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12. 創造的空間?

すぐ気が散る。

発達障害を持っている人が抱える代表的な悩みであるが、これを解消する対策のひとつとして、視覚刺激を減らすということが挙げられる。
視覚情報が無駄に多いと、注意が分散し、ただでさえ低いワーキングメモリの働きがより低下する。それを防ぎ、作業を捗らせるには、視覚情報の少ない環境を作ることだ。

というわけで、視覚刺激を排除していった結果、部屋がどんどん白くなる、という現象が起こっている我が家。

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なるべく物は置かない。家電や生活雑貨は無地で色味のない極力シンプルなものを選ぶ。
古い木造家屋は凹凸や線が多くて目に煩いので、柱や壁をペンキで塗って、カーテンなどのファブリックなども含め、色と質感を限定してスッキリさせた。つい最近も本棚に目隠しの布をつけたり、と、DIYを重ねてアップデートするうちに、こんなやたら白い部屋になってしまった。

若干病的な感じではあるが、視覚刺激が減ったことで、気が散りにくくなったのに加えて、汚れが目立つ分、まめに掃除をするし、また、極力汚さないように使うようになり、結果的に小綺麗に保たれているという利点がある。


そのかわり、物を増やしたり、家具や雑貨にこだわってインテリアを彩ることは諦めた。

実は、僕はインテリアや空間に並々ならぬ思い入れがあるタイプで、かつては、好みの家具やセンスのいいインテリアの写真をスクラップしたり、気になる店に出かけていって内装のディテールを観察し、時にはスケッチをしたり、暇さえあれば理想の家や部屋についてあれこれ妄想を巡らせるのが大好きだったのだ。
また、少々ごちゃっとしているくらいの部屋の方が格好いい、とも思っていた。
物が雑多に置いてあるのに不思議と統一感があり、さりげないのに洒落ている、そんな部屋を作りあげようと、以前はヴィンテージやアンティークショップ、ギャラリー、古本屋やら骨董市やらをしょっちゅう覗いて、掘り出した自分好みのモノで身の回りを満たしてゆくことに夢中であった。
しかし、そうして集めたモノたちは、この部屋へ越してくる際に多くを処分してしまい、その後も事あるごとに何か捨てているので、ほとんどなくなって、よく言えばシンプル、悪く言えば殺風景な部屋となっている。

モノが少ないということは、いろいろと楽である。
モノを維持管理するために費やしていたエネルギーが大幅に減るからだ。
また、余計なものがなければ、迷ったりすることもなく時短になる。
断捨離の効果は絶大である。


視覚情報が抑えられ、余計なところへ注意が向かない。
ワーキングメモリへの負荷が少なく、働きの低下をある程度は防ぐことができる。騒がしい頭の中は多少はクリアになる。
目についたばかりについ行ってしまう衝動的行動が減って物事が効率よく進む。
(たとえば、本棚を布でカバーしたことで、目に入った本を、やるべき作業を中断して読み始めてしまったり、本の並び順が気になるあまり、突然並び替えをはじめるなどの衝動的行動がなくなった。)
持っていくものが見つからなくて、外出前に探し物をすることも今はあまりない。
というわけで、モノが少なく白い部屋は、生産性が高く、まあ快適であるといえるだろう。

雰囲気のある雑多な部屋、見せる収納、スタイルのあるインテリアの部屋は魅力的だ。でも、残念ながら発達障害人には快適な部屋だとは言い難いと思う。



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部屋は自分自身を映す鏡であるとも言われるが、視覚という面でのストレスを消去法で排除していった結果、図らずも空っぽになってしまったこの状態を、どう理解したら良いのだろうと思いつつも、本来の姿に近づいてきた気もしている。
前に住んでいた部屋、モノにこだわった部屋は、やっぱり無理があったのだと、今になって思うのだ。

長い時間を過ごす部屋は、創造的空間であるべきだと思う。
日々の生活を創造する上で、僕にとっては、常に十分すぎるほどの余白を持っておくということが、とても大事なことであるらしい。


窓の外には枯れた庭が広がる。今の季節、太陽の光は部屋の奥まで射し込んでくる。
僕は、大きな白いスクリーンに描かれる陰影を、どんなしつらえよりも美しいと感じながら愉しんでいる。



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