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「アフガニスタン」


「正直」申し上げて、

「アフガニスタンという国」が

どこにあるのか、


今までどんな「歴史」があり

どんな「人」が住んでいて、

どんな「宗教」で、

どんな「民族」なのかも

「わかりません。」


「全て理解ができていない」から

「意見ができない」

「外野はだまっとれ。」と言うのも


ごもっともです。

この「日本」でも

「話」をめんどくさくする人はいます。

僕も「そのひとり」です。

「内紛」は

「民族性」のものであったり、

「宗教的」なものであったり、

「アフガニスタン」だけではなく、

「一般市民」を巻きこみながら

「世界のあらゆるところ」で

繰り広げられています。

それが、

「同民族のプライド」をかけた

戦いなのか、

「大国の焚きつけ」なのかは

わかりませんが、

「宇宙」

「光」

「神」

「ひとりの人間の命」は

「ひとつ」しかありません。 

「前」も「後」も

「上」も「下」も

「右」も「左」も

「存在しません。」


「一直線に貫く莫大なエネルギー」しか

存在しないんです。


「多種にわたる民族」が

存在しますが、

「地球」も「ひとつ」しか

ありません。


「不安」や「恐れ」や「迷い」から生まれる

「暴力」は 


「たくさんの人」を傷つけ、


「たくさんの命」を奪っていきます。 

「強い暴力」で

「支配」をしたとしても、

それは「主従関係」とは言いません。


目の前の「人間」を

「支配した」としても、

目の前の「人間の命」を

「奪った」としても、


「魂の存在」まで

支配することはできません。

奪うことはできません。

「国」や「富」が欲しければ

「くれてやる。」

ですが、

「魂」まで

「奪う」ことはできません。

それを「潜在的」に

わかっているから、

「恐れている」んです。

「殺しても、殺しても」

「奪っても、奪っても。」


「永遠に満たされることはありません。」


「そちらの神様」に従い、

「続けられてください、わかるまで。」


「神は自身の中にある。」


「強い暴力」を生み出すことが、

できるのなら、

「強い愛」を生み出すことができます。


「人間のカタチをした人格を持った神」

のような、

「都合のよい神」など

「存在しません。」

ただ、ただ、

「無情にもまっすぐなエネルギー体」な

だけなんです。


これから、

「目を覆いたくなるような現実」が

起こりうるかもしれません。

それですら、

辛いですが、

「受け止めていく」しかありません。

「たった一発の小さな銃弾」は

「人の命」を奪い、

「不安」や「恐れ」や

「暗闇」しか生み出すことができません。


「たった一粒の小さな種」は

「命」を育み、

「夢」や「希望」や

「光に満ち溢れた未来」しか

生み出すことができません。


「選ぶ」ということを

「恐れるな。」

「失うことも」「負けることも」

「傷つくことも」

「恐れるな。」

「愛」という、「鉄の意志」をもって!!


「それでも、わたしは、

アフガニスタンを愛しています!!」


「この想い」が

遠い、「アフガニスタンという国」へ

届きますように!!

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