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【短編小説】「If I Can't Be Yours」(3/3)

 僕は完全に美景みかげを見失った。
 もう、どの方向へ向かったのかも分からず、僕もまた母子同様、その場にしばし立ち尽くしてしまった。最悪、電話を掛けるという手段もあったが、生憎僕は、美景のメールアドレスこそ控えていたものの、携帯の番号は知らなかった。腕時計を見ると、約束の三時を過ぎていた。達哉は待ち合わせ場所に着いただろうか。今から引き返して達哉と落ち合い、達哉に電話で美景を呼び出してもらい、予定通り映画館に向かうか、それともこのまま美景を追い、美景が見つかるまで探し続けるか。僕は選択を迫られた。
 子どもの頃から、オカルトの類いは全く信じていなかったが、直近の母子の出来事が、まるで自分にブレーキと言うのか、立ち止まることを求めているような気がして、迂闊うかつには美景を追うという選択肢を選ぶことは出来なかった。このまま美景を追えば、何か痛い目を見るのではないか。そんな予感すら働いた。
 僕がそうこう思案しているうちに、気づけば母子の姿が消えていた。それがまた、僕にとっての合図となった。母子は結果的に事なきを得たのだから、僕もおそらく大丈夫だろうと、一転、都合よく自分の運命を転がして、ここは美景の後を追い続けることにした。心の中で、達哉悪いと、まるで達哉のことを裏切るような気持ちで呟いた。

 携帯電話が鳴った。すぐに達哉からだと分かった。
「もしもし」と出る。
「悪い。さっき着いたんだけど、裕翔ゆうといなくね」
「ああ。今、コンビニでトイレ借りてた」 
 当然、嘘だ。僕は予定をほっぽり出してどこかへ向かった美景のことを、何故か達哉には隠しておきたくなった。
「そこのセブン?」
「いや」
「美景は?」
「何か、一人で先に」
 慣れない嘘からぼろが出ないように、電話越しに、慎重に言葉と感情を取り繕う。動揺一つ見せたら、ジエンドくらいの気持ちで。
「ったく、なんだよそれ。まあでも、お前の言うこと聞くようなやつじゃないか」
「あのさ、達哉。悪いんだけど俺、ちょっと調子悪いみたいなんだ」
「腹か?」
「分かんないけど、朝から」
「映画どうするよ?」
「悪いけど、パスしてもいい?」
「調子悪いのに、長時間拘束されるのは酷だろうから、仕方ねえよ」
「悪い。ありがとう」
「美景は先に行ったんだな」
「うん」
「分かった。じゃあ、気を付けて帰れよ」

 慣れないと言いながら、最後まで嘘を、いや本当のことを言わずに、会話を続け通した自分のふてぶてしさに、我ながら驚いた。恋人同士の時に、達哉が美景に時間を操られていたように、美景の与り知らないところで、僕もまた、知らず知らずのうちに、美景のために嘘を吐くように仕向けられてしまったようだった。人間とはこうまでして簡単に、自分の行動を操られてしまうものなのかと、美景のことが空恐ろしくなった。いや、美景は何もしていない。何一つしてはいない。僕に対して思わせぶりな態度を取ったこともないし、友人と言う境界線を頑なに守ろうとするかのように、今日のイヤホンの件を除けば、僕の領域に立ち入るようなことは決してなかった。
 てこの原理で言えば、美景が支点になっていることは否定しようがなかったが、力点となっているのはあくまで僕自身で、自分の言動が自分自身の感情によって、作用ならぬ、左右されているに過ぎなかった。ただ一度、感情が転がり出した以上、容易に止まることも出来ない。物理法則は物質だけではなく、当然人間にも働いている。果たして、坂を転げ落ちる雪だるまとなった僕は、一体どこへ向かうというのだろうか。

 宛先の分からない郵便物は、然るべきのち、差出人へと返送される。それが道理と言うものだ。僕は肩を落とし、来た道をそのままなぞるように、待ち合わせ場所に引き返していた。どうやら僕には、探偵業は向いていないようだった。もはや、達哉もいない場所に舞い戻っても、どうしようもないことは分かっていたのだが、万が一、美景が戻ってきている可能性も考え、その一縷の望みに掛けようと思った。
 その最中、携帯が鳴り、メールを受信した。ポケットから取り出して折り畳み式を開き、液晶画面を見ると、珍しく美景からメールが届いていた。

 ――やっと見つけた。 
 僕は思わず、辺りを見回した。場所は変わっても、ひっきりなしに行き交う人混みの中に、美景の姿を探す。しかし、いくら探しても美景は見つからなかった。遅れて、再び携帯が鳴った。また、美景からだった。
 ――ちょっと値が張ったけど、手に入った。
 僕は意味が分からず、返信する。
 ――何のこと?
 ――あ、ごめん。レコード。さっき聴かせた。
 僕が美景のことを探していたように、美景もまた、僕のことを探し、やっと見つけたと送ってきたのだと勘違いしたことに、瞬間からだが、かっと熱くなるほどの恥ずかしさに襲われたが、美景の突然の行動に、ようやく合点がいった。
 ――なんだ。それで急に。
 ――達哉は?
 ――一人で映画館向かったよ。
 ――どういうこと?
 僕はここで、美景に正直に答えるべきか非常に悩んだ。考えてみれば、そもそも僕に、読唇術など使えるはずはなく、美景が僕に、一緒に行こうなどと言うはずもないことは、分かり切っていることだった。都合の良い勘違いも、ここまで来ると目も当てられない。ただ、勘違いしてしまったのは、自分にもそれなりの理由があった。僕はすでに、達哉に嘘を吐いてしまったのだから、友人と言う境界線を踏み越えようとしたのは間違いなかった。だが果たして、勇気を振り絞って踏み越えた先に、自分が望むような関係が待っているのだろうか。はなはだ心もとない確率に賭ける自信は、その時の僕にはなかった。それでも。
 ――いいんだ。達哉は。そもそも、僕たちと先輩は全然関係ないし。
 ――私のことなんて気にしないで、一緒に行けばよかったのに。
 ――美景もさ、無理に達哉に付き合う事ないんじゃないかな。
 ――別に、無理してるつもりはないけど。
 ――なら、いいけど。美景はこれからどうするの?
 ――うーん、どうしよ。達哉には悪いことしちゃったし。
 ――今、俺、待ち合わせ場所にいるんだけど、来る?
 ――え、なんで?
 ――いや、美景が戻って来るかと思ってさ。
 そこで一度、信号待ちのように返信が止まったのだが、携帯を握りしめながら待っていると、
 ――分かった。じゃあ、とりあえず、裕翔がいるとこ行くね。
 と、美景から返信が届いた。

 間髪を入れず、初めて会話のようになされたメールのやりとりは、僕と美景の距離を、少しだけ近づけたような気がした。と言うのも、僕の自分勝手な勘違いなのだろうが、今は勘違いでも良いと思った。ここで待っていれば、美景が僕に会いに来る。それだけで、僕はもう十分だった。
                               おわり

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