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嘘のスキマ

生きてきてこれまで、ただの一度も嘘をついたことがない。そんな人はいるんだろうか。

とんでもないことが起きて、かなりとっちらかっている。ずっと毎日書き続けてきたこの場所からも、ちょっと遠のいていた。その間、いろんなことを考え、思い出し、わかったから今ここで書いてしまうけど、
私は子供の頃、よく嘘をついた。

たぶん最初は、『怒られないように』だったんだろうと思う。
怒られないようにと思ってとっさに嘘をつくけど、子供の嘘なんて親には当然、モロバレ。嘘をついているってことで気持ちがキュッとなってるところを結局、怒られる。嘘をついても嘘はバれる、嘘をついたことに対するイヤーな気持ちに加えて倍ほど怒られる。これを経験していくうちに、嘘のつきかたがかわってくる。
子供のときだけじゃない、私は今だってささやかな嘘をきっと持っている。

怒られたくなくてついた嘘から、自分を納得させるための嘘へ。
怒られたくなくてつく嘘には本人に自覚があって、罪悪感もある。
自分を納得させるための嘘は、自覚がない。たぶん。

みんなが『これがあってこそシアワセ』と言っているものをみて、自分はそうは思わないのにそれにあわせる。これが美味しい、これが可愛い、これが素敵だ。
また、あの人って○○だよねと誰かを蔑む輪のなかに入り込んで同調してしまうこともある。毅然としていないとうっかり仲間になってしまっていること、実はたくさんある。だけど人間、24時間365日、ずっとピンとはりつめて毅然とし続けることってできないんだよね。忙しすぎて、自分のことが二の次になって、魔が入り込んでいるのに気づかないとかね。
ただ、この場合はあるときハッとすることで気づいたり、誰かの文章に心を射貫かれたり、その人のタイミングで目覚めの時はかならず来るのではないかと思います。

それに対して、
怒られたくなくて嘘をつき続けるというのは、とても苦しいだろうと思う。誰に怒られると思っているのか。いつ、許されるのか。その日は、来るのか。

あまりにも『ほんとう』を求めすぎた私が苦しいのは、嘘をゆるせないからなのだろう。私自身が、あんなに嘘つきだったくせに。

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