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INTERVIEW FILE:大越 拓人

「それを変えたら僕じゃない」

男の名は、大越拓人(おおごし ひろと)。岩手県宮古市出身・1991年8月6日生・宮古高校ー岩手大学・背番号9・運転士兼内野手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。

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――岩手大学へ

文武両道が親の教えでした。高校も私立へ行きたかったのですが宮古高校へ進学しました。野球をやりたくて大学へ進学しましたがその際にも文武両道を重んじて選びました」と語るが、1年冬には監督不在のチーム運営を余儀なくされる事態に陥った。「ひとえにめちゃくちゃ楽しかったですね。自分たちで考えるという喜びに気づきました。それに岩大野球部の熱量が嬉しかったです。それまであまり熱量をぶつけあう相手がチームにいなかったので尚更でした」と危機的状況を選手全員でプラスへ推し進めたと語る。議論が白熱するシーンはしばしばあったようで、もどかしさがゆえに目から熱量が零れだす場面もあったようだ。

「ある程度の自信を持って大学野球に進んだのですが、すぐにその自信はへし折られました。当時は富士大学の中村投手(広島)、八戸大学の塩見投手(楽天)・秋山選手(レッズ)らがいましたが、もうレベルが違いすぎて――」と当時の自分を井の中の蛙だったと懐かしむ。

岩手大学の全体練習は6~8時、それ以外の空き時間で自主練習が基本。「自主練習では先輩にはいつも呼ばれて教えてもらっていました。転がしたボールを拾うだけなのですが、ここで基礎を叩き込まれた気がします。高校までは野生の勘で打球と向き合っていたので」と上達のきっかけを語る。

打撃面についてはこう語る。「当時のチーム方針で強い相手にチカラで当たっても歯が立たない。ならば球数を放らせるカットや堅実に進塁させるバントを強化しよう。あくまで打てないときのリスクヘッジとしてですが練習の比重は増えていきました」

「自分はとくに華奢でパワー型ではなかったので、どういう役割をしていけば自分が生きていけるかを探していました。嫌な選手になることを念頭に考えていました」と今のスタイルが確立されるきっかけを語った。

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男は最上級生になった。依然として監督は不在。そこを率いたのは主将・川村悠馬選手(花巻東/菊地雄星と同期)だった。「彼がいなかったらまとまらなかったでしょうね。技術ももちろんですが存在感がチームの精神的支柱でした」という。3年冬、これでは勝てない・やはり打たないと勝てないという意識が高まり打撃練習の比重がかなり増えたという。自身もそれまでの粘り優位の打撃に、しっかり振ってコンタクトしていく技術を磨いたという。

努力は結果としてすぐに現れた。4年春のリーグ戦。男は富士大学・多和田真三郎投手(西武)から逆方向に本塁打を放った。しかし男はそれよりも嬉しかったことがあるという。「ホームランは事故みたいなものですからね(笑)強風吹き荒れる中でポール際に運んだ程度でしたから。それよりもその次の打席でスクイズを決めたんです。そっちの方が嬉しかったですよ。やってきたことが出せたというか、自分の役割を果たせた気がしましたから」と語る。この試合、岩手大学は8-0で富士大学にコールド勝ちを納めた。

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男は4年秋リーグ戦でベストナインを獲得し大学野球を引退した。「野球人生を振り返ってみて初めて壁にぶちあたりました。やっぱりそれまでは井の中の蛙というか調子に乗っていたんでしょうね。それでもその経験があったから守備にしろ打撃にしろ今のスタイルが確立できた貴重な時間でした」と顧みた。

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――JR東日本盛岡支社入社

「ここでも文武両道を意識して、その概念があるのはJR盛岡野球部だなと感じて決心しました。内情は知りませんでしたが、会社を背負いながら野球ができるのは誇らしいじゃないですか」

「練習量に関してはシステム的にも大学時代と大差ありませんでした。ただ、当時は勝てるチームの空気感ではありませんでした。ヒット何本出たとかよりも喰らいついていく雰囲気を持つように、自分が率先してやるようにしていました。それがなんとか周囲に伝染してくれと思ってプレーしていました」と語るように、今でも観戦に訪れた友人や岩手大学OBからは「岩大っぽい野球してるね」と言われるそうだ。それを誇らしいとも男は語った。

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――昨年を振り返って

「嬉しいことがふたつありました。ひとつは寺田さん・田上さんの努力が実って良かった。僕より年上の選手が頑張ってくれたこと。もうひとつは頼もしい後輩が出てきてくれたこと。頼もしいなかで野球が出来ている嬉しさがありました」

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「都市対抗二次予選は研修の合間を縫っての試合出場だったのですが、研修所では野球ができないのでカサやタオルを振って感覚だけでも調整していたのは思い出ですね。この状況でいかに結果を残すかも楽しかったですし、前は色々とプレッシャーでしたが今はそれらをひっくるめて醍醐味と考えられています」

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――技術面

「山口将司臨時コーチ(元JR東日本)の指導で劇的に変化しました。ハンドリング主体だったものに足のリズムを加えたことで反応や打球へのリアクションが良くなりました。打撃に関してはずっと変え続けていますし、それが正解だと思っていますね」

――ここをみてくれ

「ヒーローになれる感じでもないですし、ド派手にやることはないので堅実なプレーを見て欲しいですね。声もとにかく出すし、全力疾走もやります。30歳を迎えますがそれを変えたら僕じゃないので」

――座右の銘

「いかなる状況であれその状況下で前向きにやれることをやる」それが俺の信念 by本田圭佑

――オススメの選手

「試合では裏方に回ってチームを成立させている伊藤司投手。利他的な姿に尊敬します。あとは菊池大智捕手。今年は大卒社会人と同年代で大事な1年になるはずです。ポテンシャルはあるのであとはひとつ乗り越えるかどうか。なんとか結果が出て欲しいと祈る思いです」と、本音は全員ですと言いながらこのふたりを挙げた。


大越拓人という男、いかがだったでしょうか。過去・現在・未来を紐解くとそこには過信がゆえに壁を見つけ、等身大の自分を育てていることが分かりました。玄人好みなプレーを魅せる男の一挙手一投足にぜひご注目ください。



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