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「どうする家康」第13回、家康の成長のために不穏の種がまかれた上洛編

はじめに
 第12回「氏真」の考察でこの回で第一章完結と捉えましたが、やはり第13回「家康、都へゆく」は、新章開始といった形になりました。明るい雰囲気と笑いに満ちた穏やかな場面を全体に散りばめながら、新しいキャラクターの登場、その裏で進む様々な事態と家康の新たな苦難を予期させる情報量の多い回になっていましたね。
 これまでの話で家康は家康なりに成長してきてはいますが、今川家の人質から三河守となり、今川家滅亡で名実共に戦国大名となった今、これまでの成長だけでは足りない。新たな苦悩と選択を迫られることになります。
 そこで今回は新しく登場したキャラクターと一筋縄ではいかないユーモアシーンから、新章の家康が克服しなければならない課題は何かを考えてみましょう。

1.アバンタイトルの武田信玄の存在感
 第13回は、氏真から義元や自分に変わって戦国大名として生きていくことを「苦しめ」と託される前回の名場面、信玄への報告(前回noteで採り上げた信玄が驚くシーン)が挿入され、前回の引きだった武田との対峙を考える家康の思案顔と武田との対決を意識した緊迫した前回の続きとして始まります。
これは、戦国大名:徳川家康の始まりを、改めて強調していますね。そして、その最初の緊迫感を演出しているのですが…結局、「信玄に謝っておけ」と忠次に和解工作を命じて終わり、緊張していた視聴者的には主戦論の平八郎と共に脱力してしまいます。更にナレーションに「神の君、出陣ならず!」とトドメを刺されてしまうともう笑ってしまうしかありません。
つまり、武田との直接対決の回避を、シリアスな緊迫感を外してくる展開、緊張から弛緩への絶妙な移動と、王道的なユーモアで締めてくれたのですが、ユーモアシーンが笑いだけではない場合が多い「どうする家康」です。ここは、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。

 そもそも、この時点での武田との直接対決は史実的にありませんから、和解工作の指示で前回を締めても良かったはずですし、終わり方としては綺麗です。にもかかわらず、回を跨いでまで、家康の判断を今回の冒頭に持って来たのは、シナリオ及び演出上の狙いがあると考えたほうが自然です。
 そこで、家康の最終判断前の場面、武田家中の会話に注目してみましょう。ここでは、山県が「もし徳川が北条と組んでこちらに責めてきたら」と危惧し、それを穴山が自分たちも無傷ではすまないと受け、危機感を露わにします。実は、駿府に深く侵攻してしまった武田家は、家康の判断次第で大ピンチになるところだったのです(つまり平八郎の主戦論は正しかった)。
 家臣らの不安を前に武田ルシウス信玄は大きく構え「岡崎の童(わっぱ)、もしわしにそれがやれるなら…大したものよ…やれるならな」とニヤリとします。信玄の好戦的な性格が表れたこの破顔は、老獪な戦国大名の風格が出ていますが、一方でもし家康が攻める判断をしたのであれば、信玄は家康を「童」ではなく、同格の戦国大名として認めるという意味合いでもあります。

 しかし、結局、家康は和解工作を選びました。この判断は、直前の思案顔からもわかるように、これまでの家康のような激昂したり、狼狽えて怯えたり、といった感情的なものではありません。兵糧や兵の疲労度など戦力を総合的に見た冷静なものです。ですから、これはこれで理に適ったものだと言って良いでしょう。
 一方で、武田家を滅ぼし戦国大名として名をあげる千載一遇の機会を逃しました。そして、信玄は「所詮、童だったか」と、改めて家康を侮ることになりました。そして、ドラマ的には、この判断で武田家の命脈を保たせた結果、何年かの後に信玄は西上作戦を実行に移します。その作戦によって、家康は生涯三大危機の一つ、三方ヶ原の戦いを招くことになります。逆に言えば、もし家康がこのとき、甲斐に侵攻していたら、武田を滅ぼせずとも信玄は家康を最大限警戒し、三方ヶ原の戦いは起きなかったかもしれないのです。
 つまり、近視眼的には間違いではなかったけれど、大きな目で見れば大きな間違いをしたのが、この冒頭の「信玄に謝っておけ」なのですね。となると、このシーン、やっぱり笑ってばかりいられないのです。

 では、何故、家康は間違った判断をしてしまったのでしょうか。それは、目の前の事態をそれだけでなく、大きな枠組みで大局的に見る視点、先の先を見通す先見性が、家康にはないからです。そして、ここが信玄との大きな差です。
 ただ、これは家康が無能ということではありません。岡崎の一領主の立場でいつ誰に攻め滅ばされるか分からない当初の家康にとっては、目の前で起きたことをとりあえず片づけなければ死んでしまいます。対症療法しか彼に出来ることはなかったのです。しかし、三河・遠江一帯を支配する戦国大名となった今、その対症療法だけでは大きな領土を守ることは出来ません。
 つまり、戦国大名:徳川家康の新章を始めるにあたり、彼に何が足りないか、何を身に着け、克服しなければならないのか、その課題を明確に示すために、わざわざアバンタイトルを前回の引きからの続きとしたのです。そして、新章の敵としての武田家の存在も見せつけてもいます。
 新章で身に着けなればならないのは「大局的な視点」ということになるでしょう。その答えのきっかけが、先走って言えば第13回で信長が掲げる「天下統一」ということになるでしょう。そしてこれが、「厭離穢土 欣求浄土」とつながるのは言うまでもありません。
 新章の伏線に相応しい冒頭をユーモアで印象付けるセンスが巧さと言えるかもしれませんね。

 因みに用意周到で諜報戦に長けた信玄は、西上作戦でも手抜かりはありません。家康視点の本作では描かれないと思うので、いくつか書いておくと、まず宿敵:上杉謙信に対しては、本願寺のリーダーであり、義兄弟でもある顕如(信玄の正室:三条夫人と顕如の妻が姉妹)に越前で一向一揆を起こしてもらうように頼んでいます。そして、信長に対しては浅井・朝倉に対して、出兵を促し、牽制するように求めています。謙信と信長を足止めし、自分が侵攻できる状況を入念に作り出しています。
 信玄の西上作戦は、足利義昭の要請による上洛が目的だったとも、家康のいる遠江への侵攻が目的だったとも所説あるようですが、「どうする家康」が、どちらの説を取るにせよ、家康は信玄に然したる調略もなく武力の真っ向勝負で片づける相手と見られています。今回の家康の判断で、信玄が家康を改めて「小童」と侮ったのは間違いありませんね。


2.新キャラクターの登場による不穏な空気

(1)信康と五徳姫
 オープニング後は、上洛に浮ついている家康と家臣団の様子が描かれます。
 そしてようやく、「どうする家康」では氏真問題のおかげで、今まですっ飛ばされていた長男:信康と信長の娘:五徳姫の婚姻について触れられます。いきなり二人が喧嘩をしているところから始まりますので、二人の史実を知っている視聴者には不穏なものが流れます。が、そこは饅頭を巡る子どもらしい争いであり、家康の逃げ腰の説得と瀬名の義母らしいお叱りで事なきを得、微笑ましい家族関係にされています。ただ、信康も五徳姫も頑固で譲らない点、事あるごとに父に言いつけると言う五徳には、その後の問題を予期させるものが忍ばせてあるのも事実です。

 また五徳姫は信康との間に二人の娘を産みますが男子を産めませんでした。そのため瀬名が信康に側室を勧めるのですが、そのことで嫁姑関係が悪化します。側室問題であれほど悩んだ彼女が、姑になると於大の方と同じことをしてしまうのです。第10回「側室をどうする!」がどう響いてくるのかが期待されますね。

 第13回後半、彼らのために買った金平糖を義昭に献じなければならないとき、金平糖を楽しげに待つ瀬名、信康、五徳姫、亀姫たちの様子が挿入されますが、この幸せな家族関係は近々、見られなくなります(もう二度とない可能性も)。後の不和や不幸を引き立てるために、こうした幸せなシーンをさらりと入れてくるのが「どうする家康」の油断できないところですね。

(2)家康と相似関係の浅井長政
 京を訪れ、様々な偉い御仁たちに振り回された家康に誠実そうな男ぶりを見せるのが、信長の義弟、浅井長政です。平八郎と小平太が浅井の家臣らとの乱闘になった件を上手く処理した好漢ぶりが印象的ですが、彼と家康はよく似ています。穏やかな性格も似ていますが、信長との関係性も似ています。家康は信長が自ら弟と呼ぶ存在で、長政は信長の妹:お市を娶った義弟です。今回、わざわざ信長に「弟たちよ」と言わせている辺りも、その部分を強調していますね。

 また浅井家は京極氏の譜代家臣の国人衆から成り上がり、そして六角氏に従属、家中も分裂するなど小国大名としての悲哀を体現しながら生き抜いて来ています。だから、長政は同じような苦労をして三河をまとめた家康に親近感を持っているのです(家康の「お恥ずかしい」という返答が、実情を知る視聴者には微笑ましいですね)。
 それだけに、「一度でいいから、腹を割って、心ゆくまで語り合ってみとうござった」という台詞が哀しいですね。何も知らぬ家康は「いずれそのような折もありましょう」と答えていますが、長政は「ござる」ではなく、「ござった」と過去完了で述べています。既に裏切る決断をした後であり、それが一刻の猶予もならないことであるという伏線になっています。同時にそのことに苦悩しながらも、親近感が湧く家康に思わず、本音を漏らしてしまうところに、浅井長政の悲劇性があります。長政を演じる大貫勇輔くんの少し哀しげな表情がたまらない一幕です。

 この浅井家の裏切りの理由は史実的には今もってはっきりしていませんので、「どうする家康」でどう語られるかはまだわかりません。しかし、彼は家康と違い、大局を見ている人物であり、そこが絡んでいるであろうとは思われます。家康と似ている長政が、家康と違うのはこの点です。
 注目したいのは、信長が地球儀を二人に見せる場面です。日本の小ささについて信長に問われた家康は、笑いを取ろうとしてダダ滑りしますが、長政は小さい国の中で争っていては諸外国の餌食になるとの認識を示します。彼が日本全体、ひいては世界を見る大局的な視点を信長と共有していることを示しています。そして、ここで初めて、家康は「天下統一」という大きな目的、大局的な視点を信長に示され、教えられ、その協力を促されます。先にも触れましたが、家康に足りない大局的な視点の必要性という点でアバンタイトルと響き合ってきます。

 ともあれ、このような長政がどのような理由で裏切るのかは、次回以降が興味深いところになります。またそのことが、家康が大局を見るようになることとどう影響するかも二人が似ているだけに気になるとことです。そう言えば、このドラマではお市が家康を娶ったかもしれないという話になっていましたから、長政は家康の「もし市と結婚していたら」というキャラクターにもなっていますね。

 因みに家康の近視眼ぶりは、この後の将軍謁見前の「信長殿についてきて良かったかもしれぬな」という感慨深い台詞にも表れています。信長についていくことでどういう事態に巻き込まれていくことになるのか、先が見えていないからこその台詞です。
 ただし、清州同盟を信長が死ぬまで続けた家康の愚直さは、裏切る長政にはない美点であるとフォローもしておきましょう。その愚直さが家康を信頼に足る人物にした面もあるからです。12回までに得た「騙されても人を信じる」は、現在の彼の唯一の武器と言えるかもしれません。

 結局、金ヶ崎の戦いに引きずり込まれ、浅井に裏切られた織田家と共に死にそうな目に遭うのは予告編で示唆されたとおりです。彼には戦国大名同士のパワーバランス、足利義昭と信長の利害関係などが全く見えていないのです。まだまだ身体で死にかけながら、実践で学ぶことが多そうですね。

(2)将軍:足利義昭の胡乱さ~今後の予想という妄想~
 今回の新キャラクターでビジュアル的に衝撃的というか、「麒麟がくる」ファンの美しい思い出を粉々にしたのが、古田新太さんの足利義昭と酒向芳さんの明智光秀でしょう。ざっくり言えば、怪し過ぎですよね(笑)
 まず、足利義昭ですが、だらしない恰好、烏帽子を落とすという破廉恥さ(「鎌倉殿の13人」で烏帽子=パンツと思っている人も多いでしょう)、そして志村けんのバカ殿のようなメイク、一目で愚鈍と見られるような姿です。更に、仲の悪かった近衛前久がかかわった徳川姓の改名を嫌い「松平」と呼び続ける執念深さ、金平糖を貪り食べる下品さが加わり、家康たちが抱く心象は最悪です。源頼朝(大泉洋)がいかにまともで、源頼家(金子大地)と源実朝(柿澤勇人)がいかに美しかったことか…
 
 ただ、この人物を信長は「将軍様は立派なお人だ」と言っています。本作での信長は、通説にある義昭を傀儡将軍にした説ではなく、「麒麟がくる」と同じく義昭を奉じて、その元でオーソドックスな支配と秩序を考えていたという説を取っているようです(一方で「俺と将軍様」と自分優位な言い方もしていますが)。
 だから、現実主義者の彼が、適当なことを言わないように思われます。だとすると、この義昭のバカの振る舞いは、計算されたブラフの可能性が高い。だから、「信長の言うことをよく聞け」と一番肝心なことだけは言っているのですね。
 腹芸の出来ない家康は呆然とするしかありませんが、この先の展開を考えるとこの人物は老獪な黒幕として、その後、様々な形で暗躍しそうです。近年の説では、この頃は信長と決裂していないという説が有力ですが、通説を採用すると、浅井の裏切りとも関わるかもしれませんし、様々な想像がされて興味深いです。新章を混乱と地獄の渦に巻き込むキーパーソンとして要注意人物です。
 また、もし通説どおり、信玄に上洛を要請する件が出てきた場合は、アバンタイトルともささやかに呼応します。何故なら、信玄の西上作戦を、その後築かれる信長包囲網の一角として描くことになります。信玄の覇道としてだけ描きがちな三方ヶ原の戦いが、多角的に描かれたら面白いところです。

 そして、当時、この義昭と信長の両方に属していたのが、明智光秀です。将軍の側近としての横柄な振る舞い、喧嘩した家臣の名を頑なに言わないばかりか浅井長政に助けられた三河の田舎大名が許せず、家康がようやく手に入れた金平糖を目ざとく見つけ、義昭に献上するよう仕向ける陰湿さ…権力者にこびへつらい本心が全く見えない謀略家として描かれるようです。胡乱な義昭とのつながりなどを考えても、本能寺の変に至るまでの動きが独特なものになるかもしれません。

 信長が朝倉攻めを家康に伝える際に両サイドに秀吉と光秀がいて、信長の「北国見物」という冗談に双方が高笑いする構図が怪しいですね。彼らは、浅井の裏切りに気づいている可能性があります(史実では光秀は警戒している)。この状況をとことん利用してくるでしょう。金ヶ崎の戦いに史実とは別の不穏な空気が流れています。

 このことと足利義昭の胡乱さは、信長が家康に見せてくれた「天下統一」の大義と大局的な視点は、簡単に手に入るものではないというこの先の苦難をほのめかしてると言えるかもしれません。

おわりに
 上記のにも新キャラクターはいましたね。例えば、茶屋四郎次郎です。彼は晩年まで家康を支える商人として重要な役割を果たしますが、まずは家康三大危機の一つ、伊賀越えでの活躍が期待されます。その意味では彼の登場もまたこの先の苦難の準備になっていますね。
 因みに演じるのは中村勘九郎くんなので、家康おいて韋駄天のように伊賀越えしそうですが(笑)それにしても、母:於大の方に松嶋菜々子さん、信長に岡田准一くん、本多正信に松山ケンイチくんと家康を支えるキャラクターが大河ドラマ主演経験者というのはわざとですかね。松本潤くんは、人に恵まれていますね。

 またお市の赤子、茶々を家康が抱くという場面も印象的でした。45年後に訪れる悲劇にも目配りがされているところに脚本の念入りな準備が窺えます。この幸せそうな場面が反転するのですから。

 このように、この先の家康の苦難のもとになる種がたくさん撒かれたのが第12回と言えそうです。この先、家康は、今まで以上に難しい選択を迫られ、その結果によるとても哀しい出来事がたくさん待っています。その選択の際に、今回、家康が身に着けなければならないものとして明示された、大義と大局的な視点が必要となってくるのでしょう。

 ともあれ、次回は金ヶ崎の戦い。通説では長政の裏切りを知らせるお市の小豆袋の話がありますが、それをお市の侍女、阿月(あづき)というきゃたクターに託すようですね。予告編では、命がけの連絡係を勤めるようですが、死なないこと祈るばかり。頼むから、家康の腕の中で「あのときの金平糖、おいしゅうございました」だけはやめてほしいです(苦笑)


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