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宮澤賢治『春と修羅』序を読み解く ―賢治作品を読み解く出発点ー
賢治の詩集『春と修羅』に興味を持っても、最初の序文で出鼻をくじかれる人も少ないのではないでしょうか。いきなり訳が分からない。私もそうでした。そこで、今回は『序』の解説をしてみようと思います。
『序』は、5つの連で構成されています。初めに小見出しをつけてみますね。
A 「わたくし」について自己紹介します
B 詩は全てわたくしの心象をスケッチしたものです
C 理屈はさておき自分が見たそのままを写し取ったのです
D 今は意味不明だけどいずれ真実になるかもしれません
E 時空を超えて書いた詩をどうぞ楽しんでくださいね
こんな風にまとめてみると、一見難解なように見える作品が、少し近づきやすく感じます。
では、もう少し詳しく読んでいきましょう。
A 「わたくし」について自己紹介します
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
第一連の理解は重要です。賢治が自分自身を分析した言葉であり、賢治作品を読み解く出発点です。
自分は現象に過ぎない。ここには、仏教の無常観と此縁性、カントの認識論が読み取れます。
〇 あなたが見ている私は、常に変化し続けていて、次の瞬間には別の私に
なっている。
〇 さらに私は他の万物との縁起で結ばれており、お互いに影響し合いなが
ら存在している。
〇 あなたが見ている私は、このような定まりのない視覚情報を認識してい
るに過ぎない。
〇 実在するかどうかではなく、現象として見えている私が、今この瞬間の
私なのである。
さらに自己紹介は続きます。自分は有機交流電燈、因果交流電燈の照明だという。有機は生物であること、交流は一定の周波数で常に変化していること、電燈は自分が視覚情報であること、因果は他者と縁起で結ばれていることを表しています。ただし、自分を照明だと規定する心理には、暗闇を照らし出す灯明としての自分を意識があるのかもしれません。
透明な幽霊の複合体とは、現象に過ぎない私が連続することで私は存在しているという意味です。そして、それは常に明滅しています。定まりなく生滅する、つまり無常なのです。
B 詩は全てわたくしの心象をスケッチしたものです
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
詩には全て日付が付されています。二十二か月を掛けて書き連ねた詩集です。この間には妹の死があり、賢治にとって激動の二十二か月間だったことでしょう。
賢治にとって、目の前の風景は自分と同様に現象です。常に明滅し、生滅を繰り返しています。光と影が鎖のようにつながりあって因果を形成しています。その生滅変化する風景は、賢治の視界に映る景色であるだけでなく、心情とも重なっています。景色と心情が溶け合い混ざり合ううちに、心の中に描いたスケッチを心象スケッチと呼んでいるのです。
C 理屈はさておき自分が見たそのままを写し取ったのです
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
人文学も天文学も宗教も生物学も、個別の学問として成立しているのではなく、一つの風景の中に描くことができると賢治は認識しています。賢治にとってそれは誇張した比喩表現ではなく、実際にそのように見えているのだと思います。記録された景色がそのままの景色だと、賢治が言っているのだから、その通りなのです。このような世界の捉え方は、自分の中でだけ起きていることではないと賢治は考えています。自分と他者は縁起で結ばれています。自分と他者は常に影響し合っているのです。
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから)
この内言の挿入は、因陀羅網(インドラの網)を想起させます。
D 今は意味不明だけどいずれ真実になるかもしれません
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
話が壮大で理屈っぽいのですが、言っていることはシンプルです。この世に常在するものなどない。常に変化し続ける。この詩に書いた言葉の意味さえ、今この瞬間にも変わっていく。常識となっている科学的知識もまた、未来には全く違った理論が形成され、違った世界を誰もが目にすることになる。賢治の予言です。気圏から化石を発掘するなんて、賢治の想像には夢があります。
E 時空を超えて書いた詩をどうぞ楽しんでくださいね
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
『春と修羅』が発刊された数年前に、相対性理論が発表されています。内容の理解のほどはわかりませんが、概要は知っていたでしょう。時間と空間を統一する理論に賢治は強いあこがれを感じたはずです。何しろ賢治は法華経世界を超えて、科学や文学、芸術さえも統一する世界観を構築しようとしていたからです。
収録されている詩群は、心象スケッチであると同時に命題です。ただ感性でとらえただけでなく、知性でそう判断した。科学者でもあろうとした賢治ならではの宣言でしょう。心象も時間も科学も風景も取り込んだ四次元空間の中で創出した詩であることを、最後の連で伝えようとしています。
いかがでしたでしょうか。まだまだ難解さを感じる人もいると思います。私も同じです。でも、この前提を起点にして進まなければ、『春と修羅』が読み解けないような気がしています。
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