「無理せずに充実した人生を送っているヒト」
徳田さんは、私が通っている床屋
"JINKEY BARBERSHOP"の店主だ。
床屋といっても"青と赤と白のクルクルしたやつ"が回っているわけでもなく、赤が基調の店内には、バーカウンターがあったり、サーフボードも置いてあったりと、野太さ全開のイカした空間が広がっている。
店内には徳田さん一人。カットの技術も去ることながら、マンツーマンでじっくり会話も楽しめる。
お店の野太さとは逆に、徳田さん自身は穏やかでゆったりしていて、こんな言い方をすると怒られるかもしれないが、癒し系男子だ。
そんなギャップに魅了されて、ここ5年ほど1ヶ月に1回のペースで通っている。
先日も髪を切ってもらっていたのだが、その時にふと思った。
「徳田さんは僕のことをある程度わかっているが、僕が徳田さんのことをわかっていないのは、大事な頭皮を預ける上で対等ではない。よってインタビューをさせてもらうべき」
我ながらわけのわからないクレーマーのような発想だなと思うが、約5年の付き合いになる徳田さんがどんなヒトなのか正直わからない。
一回のカットで1時間×12ヶ月×5年=合計60時間
すなわち2泊3日で旅行に出かけたのに、僕は徳田さんのことを何も知らずに帰宅している。そんな旅行はない。お互いのことを知っている旅行の方が楽しいに決まっている。
そんなクレーマーからのインタビュー依頼を、徳田さんはにこっと笑顔で「いいですよ~」と快く引き受けて下さった。
こんなクレーマーに付き合ってくれた徳田さんには本当に感謝。インタビューを通じて徳田さんの半生を深堀してみた。
(取材・文・編集・写真/奥行太郎)
徳田少年
まずは幼少期のお話。幼稚園の時に親御さんの離婚に伴い大阪へ引っ越すという、いきなり変化に富んだ幼少期を過ごしていたそう。
小学校5年生の時に転校。そこで一気に友達が増えたそうだが、中学校~高校までの話を聞いていると、小学校1年生~4年生までの徳田さんをベースにした、肩肘張っていない少年を想像してしまった。
インタビューの序盤ではあるが、ここからどういう流れで"床屋になる"までたどり着いたのか。全く見当がつかなかった。美容師や理容師になられた方の大半が幼少期や中学・高校時代に、そういうことに興味を持った体験をしているものだと思いこんでいるからだ。
おかんの一言で変わる人生
内部進学は難しい、ということが分かった徳田少年は、社会に出て働くという決断をする。そのキーマンは"おかん"だ。
理容師への道
中高時代の徳田少年はどこへ行ってしまったのか。インタビューをしていても、高校卒業前にガラッと人格が変わったように見受けられた。徳田少年のことを理解していた"おかん"にしか出来ない荒業でもあるが、それを素直に聞き入れた徳田少年もすごい。卒業後"本当に"床屋で働き始める。
18歳の男の子が、自らの意思とは言えど、突然社会に出て味わう厳しさ。失礼ながらそのまま辞めてしまったんだろうと、インタビューをしながら頭の片隅で思ってしまった。
支店に異動した後も、厳しい環境には変わりはなかったが、約1年間社会人としてのマナーや礼儀を当時の店長から叩きこまれ、再度本店に異動。そこから必死に働き続け、"床屋"というものの輪郭が、おぼろげながらに見えてきた2年間だったそうだ。3日目で辞めると言っていた"徳田少年"はその頃にはもういない。
美容師や理容師に限らず、"やりたいことが出来るまで待たないといけない"という現実と葛藤することは大いにあると思われるが、ここでもまた"おかん"のアドバイスと徳田さんの素直さによって局面が大きく変わる。
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前編を書き終えて
徳田少年が現在の徳田さんに変わっていく過程で、キーマンとなっているのは紛れもなく"おかん"だ。
実際にお母様とお会いしたことはないが、ちゃんと子供のことを見て、子供のことを理解して、子供を信じていたんだろうなと勝手な想像をしてしまう。
文字に起こすとすごく簡単に見えるが、高校でたくさん遅刻をしたり、勉学に励まない息子に対して"信じる"という行為は、自分に置き換えると非常に難しい。色々な葛藤もあったと思う。本当にすごい。
徳田少年側はどうなんだろう。なぜおかんが進める理容師への道を簡単に受け入れることが出来たのか。徳田さんはこう答えてくれた。
家族の生活のためにがむしゃらに働き続けた結果、その姿を徳田少年が見て、それを理解し、おかんの言うことなら間違いないと信じた。
子供がいようがいまいが、目の前のことに懸命に取り組むことで、必ず誰かが見てくれている可能性があるということを、徳田さんを通じたインタビューから学ばせていただいた。
今自分が何のために働いているのかわからないという方は、是非後編も見ていただきたい。