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親への期待と恨みについて
彼女=80代半ばの母は、娘の悩みの表面さえも理解しない。
「そんなの大したことないじゃないの。もっと大変なひとはいるでしょ」の一言で片付けるのがいつものパターンだ。
一方「世間体」「常識」「おとなの事情」「親戚への顔向け」にかかわる事柄には、しつこいほど追求したがる。
ただ、おかーさんなぜ私の気持ちを理解してくれないの?とは今は思わない。
ある意味開き直った。「もーいーや。この人になにか期待するのは時間の無駄だー」といつしか考えるようになった。
もう認知度も低下しているしね。
親たちの世代は、戦中・戦後世代を生きてきた。
いっときは生きるか死ぬかの紙一重の生活を送っていたことも事実だ。
我が母は、高校時代には学業成績が比較的良い方だったようだ。
高校は夜学に通っていたから、昼間の過程にうつることや大学進学を、教師から勧められたという。
だが母は家族のために、兄弟姉妹のためにその選択を手放し働く道を選んだ。
母曰く「勉強きらいだし。はやくお金を稼ぎたかったし」。
祖母(母の父親)は、今でいうなら戦争中の記憶に苛まれて暴力を伴うアルコール依存症にもなった。
罵る、なぐる、執拗にねちねちと叱り続ける。
祖母(妻)も母(娘)も、それは辛い時間を過ごした。
叔父(母の弟)は、母親を庇うために父に立ち向かったとも聞いた。
それでも、後年は、そんな父親を恨み倒すことはなく、父親が「呆け」てからは「かわいーじーちゃん」「おもしろいじーちゃん」キャラに据え、兄弟姉妹力を合わせて介護に取り組んだ。
もっとも「被害」を受けた長女である母は、もっとも父の介護に時間を割いた。
自身の生活や心のありようを大切にして、意識的にではないにせよ、心の澱は手放したように見える。
でもやっぱり、人はもやるのさ。人間だもの。
知性、知能、感性がある私たちはもやる、悩む、憤慨する、悔やむのさ。
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