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初note

はじめまして。 保育士の「いろ」と申します。2児のママです(^^♪

保育士といってもたくさんいますので、そんな新鮮味はないかもしれませんね。
私は、21年の職務経験と、2回の転職経験があります。また在職中は新任育成を担当し、部下の育成に力を注いできました。

ここでは仕事の人間関係について、好きな仕事を楽しむ秘訣を分かりやすく実例を挙げながら、読者の皆さんのヒントになるような内容をお届けしたいと思います。

また2児のママである私の一人目育児失敗を機に、育児の考えを大きく変えたテーマ「自己肯定感の高め方、向き合い方」を私なりにまとめて
子育て中の方にも情報提供できればと思っています。

今日は、1回目ですので、私「いろ」の自己紹介を中心に書かせていただきます。
(※ママとしては第2回目以降にします)
最後までよろしくお願いします。


目次
1.なぜ幼児教育を目指そうと思ったのか
2.マンモス幼稚園での激務、人間関係の難しさ、トップからの聞きたくなかった言葉
3.転職をして気づいたこと「幼稚園と保育園の違い」
4.保育士の賞味期限


1.なぜ幼児教育を目指そうと思ったのか

「Z世代に将来の夢は?」の記事を見つけました。
なんと保育士は「第3位」に入っていたんです。小さいとき「大きくなったら何になりたい?」と聞かれると、「保母さん」ということはよくありましたが、Z世代にもまだそんな気持ちが残っていたとは…と嬉しくなった次第です。

私がなぜ幼児教育を目指そうと思ったかというと、自分の家族が大きな理由です。
私の父が交通事故で26年前に他界したんです。その時末っ子の弟は5歳でした。年の差が開いた兄弟で、一番上の姉はその時20歳でした。母も当時45歳を過ぎていて一緒に遊ぶことはほぼなく、家事を頑張ってくれていて、姉が中心になって弟と遊んで過ごしてきました。

そして父親がいなくなったことで、大きな穴が開いたのは言うまでもありません。
母はとてもやさしい人で怒ることを決してしない人でした。父は昔ながらの職人気質で常識に外れたことをしたら物凄く怒られました。でも、普段は面白くて、かっこいいお父さんでした。 

私の考えが絶対とは思いませんが、子どもにとって「母性と父性のバランス」は必要だなと思ったんです。

当時の世間のニュースを見ていても「虐待」「置き去り」「育児放棄」最も恐ろしいのは手を挙げてしまい命を落としてしまうニュースさえありました。

きっとその家庭の中で何かの歯車やバランスが崩れてしまったのだと思います。

子どもの人間形成、心の成長のお手伝いができる仕事はないか、と思ったのが幼児教育の道に進む決め手だったのです。

2.マンモス幼稚園での激務、人間関係の難しさ、トップからの聞きたくなかった言葉

就職先を決めるときにまず何を第一条件にしたかというと「給料」です。やはり、父が他界してからの5年間はアルバイトをしたり、家にお金を入れたり、高校短大で交通遺児育英会の奨学金も借りていたので、その返済をするためにも「給料」は絶対でした。
でも「給料がいい」=仕事が大変、忙しい、きつい、園のカラーが強い
ということが分かりました。
だから退職者が多いんです。「給料がいい!やっほー!!」じゃ、やっぱり続かないですよね。

私はこの園で15年勤めました。しかし、5年目まではかなり苦しかったです。なぜなら一回り以上年齢の違う先輩の目がかなり怖かったですし、先輩の思い通りに動かないと無視が始まったり…。
歴史が深いとその分重い重圧もかかります。

耐えるしかない、と同時に、ありがたいことに、受け持つクラスの保護者からの言葉
「先生ありがとう」「先生大変と思いますが、先生のクラスでよかったです。」
たくさん救われたから、続けられたのだと思います。はっきり言って、職員の上下関係を保護者もわかっていますから(笑)

そして職員のゴタゴタがあり、なんと先輩方がごっそり退職したのです。
ここから園の雰囲気は大きく変わります。
私は職員のトップに立ちました。
「働く先生を大切にしよう」と、園長も賛同してくれました。
大切な子どもの教育をする人が大切になれていないのはおかしい!

ここから、「新任の育成」がスタートしたり、キャリアアップ研修、チームの作り方、ミドルアップなど学びと知識、幼稚園職員集団の改革がスタートするのです。

仕事がこんなにも楽しいのかと本当に思いました。
好きな仕事がまた好きになる。なんて働きやすいんだ!と。

そして8年後一人目を出産し、職場復帰すると、「私の居場所がなかった…」んです。
園長の意見としては「君はうちのエースであったが、この1年で他の職員も経験を積んでいる。子どものこともあるだろうし、無理せず働いてください。」

一気に自分の自己肯定感が崩れ落ちた瞬間でした。

何とか心のモヤモヤを沈め1年働きました。

ありがたいことに保護者からはまたもや温かい言葉をいただけたことが私を救ってくれたと思います。

色々考えました。
今の私にできる仕事は何だろう
園長の思い通りに働かないとだめなのか
私はどんな先生になりたいのか



子どもの前に立ち子どもの人間形成のお手伝いを保護者とともにしたい!
後輩の指導をしながら、職員たちに働く楽しさを知ってほしい

しかし、園長に言われた「無理せず働いてください」の言葉が忘れられず、その後退職の道を選びました。
「退職!?何でなんだ!!」と怒鳴られましたが、
「私の居場所はもうないからです。」と最後にはっきりと言いました。
涙涙の話し合い。

園長に何度も「考えなおしなさい」と言われましたが、
「もうこの職場では限界」「この園長の下では限界」となったのです。

3.転職をして気づいたこと「幼稚園と保育園の違い」

1度目の転職は幼稚園でした。私の今までのキャリアを勝ってくれ給料も前職と同等にしてくださいました。
ここでは2年しか勤めることはことができなかったのですが、畑仕事をしたり、和太鼓をしたり、今までと違う保育内容を経験できとても良かったです。

実は退職した理由は2人目の妊娠が分かったから、普通なら育休・産休を取れるはずですが、幼稚園教諭ではなく常勤講師という肩書だったので、育休、産休が取れず泣く泣く退職といった感じです。

退職後も少しは働きたいと思い、市政だよりを見て、役所の子ども課に面接に行くと「こんなにキャリアがあるなら、保育所で働き!」と言われ、妊娠していることを了承してもらったうえで、保育所勤務が始まりました。しかし、数週間働いてお腹の子どもを流産してしまい、退職を選択しました。「体調が回復したら、そのまま続けたら?」と言われましたが、数週間で分かりました。私は保育所は向いてないかも…。って。職員の雰囲気、園長の存在が怖すぎました。

生活をするためには働かなくてはなりません。
次に選んだのは、保育園でした。この理由はシンプルです。37歳だった私は、幼稚園は体力的にも難しいし、募集すらなかったから。私自身子育てママということもあり、保育園での様子を体験したいという思いもありました。

保育園もいろいろな母体がありますが、私が選んだのは企業主導型の保育園です。その理由は、いろんな経歴を持った人が集まり、違った視点で物事を見れるのではないか。そして働くママの力になりたいと思いました。

はじめはそこでも人間関係に疑問を抱くことになります。
なんといっても「幼稚園と保育園って違いすぎる!!」と思いました。

同僚たちと話をすると、厳しい園が嫌で退職し、この保育園でゆるく働きたいという方が多めだったのです。

なので、お世辞でも熱心とは言えません。

私みたいなタイプが入ってきて、はじめはすごく煙たがられました。
「あんた何?」喋りかけないでオーラが凄い…。

でも実は人が好きで、話したら止まらない方ばかりだった。
保育士出身の方はバリヤーを張ってしまう方が多いのかなと思いましたね。

そんな園で4年目になります。

4.保育士の賞味期限

保育士の賞味期限ってあると思いますか?
以前SNSで「お局っていつから?何年目からだと思う?」というアンケートを取るとこんな答えが出ました。

・10年以上で
・その職場でキャリアが一番上になったら
・現場の年齢で一番上になったら

最初の園はもう、賞味期限切れだったのかもしれません…
今の職場は年齢で言うと3番目(笑)もうすぐです。。

賞味期限と言われるとあまり良い気分じゃないかもしれませんが、
働く場所がこれからも活躍するためには、新しい人を育てないといけない、新しい人にバトンタッチしないと、いけません。
この世を、未来を担うのは新しい人材ですから。

いつまでも私がリーダーではいけない。

6年前の私に言ってあげたいです。。

前職の職員が優秀過ぎたのかもしれません。

そう思えたのは、今の職場の年下の先生の働き方に疑問を持ったから。
仕事ができる、できないではないんです。

今まで指導してきてもらった先輩の指導不足なのか
ただ1日をなんとなく過ごしている保育士が多すぎる
そんな人間に子どもの未来を託していいのか

子どもの前に立つ人間として、あなたは何を伝えられる人なのかを考えないといけないよ。
なぜこの職業を選んだの?

ゆるく働いている先生にこんなことを言っても響かないかもしれませんが、言い続けなければいけないとも思っています。

好きを仕事にできるのはとてもありがたいことだけど
好きだけではダメなんです。
社会に出るということは、社会に馴染む努力をしないといけないということ

好きな仕事の上に目的を作り、毎日目標を立てましょう
仕事の進め方につまずいている方
仕事を教えるのに悩んでいる方

そんな方たちの力になるのが、次の私の役割なのです

現場の先生が前を向いて一歩、二歩軽やかに歩ける伴走者になります。

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