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ランドセル一択からの脱却 

ピカピカの1年生が背負うものといえばランドセル。
最近では「ラン活」ということばもあるほど、ランドセル選びも加熱している。
私も子ども3人のランドセルを買うときには、あれこれ悩んで選んだものだ。
色も形も選択肢が増えた上に値段は上昇傾向。こりゃ「活動」にもなるわ、と実感した。

ランドセルは新1年生の象徴だが、違和感を持ったのは実際に子どもが使うようになってからだ。
子どもがランドセルを持って喜んだのは入学式だけだった。
それ以降は重い、背負いにくい、肩が痛いと不満ばかりだ。

子どもが通う学校では昔、通学中にサブバッグを車にひっかけられて怪我をした子どもがいるらしい。そのため水筒や体育着入れもランドセルに入れるように指導している。
もちろん入らないので、ポケット付きのランドセルカバーをかけてスペースを広げている

そのせいで、ますます重い。
担任によっては教科書をすべて持ち帰るよう指導する先生もいたため、いつもパンパンだ。

子どものランドセル、大人の体感では約19キロだという。

めちゃくちゃ重い。
これで片道15分歩いて学校に通うのはつらい。
通学路が歩道ではない道が多いということもあるが、これだけの荷物を持って登校させるのが嫌で、我が家は車で送迎している。

大きなランドセルを背負う小さな小学生を見て、「ランドセルのほうが大きく見えるねー」とほほえましく眺めるのは無意識の悪意なのではないか。

ランドセル商戦だ「ラン活」だと話題になるたびモヤモヤしていたが、今日の地元の新聞でこのような記事が出ていた。

小学校といえばランドセルというイメージがあったのだが、学校が推奨しているわけではなく、慣習だという。
だとしても全員が持っていたらランドセルを選んでしまうだろう。
そのような中、「ランドセルでなければならないと決まっているわけではない」と学校側が通知を出した。

これは画期的だ。

重くて高いランドセルではなく、軽くてそこまで高額ではないバックパックやランリュックが選びやすくなる。

沖縄には生活の厳しい家庭も多い。
平均5、6万円するランドセルを購入するのは大変なことだ。
「ランドセルじゃなくていいよ」と学校側が言ってくれるだけで、どれだけの家庭が助かることか。

山内小学校につづいて、他の学校でも通知を出してほしい。
たくさんの選択肢の一つとして、ランドセルがあるということを示してほしい。

子どもが納得するならば、我が家もランドセルをやめて、もっと軽いカバンを買いに走りたいくらいだ。

山内小の通知は画期的だが、気になることもある。
ランドセル以外を選んだ子への配慮はどうなっているのかという点だ。

「ランドセルでなくていいよ」と学校が示すのなら「ランドセル片付けて」などの呼びかけや、ランドセルにまつわる歌を歌わせたり、絵本を読み聞かせするのは控えるべきだろう。

新しい選択肢を受け入れるには、それなりに摩擦がある。
大人は世界は広くて選択肢がたくさんあることを知っているが、子どもの多くは小さな教室と家庭だけが世界の全てだ。
そのような中で、マイノリティになるのはつらい。
平気な子もいるだろうが、「周りから浮きたくない」という子も多いはずだ。

ランドセルの子、そうじゃない子も、疎外感がない学級運営をしてほしい。

よく分からない校則がなくなっていったように、ランドセル一択の考え方もなくなってほしい。

よく分からない慣習をひとつひとつ見直すことで、救われる人がいる。
当然だと思っていることを、もう一度問い直す大切さを感じた日になった。

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