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相手の喜ぶことをしたい=相手の嫌がることをしないという考え方【大阪 上本町"米Lab 百福" 代表 浜田修司さんの半生 後編】

奥行太郎、生まれて初めてのインタビューは17年来の付き合いとなる浜田修司さん。私が学生時代にアルバイトしていた飲食店の店長とバイトという関係性から、、、おっと。導入部分が【前編】と全く一緒になってしまっている。

是非"浜田修司さんの人生【後編】"に入る前に【前編】で復習を。

【前編】では浜田さんの幼少期のこと、今の仕事につながるきっかけとなった大学時代のアルバイトの話、新卒で入社し17年間勤め上げられた"がんごフードサービス"の話。大きく分けてこの3つをインタビューさせていただいた。

ここから先はがんこフードサービスを退職した後のお話。タピオカからストーリーが動き出す。(取材・文・編集/奥行太郎、写真/中森一輝)

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【プロフィール】浜田修司さん

1981年兵庫県生まれ。大学卒業後、関西の老舗和食チェーン「がんこフードサービス」に入社。炉端部門や和食部門を経験し、同企業を退職するまでの約10年間は数々のお屋敷業態で支配人を務める。2019年に退職後、カフェ業態を運営する会社へ転職し2020年に独立。大阪・上本町にお店を構える米処居酒屋「米Lab百福」を立ち上げ、日本人の主食である"お米"のポテンシャルを活かした料理やお酒を提供している。プライベートでは野球好きな3児のパパ。

ついに独立

2019年にがんこフードサービスを退職。そのまま独立の道に進むのかと思いきや誰もが驚く道へ進んでいく。  

「若い時からお世話になっている先輩が運営していたタピオカ店で修行を積むことになりました。」

和食からのタピオカ。否、屋敷からのタピオカ。パワーワードにも程がある。
 
「周りもそのギャップがあったからか『ちょっとこいつおかしくなったな』という感じで冷やかしの声もかけてきませんでしたね。笑。」

「お屋敷もその当時はお客様からものすごい支持があったけど、タピオカもすごい人気があったじゃないですか。そのパワーというか、何にそんな惹かれてるんだろうなというのはめっちゃ現場で見てみたかったんです。お客様としてではなくて。」

「そこで働けたのは本当によかったですよ。勉強というか流行っているものを追いかけることで社会の仕組みみたいなものはよくわかったなと思います。タピオカ屋の2号店を出店したり、別業態のお店を出すための勉強もしました。」 

インタビュー中に"屋敷からのタピオカ"というパワーワードを引っさげて降臨した浜田さんに笑ってしまったのだが、浜田さんのご家族からしたら安定を捨てて180度違う業態に行くなんて笑えるものも笑えない。ご家族は当時どのような反応だったのだろうか。

「今がうまくいってるのかどうかは別として、こうやって自分の人生を歩めているなと思うのは妻のおかげです。やっぱりちょっと辞めるっていうことも普通は言いにくいじゃないですか。」

「辞めたいという意思をつげた時も『いいんじゃない』と。『やりたいことを仕事にしてもらった方がいい』という感じでした。即答でしたね。巷では"嫁ブロック"という言葉もよく聞きますが、それに注力することは全くありませんでした。」

「今までからしたら結構下がっている給料に対しても、文句の1つも言わないですし、自分の好きなようにやらせてもらったのは感謝しかないですね。」

奥さんも去ることながら、浜田さんは幼少期から間違いなく人との出会いに恵まれている。でなければ、全学年おもしろかったとはなかなか言えない。でもそれは浜田さんの根底にある考え方が、引き寄せているものなのかもしれない。
 
「なんかやっぱり人が全部を教えてくれるような気がします。実はいいことばかりではなくて、人にだまされたり悪いこともあったんですよ。」

「でもそれってその時々で調子に乗ってたり、自分の出来る範疇を超えて踏み外した時にそうなった感じなんですけど、結局それも人に教えられているというか。人との接し方においても引き際もわかるようになったと思います。」
 

タピオカ店で飲食店のノウハウを1から勉強した後、2020年9月に独立。色々な物件を探しまわった結果、同年12月大阪・上本町に"米Lab百福"をオープンさせる。コロナ禍でのオープンに不安はなかったのだろうか。
 
「コロナの状態はわかっていましたけど、何となく時期を先延ばしにすればするほど、開業や営業が逆に難しくなるのではないかと判断したんです。コロナと言っても1年も立っていない状況の中で、その時はもうまもなく収まるんじゃないかと思ったという楽観的な判断です。笑。」

百福の"お米"へのこだわり

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私自身このインタビューをお願いする前から"米Lab百福"へ何度も足を運ばせてもらっている。いくらお世話になった先輩だからと言って、食事が美味しくないお店には何度も足を運ばない。というか、運べない。

そんな百福に何度も私の足を運ばせてくれたのは、まぎれもなく百福の"お米"だ。

「昼・夜ともに営業をしている食べ物屋になるんですが、特にお米にこだわり、お米を活かしたお店をやっています。」

「お昼はランチでおいしいお米と米麹をふんだんに使ったお味噌汁を1つの売りにした定食をしていて、夜は居酒屋として米麹でつけた焼き魚とか、米油で揚げた揚げ物とか、土鍋で炊くご飯をメインにしたような、お米を中心に食事もお酒も楽しめるというようなお店をやっています。」

「わざわざうたわずに美味しいお米や良いお米を使っているお店はあると思うんですけど、米・米麹・米油、かつ日本酒というお米のレパートリーを打ち出しているお店はあまり聞いたことはないかもしれません。」

お米にこだわり、お米を活かす。その想いはお店の名前にもなっている。

「百という数字や漢数字を使いたくて。百薬とか百楽とか。その中でも百福の"ももふく"が一番語呂もよかった。百福って読んで字のごとく、皆さんに福があるようにと。」

「美味しいものを食べてお金を払うだけじゃなくて、何かしらの理由があって集った皆さんが場を楽しむことで、豊かになってもらうという意味合いが強いので、"ももふく"でしっくりきたという感じですね。」

「Labはラボラトリー=研究所です。お米っていうものは日本人とは切っても切り離せないので、お米を強調するためにラボラトリーをつけました。」

今回のインタビューに際して「土鍋で炊いたご飯」をいただいたが、本当に美味しい。知り合いだからとかではない。

美味しい白ご飯が真ん中にドンっと座ってくれていると周りの食材も不思議なことに引き立っていく。

百福の白ご飯を食べると、今まで自分はお米のポテンシャルを全く活かせていなかったのではないかなと思う。美味しい秘訣に迫ってみた。
 
「まかないは毎日作って食べています。ご飯はもちろん米麹のお味噌汁も毎日飲んでますし。自分の子供を褒めるみたいでいやらしいですけど、やっぱりうちの白ご飯は美味しいですよ!笑。」

他の白ご飯との違いは一体何なのか。

「他のお店でいただく白ご飯は『味気ないな』と思ってしまうことがあります。味の確認の意味も込めて自店のものを食べていますが、自分たちがまかないで食べる時って炊いてから時間がたってしまっている白ご飯なんですが、仕上がりは普通のお米よりはいいですね。」

「秘訣は色々ありますが1つあげるならば、研ぎ方に秘訣があります。」

この導入部分だけで、「美味しいお米の炊き方」という記事が描けそうだ。

「各家庭の皆さんがどのようにされているかわかりませんが、おそらく炊飯器のお釜の中に水を入れてジャバジャバと洗っていると思うんです。」

「それを"ザルで米を研ぐ"に変えるだけで味が随分変わると思います。なぜ味が変わるのか、それはまたご来店いただければ何時間でも説明しますよ。笑。」
 
なぜ今までザルで研いであげなかったんだろう。お米に対して膝から崩れ落ちるような感覚。お米の美味しさでいうと、産地や取れる時期が一番重要だと思っていた。
 
「その通りです。ただお米というのは農作物になるので、その年によって仕上がりが全く違います。天然物なんです。農家の方いわく、手間をかければかけるほど美味しくなるのは間違いないそうですが、台風や雨等の気象条件で味は随分変わると。」

「なので半分は運だそうです。楽をしようと思えば思うほど質は悪くなっていきますけど、手をかけてきちんとやった状態でも、美味しい美味しくないというのはその年の気候に左右されるんですね。」
 
「JAさんを否定する気は一切ないんですが、JAを通していくと買い取り価格が決まっているので、JAに納めた後は各農家から集まったお米を混ぜて販売することが多いんです。手間暇かけて育てたところも手を抜いて育てたところも全て一緒になってしまいます。それをスーパーや量販店に卸す。」

「Aさんは100の田畑に80作付けしました、Bさんは同じ条件で60作付けしました、Cさんは40で作付けしました、というと栄養分や美味しさが変わってきてしまいますし、混ぜるのならばなおさらですね。」

毎日食べているお米だからこそ、情報を取りにいく感度が鈍っているのか。初めて聞いた話で再度膝から崩れ落ちるような感覚。百福のお米はどうなんだろうか。 

「百福のお米は先程の話で言うと、Aさんだけのお米を使っています。我々はあるお米屋さんから仕入れているんですが、そのお米屋さんが珍しくて。そのお米屋さんは、日本全国自分の目で農家さんを見て買い付けしてくるんです。お米屋さんが農家に直接行って買いにいくということはあまりないそうです。」

「作付けの状況とか農家さんの想いや背景を聞いて、かつ味見もして仕入れている。北は北海道、南は九州まで足で稼いでいるお米屋さんはまずいないですね。」

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浜田さんの信念や未来について

浜田さんが社会人になられて17年。これだけは意識しているということや、譲れない信念みたいなものはあるのかどうか聞いてみた。
 
「改めてそうやって言われると難しいですね。やっぱりこういう職業をしてきた影響も有ると思いますが、気遣いというか心遣いというか。相手の喜ぶことをしたい=相手の嫌がることをしない、という自分であること。」

「それはお客様ももちろんのことスタッフ、従業員に対してもそうですね。横柄なスタンスは見せないようにしています。まずは不快感を与えないところ、嫌がることをしないということが全ての起点になっているような気がします。」

「お買い上げいただいたお客様を始め、自社の商品・サービスをお買い求めいただける対象の方に対しての価値を、0から作っていくという仕事が私は好きです。」

「こんなんでいいねんではなくて、既存のものに対して新たな取り組みを入れていき新たな価値を生み出すことが大事で。それはスタッフやお客様への接し方1つでもこんなんでいいねんではダメだと思っています。」 

「人との"行間"と申しますか。接し方、心遣いを経て出てきた言葉でお客様やスタッフが何倍も嬉しくなったり喜んだりする姿を見てきました。だからこそ、そこにずっとこだわってやってきましたし、これからもそこにはこだわっていきます。」

「声を掛けるタイミングや言葉、その時に相手がしてほしい振る舞い等そういうところはめちゃくちゃ考えます。」

"相手の喜ぶことをしたい=相手の嫌がることをしない"この考え方は非常に素晴らしいと思った。ある1つの物事を"言い換える"ことで、根っこの部分は一緒だが、その物事を多面的に見ることが出来る。
 
「昔少しでも一緒に働いていた子が辞めたりすると、今更現場面して『お疲れ様』と言いにいくのも気が引ける部分があると思うんですが、その時は一緒に働いてくれてその時に「ありがとう」という想いが少しでも生まれていたら、必ずそのことを伝えにいくようにしています。」

「そういう恩は忘れないようにしています。人との出会いから自分は教えられて育ててもらったり幸せにさせてもらったりしてると思うので。本当に。」

"声をかけるタイミングや振る舞い"、"辞められる方への気遣い"、"つながり"、"相手の嫌がることをしない"等もちろん持って生まれた素養もあると思うが、17年間の社会人生活という経験によって磨かれていったんだろうなと思う。

それがお客様だけではなく従業員に対してまで。人の素養だけでは、なかなかそこまで考えれない。

「良く言えばですけど、自分の強み的には"ちょっとずつでも改善していける"という部分がありまして。飲食でも何でもそうですけど、少しずつでもよくしていかないと、前に来てよかったなと思ったから今回来たけどあんまり変わっていなかったなと思うのと一緒で。」

「めちゃくちゃ極端な例ですけど、前回は玄関に花がなかったけど、今回は花があったというだけで、よく感じてその後に美味しいが続いていくじゃないですか。」

「そういうスタンスを自分でもすごく大事にしているので、知らず知らずのうちに経験というストックがたまっていったのかもしれません。開業してオープンしたのも自分にものすごく強いレシピや抜群の接客力があるわけでもなかったですし、知り合いがたくさんいたわけでもない。」

「それでもオープン出来たのは、とりあえず一旦旗を立てて、ちょっとずつでも山を登っていける、良くしていける自信だけはあったのかもしれません。」

最後に百福の未来と浜田さんの未来について聞いてみた。

 「お昼は地域のご飯処として必要不可欠な場所にしていきたいです。上本町はビジネス立地でもありますし、ファミリー層も多いですし、病院も多いのでゆくゆくは町のご飯処として地域のお役に立っていける立ち位置を築いていきたいですね。」

「夜は背伸びしすぎず、お米や素材の良さを伝えていきたいです。『改めて食べたらお米ってこんなに違うんだ』とか『なんでここの野菜ってこんなに美味しいの』と言ってもらえるような素材を仕入れて、そこにストーリーを載せて提供していきたいですね。」

「メニューを減らしてでもここでないと食べれないという価値を出したいですし、そういう業態を確立できたらまた別の路線で勝負もしていきたいなと思っています。」

「自分個人の未来。うーん。笑。なんかやっぱり自分を信じて一緒に仕事をしたいと思ってくれる人が、1人でも多くできればいいかなと思いますね。同じような考え方や価値観を共有し、深みのある関係性を構築できるのが理想です。そういう人と出会いたい。そういう意味でももう一段、二段と自分をレベルアップさせていきたいです。」

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編集後記

私にとって初めてのインタビューが終わった。

インタビューしてから記事にするまで1ヶ月近くを要したが、私がこのインタビューWEBマガジンを作り続けることで、1人でも多くの人のモヤモヤが少しでも晴れる未来が訪れればいいなと思っている。

今回浜田さんの話を聞いてみて思ったが、浜田さんと同じような境遇に置かれてモヤモヤしている人はたくさんいるはず。

少なからず私は似たような状況に置かれていた(もしくは置かれている)ので、聞いていくうちにモヤモヤが晴れてきた。特に次の言葉。

開業してオープンしたのも自分にものすごく強いレシピや抜群の接客力があるわけでもなかったですし、知り合いがたくさんいたわけでもない。それでもオープン出来たのは、とりあえず一旦旗を立てて、ちょっとずつでも山を登っていける、良くしていける自信だけはあったのかもしれません。

年齢に関わらず人は勝負に出る時、万全の準備を整えて勝負したいもの。でもその準備って結構基準が曖昧で。

ずるずるずるずる準備が整わない状況が続くと、体力的な部分であったり、社内で責任のある役職に任命されたり、結果チャンスを逃してしまって後悔するパターンが多いと思われる。(もちろん全ての人に当てはまるわけではない)

浜田さんも今回の独立の決断をするまでの何年間かは、間違いなくそう思っていたはずだ。

そこを浜田さんは"始める前にする準備"を"始めた後に準備していく"というスタイルに変えることで、決断をすることができた。

"ちょっとずつでも改善していける"という強みがあったにせよ、モヤモヤしている人にとっては時系列の順番を変えることで一歩踏み出すことが出来るという参考になったのではないだろうか。 

「清々しい人」 

人を惹き付けるさわやかさと自分に関わる人に対する向き合い方、そして社会の荒波に揉まれて磨きがかかった思い切りのよさは、まさに清々しい。これからまだまだ活躍される未来が想像できる。

<米Lab百福ホームページ>

https://rlab-momofuku.com/
<カメラマン 中森一輝さんのInstagram>
今回プロのカメラマンに撮影をお願いしました。

https://www.instagram.com/kazuki_photowork/?hl=ja
※撮影時のみマスクを外して撮影を実施しております。店内では各感染防止対策実施中です。

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