アメコミ史上最高傑作映画「ダークナイト」深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている。
この作品を観ると、私はこの言葉をいつも思い出す。
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」
ニーチェの言葉だ。
ダークナイトという映画はクリストファー・ノーラン監督の完璧な作劇と映像世界と
演技を超えてもはや神がかり的なまでに、ある象徴的な存在となったヒース・レジャーのジョーカーが共存した
もう2度と作られることの無い領域に踏み込んだ傑作だ。
作劇としても冒頭のシークエンスから一気に巻き込まれ、ジョーカーの仕掛けたトラップにバットマン同様、私達もはまっていく構図だ。
バットマンの素顔か、市民の命か。
ハービーの命か、レイチェルの命か。
弁護士の命か、病院の爆破か。
市民の命か、囚人の命か。
次々と死の二択を迫られ、善悪の境界が見えなくなってくる揺らぎと不安が蔓延していく。
まさにジョーカーがこの映画を支配していると思う。
この映画を伝説にした最大の立役者のヒース・レジャーは作品公開を待たずして28歳という若さで突然この世を去ってしまった。
ご存知の方も多いかと思うが、薬の併用摂取による突然死だった。
不適切かもしれないが、私はニーチェの言葉を思い浮かべる。
“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.”
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。
ニーチェ著『善悪の彼岸』146節から引用
ヒース・レジャーのジョーカーの役作りと死の因果を邪推してはいけないと思いつつ
彼が生前、ジョーカーを演じることを心配していたと語っていたことを聴くと胸が苦しくなる。
彼は数週間ホテルの部屋にこもりきって、深く深くジョーカーの役作りにのめり込んだ。
びっしりと書き込まれ、遺された日記にはスタンリー・キューブリックの怪作「時計じかけのオレンジ」のアレックスの写真が至る所に貼られていた。
数少ない彼のインタビューではこう語ったそうだ。
「約1ヶ月間ロンドンのホテルに閉じこもって座り続け、小さな日記をつけながらいろいろな声を演じてみた。とにかくあの独特の声と笑い方を追求することが重要だったんだ。それでついにあのサイコパスの領域にたどり着いたんだ、良心のかけらもないあのジョーカーのね。彼は絶対的な反社会主義者で、冷血で、大量殺人を犯す道化師だ。監督のクリスはすべて僕の思い通りにさせてくれた。すごく楽しかったよ、実際にジョーカーが何を言い、どんな行動をするかの境界線がないんだからね。彼を怖がらせるものは何もないんだ。全部冗談だけど、、」
その後、こちらの心の奥底を不安にさせるようなあのメイクも、自分で塗りたくって完成したらしいが
メイクアップテストの写真も日記に貼られそのページの裏にbye-byeと書き込まれていたそうだ。
薬の過剰摂取は意図せぬものなのか、意図的なものなのかそれはわからない。
ただ、限りなく死という深淵に引き寄せられていたのではないだろうか。
真実をどこまでも見出そうとするアーティストは、普段、人が敢えて見ようとしないその闇の先までも手を伸ばしてしまうことがあるのかもしれない。
あまりに愚直でピュアであるがために。
こちら側とあちら側を隔てるその境目は私たちが思っているより
きっと薄くて手を伸ばせば届いてしまうような
そんな地続きな危うさを内包している。
どんな人にも’生’に強く繋ぎ止めるアンカー⚓️が必要だ。そんなことを最近強く感じている。
ただこの映画を観る時はいつもそんな憶測を吹き飛ばすような強烈なインパクトで
ヒース・レジャーが演技を超えた完全なる存在として私たちの前に現れてくれる。
ヒース・レジャー。真なるアーティスト。
その哀しい宿命と奇跡の存在を
私はこれからも人生において
何度でも、何度でも、目撃したいと思っている。
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