幼稚園やめて転園しました⑤転園先を探し始める
前回は、年少の運動会での出来事についての話でした。
最初から前回までの話はこちらから--------
▼年少4月⇒突然幼稚園から息子が自閉症と指摘され、
▼年少6月⇒発達検査を受けて、療育を探し、
▼年少7月~8月⇒療育に通い始め、療育で成長が見られたものの、
▼年少9月⇒運動会で一部参加させてもらえず、幼稚園の対応に絶望
----------
今回は、運動会の後に転園先を探し始めた頃の話。
※転園する前に通園していた園をB幼稚園と表記しています。
ストレスで自分が帯状疱疹になってしまう
息子が自閉症かもしれないと指摘されてから、いろんな所に相談して、幼稚園から連絡が来ては謝り続け、幼稚園への対応に不信感を感じながら、その度に息子の将来を心配して…というのを繰り返していたら約半年が過ぎていた。
そうしていたら、なんと9月に自分が帯状疱疹になってしまった…。
右側の腹部だけにピリピリとした痛みと痒みが出て、小さな発疹も少し出ていた。
私は「あせもかな?」くらいに思って、近所のドラッグストアで相談すると、帯状疱疹かもしれないと言われ驚いた。
だけど、確かにあのピリピリした痛みとお腹の右側だけに出てることがただの湿疹ではなさそうとは思っていた。
内科を受診すると、
―――「帯状疱疹は極度のストレスが原因」
と言われてしまった…。
―――「私、かなり無理してたんだな……」
と思った。
夫も息子の事をかなり心配している様子で、幼稚園の面談や発達検査などに同行してくれたりと、協力的だった。
でも、やっぱり実際に相談機関を調べたり連絡したりするのは私。インターネットで検索していると、ついネガティブな情報を見ては不安になることも多かった。
息子に障害があるかもしれないと言われた時から、息子がこの先ひとりで生きて行けるのだろうか…と考え始めたら夜も中々眠れなかった…。
息子の将来に対する漠然とした不安を止められず、ずっとどんよりとした気持ちで過ごしていた。
あと、息子が幼稚園入園前に児童館で出会ったママ友さん達と少し交流があって、数回ランチや公園に誘われたが、
―――「息子に障害があることがバレたらどうしよう……」
と内心不安で、お誘いは全て断った…。当時はパートもしていたから、仕事で都合がつかなくて…と言い訳をして集まりに参加することはなかった。
幼稚園でも行き帰り共にバス通園で、コロナ禍で行事は縮小してたのもあり、他のママさんと話す機会はほぼなかった。
息子が発達障害かもしれないと大きな悩みを抱えながら、家族以外で身近に相談できる人がいなくて孤独だった。
息子と自分のために幼稚園転園を決意
―――「このままでは息子にも自分にも良くない。状況を変えなければ」
そう思った。幼稚園の運動会で、出来ない種目から外され、出場できた種目でさえ、強制的に先生に抱っこされて終了するという、屈辱的な出来事を目の当たりにして、
―――「この幼稚園では、息子が伸び伸びと過ごせない」
―――「親である自分が帯状疱疹になるまで追いつめられるほどの幼稚園に無理して行かなくていい」
と確信した。
療育園の方にこの運動会での出来事を話すと、
―――「このままでは幼稚園に息子君の居場所がない気がします」
と言われ、その通りだと思った。
別の幼稚園に転園して、息子が伸び伸びと過ごせる居場所を作ってあげたいと思った。
療育園では、息子は最初はできなかった体操ができるようになった。
療育園では、息子ができないことは工夫してできるように対応してくれたり、息子が好きなことや得意なことはいっぱい褒めてくれた。だから息子はよく笑って楽しそうに遊んでいて、私もそれを見て嬉しくなったし、安心して預けられた。
B幼稚園のように、できないことはやらせない、短所ばかり指摘するというやり方で、息子は萎縮してしまっていたように感じる。
親もそうだ。息子のできないことや短所ばかり聞かされて、自分を責めてしまい、とても辛かった。
確かに療育は、当時先生1人に子供1人での対応できめ細かく見てくれるから大集団の幼稚園とは違うけど、療育の先生達のように発達障害児への理解があって息子にあたたかく接してくれる幼稚園があったらいいなと思った。
転園先の幼稚園・保育園を探し始める
そうして、まずは幼稚園の転園先探しを始めた。
幼稚園への電話、見学など、10件ほどあたった。
―――「うちは発達障害児は受け入れていません」(1)
―――「発達障害児は受け入れているが、現状これ以上先生を増やせず受け入れできません」(2)
―――「まずは療育毎日行ってでできることを増やしてから入園を考えてみては?」(3)
発達障害児一切お断りの(1)、
発達障害児を受け入れてくれそうと望みがあったけど結局ダメな(2)、
できないことが多い発達障害児はできることが増えたらその時に出直してくれと、成長を見守るつもりがない(3)
こんなにも断りのパターンって多いのかとショックを受け続けた…。
中には、私が幼稚園に電話した時に、何となく発達障害児の受け入れについて話を切り出せなかったパターンもある。
中々良さそうな幼稚園に巡り会えず、10件くらいほぼお断り状態が続き、精神的に辛い状態は続いた。
―――「もし、幼稚園でいい所がなければ、保育園はどうですか?」
と療育園から進められ、保育園も見学に行った。
確かに保育園は発達障害児への理解があり、息子のように療育に通っている園児もいて、加配の先生もいるという園もあった。
ただ、認可保育園は希望しても申し込んで受からないと入れない…。
私のパートの勤務時間を増やせば、保育園の申し込みを出せる。療育の送迎などで勤務時間を増やすことが厳しいと思っていたが、次の園が決まらないとB幼稚園をやめられない…もう申し込むしかないと思った。
だけど、勤務時間を増やすことに不安も残っていたから、隣町の幼稚園も転園候補にしようと転園先探しは続けていた。隣町は私の勤務先から近くて送迎に便利だったし、自宅からは車で30分ほどだったから送迎できる範囲かなと思った。
これが年少10月頃の話。
結局10月の段階では転園先の幼稚園が見つからないまま、保育園は療育や障害児に理解があっても申し込んでも受かるか分からない…という局面に立たされたままだった。
ただ、『B幼稚園は辞めたい』という気持ちはかなり強くなっていた。
そしてこの後、ついに幼稚園から退園を迫られることになる…。
次回は【 幼稚園転園の経緯⑥ 息子3歳(年少) 幼稚園からの退園勧告 】の記事をアップ予定。
また、読みに来てくれると嬉しいです☺
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?