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#森山大道 の東京ongoing

こんにちは☺︎
ピラティスインストラクターの寺田マリです☺︎☺︎

今日は仕事が早めに終わったので東京都写真美術館へぶらり。

【森山大道の東京 ongoing】

彼が写真家として活動を始めたのは、東京オリンピックの開催された1964年。

それから55年を経た現在も活動し続けている彼が、一瞬一瞬進化し続ける東京の街を切り取った写真展。

展示されていた中でも『記録』のシリーズは、仕事としてではなく、自分自身のために撮っているものと知って、私にとっての"毎日note"と同じ位置付けなんだと、ちょっとワクワク。

彼が日記的に、ライフワークとして切り取り続けた東京は、なんだかとても刺激的に写りました。

私の個人的な想いなんだけど、東京って不思議な街だなって、ずっと考えていて。

私が思う東京を上手く描いてくれたのがソフィア・コッポラ監督の【Lost in Translation】だったなぁって思っているんだけど、彼女が作品の中で描いてくれたのが"スタイリッシュでありながら滑稽"な東京の側面だとしたら、森山大道の切り取る東京の姿は"いろんな意味で生々しい"という側面だと思う。

おそらく写っていたのは新宿や池袋。

繁華街のごちゃごちゃした雰囲気や、そこに漂う匂い、人のスピード感とか、そんなものがとてもリアルに感じられた。

"いろんな意味で生々しい"というのは、"東京の持つ汚い部分"がたくさん切り取られていたから。

私にとっては新宿って"東京の始まり"っていうイメージもあるし、街として、とても興味深い場所だと思うんだけど、森山大道の切り取る新宿はあまり馴染みのない部分。

以前、新宿から新大久保の辺りまで街歩きをした時、初めて歌舞伎町エリアを歩いた。

至る所にゴミが落ちてて、ゴミ捨て場でゴミを漁るカラスがいっぱいいて、お世辞にも綺麗とは言えない街の様子に、真っ昼間にも関わらず恐怖を感じた。

逆に夜で暗かったらよく見えない部分まで、明るい昼間には露わになったような、そんな感覚。

"わたし、ここには居られないなぁ。空気が合わない。"…そう思って足早に目的地を目指したのだけど、今日見た写真に写っているものの多くはそんな東京の側面だった。

ソフィアが描くのも、森山大道が切り取るのも、どちらも同じ東京。

ここで生きるということは、そのどちらの側面も受け入れていくっていうことなのかな。

20代の頃は都市のアバンギャルドな側面てすごく興味があって、汚い部分にも目を向けないと本質なんて見えてこないんだと思っていたけれど。

いまはあの頃よりもっと大人になったのか、そんな類の刺激はもうあまり欲していない。

私は美しいものを見ていたいし、美しいものを生み出したい。

そんな想いの再確認が取れた良い機会となりました☺︎

今月いっぱいで終わってしまう気になる展示がまだいくつかあるので、時間を見つけて出来る限り見に行こうと思います!

今日もお読みいただきありがとうございました☺︎☺︎




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