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ひみつの子ども部屋

今年の正月は数年ぶりに実家に泊まった。といっても嫁いでいるわけではない。家を出たあと私の部屋は母の物置と化し、とても盆や正月に過ごせるような状態ではなかったからだ。

それまで私はスープの冷めない距離に愛犬とマンション住まいだった。その愛犬が昨年老衰で亡くなり意気消沈していたところ、母が久しぶりに家族水入らずで正月ぐらい過ごそうと片付けたらしい。終活も兼ねて物を減らしたいこともあって、まとめて不要なものを捨てるついでに。

こぢんまりした6畳の部屋にはベッドや机、エアコンはそのままに、テレビは施設に入った隣の祖母宅から譲りうけたものを置いてくれていた。見違えるほど部屋らしくなったはいいが、私の知る私の部屋ではなく、そのためほんのちょっとだけ落ち着かなかった。
家族で夕飯を食べた後自分の部屋に戻り、長らく変わらない天井のレトロな模様をぼんやり見ると子どもの頃の思い出が浮かんできた。

最も古いこの部屋での記憶は、3歳くらいだったろうか。母に寝かしつけられることが多かったがときどき父が代わりになることもあった。
ある夜、ベッドにいると父が部屋に入ってきてうふふと笑っている。手にはグリコのヨーグルト。子どもの顔がフタについてる甘酸っぱいやつだ。“ママにはないしょ”ということで寝る前に少し食べさせてくれた。
確かそのことがバレて母がお怒りになった。(そりゃそうだ、虫歯になるもん)
父のそういう甘さはずっと変わらない。私の愛犬に対しても可愛さ余って私に内緒で何かしらしていたと思う。

やがて小学校に入り一人で寝られるようになった頃、クラスメイトの影響で「りぼん」を読むようになった。最初に買ってもらったのは1984年5月号。マンガなるものを最初に読んだときは衝撃だった。『ときめきトゥナイト』が大好きでコミックスも集めた。その5月号の表紙も蘭世と真壁くんとヨーコ犬でかわいかったし、とにかく蘭世に憧れまくった。
『ときめきトゥナイト』のコミックスを就寝時間にこっそり読むという夜更かし未満なことをするのが楽しい時期があった。もちろん恐怖の母に見つかると叱られるので、母の足音が聞こえるとすぐさま電気を消しマンガを隠したものだった。
確かこれもバレて母がお怒りになった。

友達が遊びに来たこともある。小2から小3あたり、おこづかいをもらっていて買い食いに興味が出てきた頃だった。時代はビックリマンチョコブームが社会問題になるちょい前くらい。
私はビックリマンには全く興味はなかったが、同級生たちは自由におこづかいでおやつを買っている子もいたし、友達とそういうことをしたかった。
うちではおやつは母に管理されていたため、買い食いなんていけないことといった空気があった。しかし母が仕事でいない日はチャンス。ちょうど家のすぐそばに小さなスーパーがあった。
母不在の日、ついに友達と買い食いを決行。私の部屋でお菓子を食べた。秘密の買い食いを2、3回はしたかもしれない。そんなある日母が早く帰ってきてしまい、友達とお菓子を食べていると私の部屋のドアをノックされた。
焦ってその時遊んでいたピンクのプラスチックのバスケットにお菓子を隠した。

母「(友達に)あ、来ちょったん。こんにちは」
友「おじゃまします・・・」
母「なんかお菓子のにおいするな」
友&私(やっべ)
友「来る前におせんべ食べた」
母「いや、なんか甘いにおいよ」

みたいなやりとりがあった。確かチョコか何かの甘いお菓子を買ったのによりによってかけ離れたしょっぱい系のものを言ってしまった友達は、嘘をつき慣れてないいい子だった。
この件は叱られた記憶がないのでセーフだったと思う。まあ、母にはバレていたかもしれないが。

この友達は植田さんという子で小2まで同じクラスで私とずいぶん仲良くしてくれた。グループで遊ぶより二人でいることが多かった。クラス替えで離れたあと転校してしまったが、しばらく経って手紙をくれた。懐かしくて嬉しくて感極まった私は、そんな姿を見られたくなくてひとりで部屋にこもり封を開けた。中には手紙といっしょに『なめネコ』の免許証や『やじきた学園道中記』のポストカードが入っていたのを覚えている。すごく時代を感じる・・・

ここまで書いておいて何だが私の部屋は小4の時に変わった。それまで何となく父の部屋だった少し広い8畳に移ったのだ。その頃から父が多忙になり帰りが遅く、もともと自室にこもることはほとんどなかった(仕事をほぼ持ち帰らない)ので替わってもらった。新しい部屋は高校を卒業するまで過ごした。

大学で県外に出てそのまま仕事に就き、転職を機に実家に戻ってきたとき、一人暮らしをするまで再び6畳の方を自分の部屋とした。
昔と違うのは、父と母それぞれがテレビを持つようになったこと。実家にいた平成の頃はまだブラウン管だった。質量も値段もかさばることから、だいたい一家に一台。テレビの置き場だった“茶の間”がかろうじて機能していて、うちは家族でテレビを見ていた。時がたちテレビもずいぶん気軽に買えるようになった。根っからのテレビっ子世代の両親はそれぞれ自分の部屋に設置し、各々の時間を楽しむようになった。
そして私である。いい大人が親元に居候の身としては、一番小さな部屋をお借りするのがふさわしい。それは冗談にしてもここは両親が建てた家なんだから二人が快適に過ごせるならそれでいいという気持ちだった。

小3までの6畳は小4~高3までの8畳よりも過ごした時間は少ない。だが、まだ悩みらしい悩みもない幼い日々の幸せだった思い出が印象に残っている。
久しぶりに実家で一番狭い6畳の自分の部屋で寝起きしながら、そんなことを思った。

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