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【山の心得】~日本一の歴史編~

こんにちは!みーちゃんです!!

今回の記事にも大きく関わってきますが、本日7月1日は富士山の山梨県側が山開きしました。
毎年インバウンドの影響もあり、富士山の登山者は年々増えている状態です。そんな状況から、山梨県側はさまざまなマナー対策や安全対策の観点から新しいルールを講じたようです。

・一日の登山者数の上限を4000人にする
・1人2000円の通行料を徴収
・午後4時から翌日午前3時までの間は登山道を閉鎖

と、さまざまな対策を打っていく方針のようですね!

私も上記の対策には賛成です。個人的な意見ですが、すでに観光大国となっている日本は観光税や旅行税をもっと取るべきだと思います。
ブータンはすでに「観光税」を徴収しており、その金額は1人なんと1泊200ドル(約32,000円)を徴収しています。宿泊費や食費はもちろん別です。

観光大国になってしまった日本の2030年における訪日外国人数の目標は6,000万人です。
単純計算で32,000円×6,000万人=1.9兆円の経済効果が予測できます。
オーバーツーリズム対策や、国の財源として、ぜひ取り組むべきだと思います。
地元の観光インフラの整備や拡充の財源に充てるのはとても大事ですよね。

【山の心得⑱】~日本一の歴史編~

と言う事で今回はタイトルの通り「歴史」に関して記事にしたいと思います。

日本一高い山と言えばあなたはわかりますでしょうか?

・・・・そうです。「富士山」です。
では日本で一番低い山はご存じでしょうか?

・・・・・・

実は大阪にある「天保山」という山が実は日本で一番低いとされております。ご存じでしたか?

今回は山開きという事もあり、日本一高い山「富士山」と日本一低い山「天保山」の歴史に関して記事を起こしていきたいと思います。


富士山の歴史

概要と標高
➡富士山(ふじさん)は日本を代表する山であり、その標高は3,776メートルで、日本一高い山です。
静岡県と山梨県の境に位置し、その美しい円錐形の姿から、日本の象徴ともいわれています。

地質学的な歴史
➡富士山の歴史は約10万年前にさかのぼります。
当初、富士山は現在のような形をしておらず、幾度もの噴火と火山活動を繰り返して現在の姿になりました。
特に重要なのは、数十万年前から続く火山活動によって形成された「小富士」「中富士」と呼ばれる時代があり、その後現在の「新富士」約1万年前に形成されました。
この新富士の噴火活動によって、現在の美しい円錐形の山体が出来上がりました。

有史以来の噴火
➡富士山は歴史上、たびたび噴火を繰り返してきました。
特に記録に残る噴火としては、864年の「貞観の噴火」、1707年の「宝永大噴火」が有名です。
貞観の噴火では大量の溶岩流が発生し、現在の青木ヶ原樹海が形成されました。宝永大噴火は、山腹に大きな火口を作り、多量の火山灰が江戸(現東京都)まで降り積もるほどの規模でした。
この噴火後、富士山は休眠状態となり、現在に至っています。

宗教的・文化的意義
➡富士山は古代から神聖な山とされ、信仰の対象となってきました。
古くは、富士山を神と崇める「浅間(あさま)信仰」がありました。
この信仰は、火山の神である「浅間大神(あさまのおおかみ)」を祀るもので、現在も富士山本宮浅間大社などでその名残を見ることができます。
平安時代には修験道の修行の場としても利用され、多くの僧侶や修験者が山を登りました。
鎌倉時代には富士山の信仰がさらに広まり、各地から参拝者が訪れるようになりました。
特に、室町時代以降には富士講と呼ばれる民間信仰が盛んになり、多くの人々が富士山に登り、参拝するようになりました。

登山の歴史
➡富士山への登山は、江戸時代に一般庶民にも広がりを見せました。
特に、富士山信仰を持つ信者たちが富士登山を行い、「御師」(おんし)と呼ばれる登山ガイドが活動しました。
江戸時代後期には、御師たちは登山者を宿泊させ、祈祷を行い、山への案内を行いました。
これにより、富士山への登山が庶民の間にも広がりました。

西洋人の登山
➡富士山に登った最初の西洋人として知られるのは、1860年代の英国人ミッションリー、チャールズ・ワーグマンです。
彼は、日本において富士山の魅力を紹介し、西洋人の間でも富士山登山が注目されるようになりました。
ワーグマンの登山以降、多くの外国人が富士山を訪れ、その魅力を体験しました。

観光地としての富士山
➡現在では、富士山は日本を代表する観光地となり、年間30万人以上の登山者が訪れています。
2013年には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」としてユネスコの世界文化遺産に登録され、その文化的・自然的価値が世界的に認められました。
富士山の美しい景観と信仰の歴史は、多くの人々に愛され続けています。


天保山の歴史

概要と標高
➡天保山(てんぽうざん)は、大阪市港区に位置する人工の山で、標高はわずか4.53メートルです。
そのため、日本一低い山として知られています。

歴史
➡天保山の歴史は江戸時代にさかのぼります。
1831年(天保2年)、淀川の河口に土砂が堆積し、それを利用して築山が作られました。
この築山が後に天保山と呼ばれるようになりました。
築山の目的は、船の目印としての灯台の設置や、川の浚渫(しゅんせつ)による土砂の積み上げによるものでした。
山の名前は、天保年間に築かれたことに由来しています。

観光と文化
➡天保山はその低い標高から、観光地としてもユニークな存在となっています。山頂には「天保山頂上」の標識が設置され、登山記念のスタンプを押すことができるスポットもあります。
観光客にとっては、「日本一低い山を制覇した」というユニークな体験が人気です。
また、天保山周辺には天保山公園や天保山マーケットプレイス、大阪海遊館などの観光施設もあり、家族連れや観光客で賑わっています。

イベントとコミュニティ
➡天保山では毎年「天保山登山競争」というイベントが開催され、地元住民や観光客が楽しんで参加しています。
このイベントは、メディアでも取り上げられることが多く、大阪の一つの名物となっています。

天保山の意義
➡天保山はその低さから一見すると目立たない存在かもしれませんが、その存在は都市の歴史や地形の変化を物語っています。
人工的に作られた山として、大阪の産業と交通の発展に寄与し、また市民の憩いの場としても重要な役割を果たしています。


ということでまとめると

富士山と天保山は、その標高の違いから対照的な存在ですが、それぞれが持つ歴史や文化、そして人々に与える影響は非常に大きなものです。
富士山は日本の自然美と信仰の象徴であり、一方の天保山は人々の創意工夫と都市の発展を象徴しています。
この二つの山を訪れることで、日本の多様な地形と文化を深く理解することができると言えるでしょう!

という訳で今回の【山の心得】は
「日本一の山2つ」
に関して記事に致しました。

今回も最後までご拝読頂きありがとうございます!

また次回もご拝読頂けると幸いです。!

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