争うべき相手は、他者ではなく自らの心の中に在る【シンプルな世界平和の実現】
こんな社会だったらいいのにな。
私の考える理想の世の中と、現実の世の中とのギャップはあまりにも大きすぎる。
なんだか。こう、もっとシンプルに。みんなが幸せに生きられる社会だったらいいのになって。
ただ、みんな幸せになりたいだけなのに。日々、争いは絶えないし。
兄弟喧嘩から家族喧嘩、会社での揉め事、国同士の争いまで。
どうして、人は自分を幸せにするために、誰かと争わなければいけないのか。
ただ、自分が好きなことやりたいだけなのに。周囲から色んな視線が飛んでくる。まるで、常に自分がヘビに絡まれているように。いつ噛まれるかもわからない。そうやって、あまりそれを刺激しないように、恐る恐る毎日を生きている。
あれ、結局自分は"誰の人生を送っていたんだっけ"
そんなことすらも、もはやどうでもよくなってくる。それが現実なんだ。
希望なんてもうあるわけがない。こんな世の中から消えてしまえれば、どれだけ楽だろうか。でも、自殺する勇気なんてあるわけない。でも、じゃあ、どうすればいいって言うんだ。誰か、何とかしてくれよ。
と、これがかつての私自身がこの世の中に対して失望していた時に、毎日考えていたことです。
私自身、小中学生のとき、色々な事情や怪我なども重なり、合計で3年間ほど学校に通えていない時期がありました。そして、日々のストレスも溜まり、幼い内にして人生に失望し、自分に失望し、何度もこの世の中から消えてしまいたいと思っていた時期がありました。
決して学校に友達がいなかったわけでもなく、運動ができなかったわけでもなく、勉強が苦手だったわけでも、いじめられていたわけでもありませんでした。
しかし、あるひょんな事と怪我をきっかけに、学校へ通えなくなりました。
その怪我が治ってからでも、あまり学校には通いたいとは思いませんでした。そんな中で多くの友達がお見舞いや心配をしに来てくれたこともあったけれど。何だか、幼かったなりにも、自分のかっこ悪い姿を見せているようで、むしろあまり会いに来て欲しくはありませんでした。
そうこうしている中で、友達と呼べるような子が一人もいなくなりました。こんなにも簡単に友達って居なくなるもんなんだって。これまで積み上げてきたものが、一瞬にして崩壊しました。あまりにも簡単に無くなるもんだから、驚きましたよね。
そのようにして、社会の私の居場所はどんどん無くなっていきました。そして、自分はもう幸せにはなれないんだろうなって、考えるようになりました。自分がまともな大人になって社会で生活している姿が、全く想像すらできませんでした。子どもながらに、どうやったら楽になれるだろうか、もう自殺するしかないのではないか、といったことばかり考えていました。
結局、とある出会いを通じて、海外の学校へ転入することになり、そこで大きく人生が変化することになりました。
果たして、自分が異常だったのだろうか。ただ幸せになりたかっただけなのに。
私は、このような学生時代を過ごしてきました。
おそらく、今の世の中にそのような疑問を抱いて生きている人、沢山いるのではないでしょうか。
若いうちは、辛いことをたくさん経験して、我慢してこそ、将来幸せになれるんだよ、なんて本当なのか?
できることなら、誰も辛い思いはしたくないし、我慢だってしたくないでしょう。
でも、現実は甘くない、なんてそんな簡単に片付けてしまってもいいのか。
みんな、現実って言葉に甘えているだけなのではないか。
そんな現実なんて、ぶち壊してしまえばいい。でも、どうやって。
もっと、みんなが幸せになれるような、シンプルな社会の仕組みってないかな。
新しい法律を作る?? いや、なんか違う。
新しい学校を作る?? んー、なんだかなぁ。
もっと、シンプルで、全員ができること。
人を愛する、それだけで十分なのではないだろうか。
法律だって、この一言で全て収まるような気がする。
なぜ、この世から争いや犯罪がなくならないのか。
みんな、幸せになりたい、誰かに愛されたいだけなんだ。
犯罪を犯してしまう人だって、もっと色んな人からのあふれんばかりの愛を受けていたら、もっと違う結果になったのではないか。
赤ちゃんの時から、包丁を振り回して人を殺そうとする人間なんていない。
じゃあ、何が人をそうさせるのか。
それはきっと、愛の渇望なんだ。
人は本能的に、生活の中で愛を求めるように作られている。その愛を感じられない期間が続けば、続くほど、その分を悪で愛の器を満たしていく。
悪事を働けば、一時的にはその器が満たされるように感じてしまう。でも、すぐにまた器が空になって、悪事を働くようになる。
このような負の連鎖が、人々を悪人へと仕立てていく。
私たち、全員同じ人間じゃないか。なんで、人間同士争う必要があるのだろうか。
私たちが争うべき相手は、紛れもなく心の中に潜む悪であり、人ではない。
誰にだって良心はありますよね。別に、誰かから習ったわけではないけれど、常識として分かること。人を殺してはいけない、それも良心に基づく常識。
じゃあ、その良心は、なんのために在るのか。
自分の心の中の善悪を、しっかりと判断するための、基準となるものだから。
それを、全員が大切にして生きなければいけない。
でも、この世の中を見ていると、そのような良心が心の奥深くに埋まってしまって、取り出せなくなってしまっている人が多くいる。
そのような良心をどのようにして、呼び覚ますか。
その方法はただ1つ。
愛を受け、自らの愛の器を満たすこと。
みなさんは、周囲の人に愛を持って接していますか。
愛のない発言や態度ばかりをとってしまってはいませんか。
あなたの今行なっていることは本当に、誰かを傷つけていませんか。
結局自分の心の中の悪に振り回されて、一時的な幸せに気をとられて、混沌とした世の中の構成員の一人として生きていませんか。
ふとこの現実を、そのような愛の観点から見つめてみると、この社会が混沌とし続けている原因も見えてきます。
どうか、周囲の憎い人こそ愛して、与えてあげてください。
そうすれば憎くなくなります。
世の中の負の連鎖を断つには、誰かが、そのようにアクションを起こす必要があります。
ちょっと気に触るような発言をされたならば、言い返すのではなく、一言心配してあげる。その1つ、簡単な行為ができる人が増えるだけで、この世界は平和になるんです。
本当です。そのように愛を持って行動できる人が増えれば増えるほど世界はだんだんと平和になっていきますし、何よりも世界平和がただの夢物語ではなくなります。
そんなこと、起こるわけない、綺麗事だと考えている人が、いまだにいるのであれば。まず、自分の生活を、行動を見つめ直してみてください。
あなたの取る行動の1つ1つこそが、この悪が蔓延る世の中を成長させています。
結局、それで誰が困るのか。
そう、それは人間であり、私であり、あなた自身です。
今こそ、人々の冷え切った愛に、心に灯火を与えるべきことなのではないでしょうか。
今の時代、考えられることは、全て行動に移せる時代です。
まずは、あなたの周囲の人に愛を持って接する意識づけを。
試しに行なってみてください。絶対に日々の生活が変わります。
これは保証します。あとは実際にやるだけです。
このような記事を通して、一人でも多くの人が愛することの大切さを確信し、実践し、確認する。そのようにして、日本中の、世界中の人々の生活がより豊かなものへと変化することをただ願います。
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