想いのままに挑戦する元バンドマンから気付かされたこと【伊坂孝人さんの半生】
「想いのままに生きている人」
伊坂さんと私の出会いは15年前。おどおどして引っ込み思案だったアルバイトの後輩が、堂々とインタビューに答えてくれた。
伊坂さんの話を聞いていると
"知らん間にこの子も大人になっていたんだな"
と親戚のおじさんが、久々に会った甥や姪に思うような感情を抱いてしまった。15年前の彼はもういない。
それと同時に"大人になっても自分の心に素直に生きているな"という感情も抱いた。
伊坂さんは私と出会った当初、自分の想いを口に出す印象はなく優しく朗らかな柔らかい雰囲気の青年だった。(と言っても歳は1つしか変わらないのだが)
それから15年間継続して、ことあるごとに伊坂さんと会ってきたのだが、柔らかい雰囲気は保ちながらも序々に自分の想いが滲み出てくるようになり、親戚のおじさんはなぜそう変化していったのかずっと気になっていた。
「新しい職場が決まりました、来年の1月から働きます。」
と伊坂さんの転職活動が終わりを告げたことを伝えるLINEが11月に届いた時、これは新しい職場で働く前までに気になっていることをインタビューしないといけない!という想いに駆られ、すぐにアポイントをとった。
"想いのままに生きている人"とは一体どんな人なのか。どんな半生を送ってきたのだろうか。(取材・文・編集/奥行太郎 写真/伊坂さん提供)
活発で引っ込み思案な幼少期
伊坂さんとの出会いは飲食店でのアルバイト。お互いに大学生の頃。プライベートでは今でも遊ぶ関係にあるのだが、初めて出会った日以前の伊坂さんのことを何も知らない。幼少期から遡って聞いてみた。
「4人兄弟の末っ子として産まれました。10個上の兄と7個上の姉、2個上の姉。4人兄弟の末っ子なのでもちろん愛情を受けて育ちましたけど、割とほったらかしにされていた感じです。近所のお兄ちゃんとよく遊んでいました。」
「幼稚園から結構活発な子でして。小学校に入っても活発な感じでした。友達を自分から誘ってよく遊びにも行ってましたし。」
「中学校に入ると一転というか、若干人見知りを覚えまして。あんまり自分から喋るような人間じゃなくなりました。友達がいなかったわけじゃないですけど、一歩下がってましたね。きっかけは特になくて。見事引っ込み事案になりました。」
冒頭で書いた"おどおどして引っ込み事案だった伊坂さん"は中学生の時に形成されていた。特に皆の前で発言をしたりするのが急に苦手になったとのこと。思春期特有の一過性のものかと思いきや高校に入ってもその状態は続く。
「引っ込み思案な自分は高校になっても続いてて。高校は私立に行ったんですが、友達は2〜3人ぐらいしかいなかったですね。色んなところから人が集まるんで、何かノリが違うっていう感じでした。高校は全然楽しくなかったです。笑。いじめられてたわけでもないですし、学校にはちゃんと通っていたので、可もなく不可もなくという感じでした。」
そんな楽しくなかった高校に、休むことなく通った優等生は1つの趣味にハマる。
ドラムにはまりバンドマンの道へ
「ドラムを家で叩き始めました。バンドを組むわけでもなく1人で。笑。小学校で兄に教えてもらった時に、全然興味なかったんですけど、初歩的な8ビートが簡単に出来たんですよ。そこから曲と一緒に叩いたり。そこでのめり込んでいった感じです。中学校に入ってぴたっとやめるんですけど。高校になるとインディーズバンドブームが起きて再びやり始めたみたいな感じです。」
私は楽器を演奏することが全く出来ないので、ドラムの魅力について改めて聞いてみた。
「バンドの核じゃないですか。バンドはベースとドラムのリズムが大事。割と全体をひっぱる楽器ですね。大事な部分です。でも核にいて全体をひっぱることが出来るから面白いということでもなく、出来たから楽しい。になったんじゃないですかね。ギターは出来なかったんですよ、でもドラムは叩けた。だから楽しい。」
"出来たから楽しい"という言葉は、趣味になりうることややりがいの本質を突いている。やりたいことや社会の役に立つことを思いついても、それが自分に出来ないことであれば中々継続は難しい。ドラムが伊坂さんの今後につながる。
「大学に入ってから地元の友達と遊びでバンドを組み始めました。大学の友達とはバンドバトルみたいなものに出るために組んだこともあります。サークルとかも入ってなかったんですけど、割と楽しかったですね。」
「大学卒業前のタイミングで周りは就活し始めましたけど、自分はバンドを続けたいと思いました。この状態で就活しても多分納得いかないと思ったので。その時はmixiみたいなコミュニティーでバンドメンバーを探して正式にバンドを結成しました。2年ぐらいやりましたね。そこから次のバンドを結成して、そのバンドも2年ぐらいで辞めて。それが26歳ぐらいですかね。」
「そこからはどうしていこうかなという時期が若干あったんですけど、たまたま対バンした時のバンドと仲良くなりました。そのメンバーの1人から『ちょっとドラム叩いてくれへん?』と言われて。初めは様子を見る為にサポートから入りましたが、そこから正規のメンバーになって3年ぐらいやって、バンド活動は終わりました。トータル7年ぐらい。30歳っていうのが自分的にはポイントでした。30歳を目前に普通の生活というか、結婚して子供産まれてみたいな憧れが生まれてきましたね。」
インタビューをしていて"バンドで食べていく!""自分のドラムをもっと聞いてほしい!"というような、陳腐な言葉でいう"夢"のようなものを伊坂さんから感じることはなかった。ドラムやバンドは伊坂さんにとって"やってみたら出来て、磨き続けたら更に出来て"という自分の成長を感じるためのものだったのかもしれない。
「バンドはやってるのが楽しかったです。売れたいという気持ちはありましたけど、自己表現の1つでした。ドラム含めて自己満足だったような気がします。極めるまではいってなかったかもです。そこがどうだったんでしょうね。笑。」
働くことのベースになったアルバイト
ここで単純な疑問が湧く。大学卒業後からバンド活動をしてきた30歳までどのようにして生計を立てていたんだろう。
「当然そうなりますが、アルバイトで生計を立てていた感じです。食べることや料理を作ることに元々興味があって、ちょっとでも興味のあるところにいこうかなと。大学時代に遡るんですが、2回生の時に居酒屋でアルバイトを始めました。そこがめっちゃ長くて。一度辞めてるんですがトータル5年〜6年ぐらい続けました。」
「その後は居酒屋と掛け持ちでカレー屋で務め始めることになります。居酒屋を辞めた後も、カレー屋を続け最終的には7年ぐらい務めてました。バイトだけでいうと気付いたら一番歴が長かったです。カレー好きには名の知れた大阪のカフェ形式のカレー屋でした。」
バンドにしても居酒屋にしてもカレー屋にしても、長い期間一つのことを継続できる伊坂さんは、私が出会った頃の引っ込み思案な姿からは想像もつかない。
「居酒屋の一つ前の喫茶店のアルバイトがなんとなく働いていて、なんとなくで褒められたりしていました。アルバイトの認識としてこんなもんでいいんやという感じやったんですけど、そこの居酒屋は全然通用しませんでした。笑。」
「体育会系の職場というより、仕事に取り組む意識レベルが高かったという感じです。料理1つにしても接客1つにしても。こんなにやるんだという感じでした。社員だけではなくアルバイトもです。」
伊坂さんは、なぜそこのきつそうなバイトを辞めずに続けることができたのか。
「ホールからスタートしたのですが、まずその時の店長に『姿勢を正せ』と言われまして。確かに猫背で。基本的なところから全て言われました。接客において歩き方も大事だとか。もっと大きい声を出さないといけないとか。その後キッチンにも入るんですけど、作業が多くて要領が悪いので、どうしていいかわからなかったです。でもなんか辞めようと思わなかったんです。」
「そらもちろん『うるさいな』と頭の片隅にはあったんですけど、でもそこは何か変えなあかんねんや、きちっとせなあかんねやと。ちょっとずつ自分を変えていこうと。そんなことをはっきり言われたのは人生初めてやったかもしれないです。」
注意されることを自分のせいではなく環境のせいにはしなかったのか。
「一生懸命教えてもらっているというのが前提としてあったのかもしれませんが、ここで仕事が出来るようになれば、きっと楽しくなるという確信があったので、環境のせいにすることはなかったです。」
「言われることで出来るようになったこともたくさんありましたし。仕事をする上でのベースを作ってくれたという意味では感謝しかないですね。」
「カレー屋さんもそのベースがあった上で、よりフレンドリーというか和気あいあいとした雰囲気の職場だったので続けることが出来ました。居酒屋にしてもカレー屋さんにしても居心地がいい、楽しいとなると結構続けられるのかもしれません。働く上で、居心地と楽しさは結構大事にしています。」
自分でお店をやりたいという夢
バンドを辞めたタイミングで、次は正社員としてコーヒーや軽食をメインとしたカフェで働くことになる。
「バンドを辞めてしまってどうしようかとなった時に、ぼんやりと『自分でお店やりたいな』と思いまして。なめてるんですけど。笑。それで店をやるなら、コーヒーとか喫茶的なことをやりたいなと。ちょっとおしゃれなコーヒー屋みたいな。それでコーヒーを学びたいなと思っていた時に、たまたまそのカフェに知り合いがいて、その知り合いが辞める代わりに入ったという形です。」
「そのカフェが東京と大阪にある小規模なチェーン組織で。所属していた店舗では、他の店舗で販売するお菓子とコーヒー豆を全て作っていました。営業以外の仕事もすることがあって、豆を焙煎する人がいたり、オンラインで販売した際の梱包作業等多岐にわたっていました。3年半ぐらい勤めました。」
「良くも悪くもだったんですけど、カフェの仕事はだんだんしんどくなってしまって。居心地がいいとは言えない環境になってきて辞めたのは否めないですね。愚痴が多くなっていってました。これはちょっとおったらあかんなと。会社の怠慢が現場におりてくるというところに不満を感じてましたね。割と投げやりな部分もあって、それが店長におりて僕にくるみたいな。終盤は少しメンタルもやられてしまいました。」
居心地の良さと楽しさ。働く上でその2つを両立させていくことはなかなか難しい感覚がある。次に働く会社は大手インフラ設備の会社。伊坂さんが大事にしているものとどう向き合っていくのか。
「カフェの仕事は今年の7月末で退職して、そこから転職活動をして11月末に内定。来年の1月から新しい仕事が始まります。」
「今までは給料や休日、残業等の不安はあったんですけど、今度の職場は以前よりも条件はいい感じです。飲食よりも自分にあった環境を見つけやすかったのと、そこで一旦リセットじゃないですけど、環境面で満足した条件で働くとどうなるんかなという意味で楽しみではありますね。」
飲食に限ったことではないが、今まで所属してきたコミュニティーを離れて、そのコミュニティーを俯瞰的に見た時に、今まで気付けなかった一面が見えてくることがある。アルバイトから始まった飲食関係の仕事にもう携わることはないのか。
「いえ、一度外を経験してみて、また気持ちがめばえたらやりたいなと思います。飲食というか料理が好きなんですかね。料理に関して言えば自分の力量がどれぐらいかというのがわからないので、力量がわかって自分の自信につながっていくことがあれば、自分のお店も出したいなという部分につながると思うんですけど。」
「今は自分の料理の力量をはかるために、インスタグラムで自分が作った料理を投稿しています。たまに会った人に『すごいな』とかそういう言葉をもらえたら嬉しいです。本当は食べてもらうのが本望なんですけど。実際に食べてもらって、そこで美味しいって言われたら更に自信になりますしね。料理の発信は次の仕事と平行して、継続してきたいと思っています。」
ドラムと同じことを聞いてみた。料理の魅力って何なんだろうか。
「美味しいものを食べてる時って絶対人は幸せに感じるじゃないですか。自分で作ったもので喜んでもらえる、幸せに感じてもらえるっていうのが大きいですね。突き抜けたものは作れないので。味付けが全然違うなと思います。それを考えつく発想がないですね。自分で作ったもので喜んでもらえたらそれでいいんじゃないかなと思っています。」
一番初めに伊坂さんの料理を「美味しい」と言ってくれたのは近所に住んでいたお母さんの友達だったそう。
「近所に住んでいたお母さんの友達がよく家に来てて。めっちゃ仲良かったです。中1ぐらいなんですが、確か『なんか作って』みたいなことを言われたような気がします。いやどうやろ、自分発信で振る舞った感じですかね。その時はパスタを作ってめちゃくちゃ喜んでくれました。中2の時に亡くなってしまったんですけど。そのパスタを何度も作った記憶があります。料理をするきっかけにはなりました。」
完全な偏見になるのだが、引っ込み事案だった人が"バンドをする"とか"自分でお店を出したい"とか、そう考えて実際に行動に移していく姿に"普通"とは何なんだろうかと考えさせられるきっかけになった。それが実に面白い。
最後にそう思ったことを直接伝えた。
「それは僕も考えてて。でもどれだけ考えても自分が思い切って行動する部分に関しては本当に意識してなくて。なんとかなるかなって。ごめんなさい、まとまりないですよね。笑。」
「なんか真剣にするっていうのが得意じゃないかもしれないです。何となく生きるのがちょうどいいっていう感じ。人より真剣に考えられてないですね。笑。最近思うのは普通の人より5年~10年ぐらい遅く生きてるんだろうなと。就活するタイミングも今として。」
「でもなんかこの転職期間で得たことなんですが、その中でも自分の力を信じていましたね。絶対やってやるという想いと何とかなるという想いと。元々ネガティブだったんですけど、ネガティブでいてもいいことないんやなと思いました。そういう気持ちを持ったことで、次の就職先に辿りつけた分もあるので、これからも自分を信じて前向きに取り組んでいきたいと思います。」
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編集後記
伊坂さんの行動には、きっかけや動機が強く紐づいていないことが多い。
ドラムやバンドを始めたのも、小学校時代にドラムをうまく叩けた経験があったとのことだが、本格的に始めたのは高校生~大学生の時。
料理をしたのも、中学1年生の時に近所に住んでいたお母さんの友達にパスタを振舞ったのが始まり。でもそこから本格的に料理に向き合い始めるのは30歳を過ぎてから。
インタビュアーの端くれである私からすると、何か本格的に始めるまでに"漫画のような動機やきっかけ・ストーリー"が欲しくなってしまうのだが、そんなものはインタビューにおいて必要がないということに気付いた。
伊坂さんは幼少期から一貫して"想いのままに生きている"。
想いのままに行動して、とにかく一度やってみる。やってみたからには簡単に諦めない。そこで出来たことに自信を深めて更に成長していく。
成長していくことで伊坂さんの"想い"が形を変え、また別の行動につながっていく。そこに言語化の必要はない。
この編集後記を読んだ伊坂さんはきっと私にこう言うと思う。
それでこそ伊坂さん。これからも自分に素直に想いのままに。
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