらを見て『あっ、これ高校時代やってたまんまだ』とか思って当時の練習の意味を今知ったりしていますから(笑)」「恩師...というよりは親父って感じですかね。25歳ぐらいで再会する機会があって、さっさと現役辞めて指導者になれ!と言われた事があったんですけど、『絶対に辞めねぇ』と強く思いましたね」

――卒業後はJR東日本盛岡支社に入社

「入社時は土日だけの練習で、新人でしたが『もっと練習すべきだ』と進言しました。言葉遣いが悪かったのか兄からはもっと言い方ってものがあるだろと怒られました(笑)チームはあまり勝ててはいませんでしたが個々人の能力は悪くなかったんですよ」

「僕自身は人員不足で経験の薄い捕手を任されたんですけど肩に異常を感じて検査すると肩関節唇損傷と診断されました。22歳のときに手術。執刀医には70歳ぐらいの状態でしたと術後に言われましたね」そこから男の肩はなかなか完調することなく苦悩の日々が続いた。

手術=治るという認識があったんですよね。まずはそれが間違いでした。加えてやはり人員のなさからリハビリがままならずに復帰を余儀なくされ、かつ周囲の期待に応えたいという思いもあったので…誰が悪いということもないのですが野球をやっていて投げれないというのは辛い思いしかありませんでした」高校時代に遠投100mを軽々投じていた強肩は今もなお鳴りを潜めているが、そこに一筋の光が差して来たのはつい最近だった。

――昨年を振り返って

なにもしていない

そう言うと男は少し考え込んだ。

チームとしては内容ある試合が多かった2020年シーズン。若手の台頭にベテランの踏ん張りがあり、チームとして日に日に成長していることが感じられた。最後には負け続けていたトヨタ自動車東日本様に勝利することができた。一方で活躍の場がなかった、自分はどれほどチームに貢献できたのだろうかという自己評価を抱いた。出場機会がなくとも俯瞰した視点から的確な言葉を発するなど精神的支柱となるのも男の役割でもあった。「トヨタ自動車東日本戦の勝利時、嬉しくないわけではなかったが、歓喜の輪にどう溶け込むべきか戸惑いはあった」という。当然にその思いは複雑だったはずだ。「複雑だがこの気持ちを押し殺してもいいわけではないと思いましたね」と心情を吐露する。

「痛めていた肩が治りつつある。手術直後は患部ばかり気にしていたけど最近は胸や背中を中心に全体をケアする重要性に気づきました。カラダの仕組みを考え始めたことから、全部がつながっているんだなと。そういったことを考え意識しながら初動負荷トレーニングも導入したことが復調の兆しにつながっていると思います。やっぱり投げれると楽しいですね」

――仕事と野球の両立

JR盛岡硬式野球部は仕事第一。野球がそれを上回ることは絶対になく、さらに家庭や家族が優先されることもある。野球の優先度は決して高くないが、そのなかでも目指すのは東京ドームであり、強豪社会人チームの撃破である。そのような状況で新幹線運転士と野球選手という人格をどのように両立させているのか聞いてみた。

「入社時は盛岡勤務でしたから練習もしやすかった(練習グランドは盛岡)。ただそこから車掌や在来線運転士を経験するにあたり八戸市や青森市が勤務地となりそこに住みながら練習へ通うこととなり『家族も大事だけどもっと野球やりましょうよ』と新人時代に発言したことの重みを今改めて実感することになりました。当時24歳、青森市から通うのは私だけで苦しい部分はたくさんありました。でも今後盛岡以外の勤務になった選手が辞めてしまう、という流れは作りたくなかったので辞めませんでした。もうそこは野球に対する情熱が根源で、妻にも子どもにも負担を強いてしまったが理解してくれたことに感謝していますね」

「できない理由はいっぱいありますが、できる理由を探そうと。仕事第一ではありますが、企業がバックアップしてくれて硬式野球を出来る環境は多くはないはずで、恵まれている環境なんですよね。なにより野球部は居心地がいいんですよ。仕事のストレスやプライベートのなんやかんやを発散出来たり、リフレッシュできる仲間がいるというのは貴重な存在です」

仕事と野球を両立する際に仕事は仕事・野球は野球と割り切ってしまってはもったいない、と男は言う。「例えば車掌としてお客さまを見ていると、なにをして欲しいか考えるじゃないですか。逆に、なにをして欲しくないという考えもできます。洞察力を鍛えるというか。もちろん仕事は仕事で集中するんですけどそういう機会はたくさんありますよね。ヒントなんてスポーツだけじゃなくてもいっぱい落ちていますから」

――技術や感覚の変化はあったのか

「打撃はチカラじゃないというのがようやく気づきはじめましたかね。振れば振るほど振れなくなる。手じゃない。手はついてくるもの。バットに振られる感覚でやっている。」バットに振られるのはダメではないのか。「バットの重さを使って振ります。ヘッドの重さを利用するんです。ヘッドを操作しようとするからダメ。腕で振るとバットが堅いものになってしまう。でもボールがくると振っちゃいますけどね(笑)」

――エピローグは見えているのか

本当は昨年で辞めるつもりでした。研修等でなかなか満足に練習参加ができない年が続いていましたが、昨年はある程度練習が出来ていながら戦力になれなかったので」強豪企業とは違いこのチームは選手の数でカバーしなければならないシーンも多いのでは。「選手は戦力になってなんぼというのが持論にあって、ポジションの3番手にも入れないことを実感し、自分に居場所はないなと」それでも続行したのはなぜ。「表立つものは肩の復調なんですけど、それだけではなく総合的にようやく野球が楽しくなってきたのがひとつ。あとは家族の存在ですかね。妻が息子娘を引き連れて球場や練習後のグラウンドに足を運んだりと応援してくれている。その応援に応えたいですから」

「やろうと思えばいつまでもやれちゃうのがこのチームの良さでもあります。ただ個人的にはそれに甘えてしまってはいけないと思います。今年で辞めるのか、来年も続けるのか、正直今は分かりませんが、ここからの毎日は悔い無いように過ごす。それだけです」

――俺のココをみてくれ

走力は伸びシロしかありません。全然カラダが使えていないことが判明しましたから。まだまだいけますよ。それとホームランは打ちたいですね。打ったら引退します(笑)打順は一番がいいし、塁に出たらかき回したいし、やりたいことはいっぱいありますね。それに見合った実力をつけたいです」

「あとはやっぱり家族ですね。うちの家族ほど野球部に関わっているところはないんじゃないですかね。選手が子供らと遊んでくれるのを妻も感謝していますし。球場に来ている家族も見て欲しいですね」

――最後にチームでオススメの選手を教えてください

長鈴投手ですね。ポジションが違えど満足に投げることが出来なくなった先輩として感情移入しますし、ここで居なくなられたら困りますから。今は陰に隠れた存在ですが、ポテンシャルは素晴らしい。みなさん期待してあげてください!」


日向端将という男、いかがだったでしょうか。過去、現在、未来を紐解くとそこにはたくさんの苦悩と葛藤があり、そこで培った魂が確実に育っていることが明らかとなりました。家族愛に満ちた男の一挙手一投足にぜひご注目ください。

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