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ネガティブ・ケイパビリティ(英語: Negative capability)

ネガティブ・ケイパビリティ英語: Negative capability)は詩人ジョン・キーツが不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。

ウィリアム・ヒルトンによるジョン・キーツの肖像画(1822年頃)

日本語訳は定まっておらず、「消極的能力」「消極的受容力」「否定的能力」など数多くの訳語が存在する。『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』によると、悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことであり、この共感が成熟する過程で伴走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティ。キーツが発見し、第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンウィルフレッド・ビオン
Wilfred Bion

1916年 軍服のビオン

生誕1897年9月8日インドマトゥラー
死没1979年11月8日(82歳没)
イギリスオックスフォード
白血病居住イギリス
インド国籍
イギリス研究分野精神医学
精神分析学
対象関係論出身校オックスフォード大学
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン

により再発見されたとのこと。

$理論

キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」の理論は1817年12月21日日曜日付けの弟宛ての書簡に表明されている:

私はディルクにさまざまなテーマで論争ではないが長い説明をした。私の心の中で数多くのことがぴたりと符合しハッとした。特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。

キーツは、偉人たち(特に詩人)には全ての物事が解決できるものではないということを受け入れる能力があるのだと信じた。ロマン主義者としてのキーツは想像の中で見出される真実により神聖な真正性に接することが出来るのだと考えた。そのような真正性は他の手段によっては理解し得ず、よってキーツは「不確かさ」と書いた。この「不確かさの中(にあること)」は俗世のすぐそこにある現実と、より完全に理解された存在のさまざまな可能性との狭間にある場所であった。これはキーツの「多くの部屋のある館」(en:Mansion of Many Apartments)というメタファーと関係している。

キーツはこの概念を多くのの中で探求したと考えられる:

ネガティブ・ケイパビリティは、意図的に心を柔軟に持つ状態として他の作家たちの文学的・哲学的スタンスにも並行して見出される。1930年代には、アメリカ合衆国の哲学者ジョン・デューイが、デューイ自身の哲学的プラグマティズムに影響したとしてキーツのネガティブ・ケイパビリティを引用し、キーツの手紙が「生産的思考の心理学を数多くの論文よりも豊富に含んでいる」と書いた。

ネイサン・スコットは著書『ネガティブ・ケイパビリティ――新しい文学と宗教状況の研究』において、ネガティブ・ケイパビリティはマルティン・ハイデッガーの「ゲラッセンハイト」の概念、「我々にとって不確かさや不可解さたり得るものの中に物事がそのままあるに委せることを可能にする精神の自由さ」と比較されてきたと指摘した。

キーツの伝記作家ウォルター・ジャクソン・ベイトは1968年の『ネガティブ・ケイパビリティ――キーツにおける直感的アプローチ』でこのアプローチを詳細に追求している。作家フィリップ・プルマンファンタジー小説『神秘の短剣』においてキーツの手紙を引用しそれを顕著に具現化した。


$ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
単行本 

帚木蓬生 (著)

$解説
多くの受賞歴をもつ小説家であり、臨床40年の精神科医が
悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことだ。
この共感が成熟する過程で伴走し、
容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティである。

古くは詩人のキーツが
シェイクスピアに備わっていると発見した「負の力」は、
第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンにより再発見され、
著者の臨床の現場で腑に落ちる治療を支えている。
昨今は教育、医療、介護の現場でも注目されている。
セラピー犬の「心くん」の分かる仕組みから
マニュアルに慣れた脳の限界、
現代教育で重視されるポジティブ・ケイパビリティの偏り、
希望する脳とプラセボ効果との関係……
せっかちな見せかけの解決ではなく、
共感の土台にある負の力がひらく、発展的な深い理解へ。

【目次】
●はじめに――ネガティブ・ケイパビリティとの出会い
精神医学の限界
心揺さぶられた論文
ポジティブ・ケイパビリティとネガティブ・ケイパビリティ

【第一章】キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」への旅
・キーツはどこで死んだのか! ?
・燃えるような愛の手紙
・キーツの短い生涯
・文学と医師への道
・経済的困窮の中で「受身的能力」へ/ほか

【第二章】精神科医ビオンの再発見
・精神分析におけるネガティブ・ケイパビリティの重要性
・ビオンの生涯
・第一次世界大戦の戦列へ
・精神分析医になる決意
・ベケットの治療から発見したこと/ほか

【第三章】分かりたがる脳
・セラピー犬、心くんの「分かる」仕組み
・マニュアルに慣れた脳とは?
・画一的思考が遅らせたピロリ菌の発見
・分かりたがる脳は、音楽と絵画にとまどう
・簡単に答えられない謎と問い

【第四章】ネガティブ・ケイパビリティと医療
・医学教育で重視されるポジティブ・ケイパビリティ
・終末期医療で医師には何が必要か
・ネガティブ・ケイパビリティを持つ精神科医はどうするか
・小児科医ウィニコットの「ホールディング」(抱える)
・人の病の最良の薬は人である

【第五章】身の上相談とネガティブ・ケイパビリティ
・日々の診療所から
・八人の受診者
・身の上相談に必要なネガティブ・ケイパビリティ

【第六章】希望する脳と伝統治療師
・明るい未来を希望する能力
・楽観的希望の医学的効用
・山下清を育んだもの
・ネガティブ・ケイパビリティを持つ伝統治療師
・精神療法家はメディシンマンの後継者/ほか

【第七章】創造行為とネガティブ・ケイパビリティ
・精神医学から探る創造行為
・芸術家の認知様式
・小説家は宙吊りに耐える
・詩人と精神科医の共通点

【第八章】シェイクスピアと紫式部
・キーツが見たシェイクスピアのネガティブ・ケイパビリティ
・理解と不理解の微妙な暗闇
・紫式部の生涯
・『源氏物語』の尋常ならざる筋書き
・源氏を取り巻く万華鏡のような女性たち/ほか

【第九章】教育とネガティブ・ケイパビリティ
・現代教育が養成するポジティブ・ケイパビリティ
・学習速度の差は自然
・解決できない問題に向かうために
・研究に必要な「運・鈍・根」
・不登校の子が発揮するネガティブ・ケイパビリティ/ほか

【第十章】寛容とネガティブ・ケイパビリティ
・ギャンブル症者自助グループが目ざす「寛容」
・エラスムスが説いた「寛容」
・ラブレーへ
・モンテーニュへ
・つつましやかな、目に見え難い考え/ほか

●おわりに――再び共感について
共感の成熟に寄り添うネガティブ・ケイパビリティ
共感豊かな子どもの手紙

$読者レビューより引用・編集
当方、企業の研究開発一筋57年、82歳の今も、ラストワークと位置付けたある工学課題と格闘してる。
本書タイトル「ネガティブケイパビリティ」のサブタイトルは「答えの出ない状態に耐える力」とある。今尚その状態を耐え続けてる自分を分りたい一心で、一気に読んだ。
 これまでの教育はポジティブ・ケイパビリティ、つまり、問題をいかに素早く解決するかの教育。なるほど、だから6年もかけ大学を出た落第生の自分は問題解決に時間を要し、未だにやってるのか・・。
でも、ただの落第生なら、とうに投げ出してるだろうから、自分は、ネガティブケイパビリティを持ってる、ということ・・?。本書は、ネガティブケイパビリティを好きこと、ポジティブな力としてとり上げてるようだから、まさか、落第生が答えの出ない状態にただ手を拱き、無為に時間をつぶしてるなんて言わないよね!
 わが意を得たり状態に至れぬまま読み進み194頁、研究に必要な「運・鈍・根」はネガティブケイパビリッティの別表現とある。「運」が舞い降りてくるまでは、辛抱強く待たねばならない。「鈍」は、浅薄な知識で、表面的な解決を図るなと言う戒め。敏速な解決を探る態度とは正反対の心構え。そして、「根」は根気、結果が出ない実験、出口の見えない研究を続ける根気なくしてはゴールに辿り着けない。これだ!正に、これが俺だ。
 

$商品の説明

出版社からのコメント

「帯」の種類が複数あり、どのデザインがお手元に届くか判らない状態です。 ご理解のほどよろしくお願いいたします。

内容(「BOOK」データベースより)

「負の力」が身につけば、人生は生きやすくなる。セラピー犬の「心くん」の分かる仕組みからマニュアルに慣れた脳の限界、現代教育で重視されるポジティブ・ケイパビリティの偏り、希望する脳とプラセボ効果との関係…教育・医療・介護の現場でも注目され、臨床40年の精神科医である著者自身も救われている「負の力」を多角的に分析した、心揺さぶられる地平。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

帚木/蓬生
1947年、福岡県生まれ。作家、精神科医。東京大学文学部、九州大学医学部卒業。九大神経精神医学教室で中尾弘之教授に師事。1979~80年フランス政府給費留学生としてマルセイユ・聖マルグリット病院神経精神科(Pierre Mouren教授)、1980~81年パリ病院外国人レジデントとしてサンタンヌ病院精神科(Pierre Deniker教授)で研修。その後、北九州市八幡厚生病院副院長を経て、現在、福岡県中間市で通谷メンタルクリニックを開業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい、1947年 -)は、日本小説家精神科医

ペンネームは、『源氏物語』五十四帖の巻名「帚木(ははきぎ)」と「蓬生(よもぎう)」から。本名は森山 成彬(もりやま なりあきら)。

$経歴

福岡県小郡市生まれ、福岡県立明善高等学校卒。九州大学医学部卒、東京大学文学部仏文科卒。

東京大学仏文科卒業後TBSに勤務。2年後に退職し、九州大学医学部を経て精神科医に転身する。その傍らで執筆活動に励む。

1979年、『白い夏の墓標』で注目を集める。1992年、『三たびの海峡』で第14回吉川英治文学新人賞受賞。八幡厚生病院診療部長を務める。2005年、福岡県中間市にて精神科心療内科を開業。開業医として活動しながら、執筆活動を続けている。

医学に関わる作品が多く、また自身(精神科医)の立場から『ギャンブル依存とたたかう』を上梓している。

2008年、短編「終診」(『風花病棟』に収録)を執筆後にたまたま受けた定期検査で急性骨髄性白血病に罹っていることが判明。半年間の入院生活の後、復帰した。

2019年、小郡市ふるさと文化大使に任命される。





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