「どうする家康」第27回「安土城の決闘」 すれ違う信長の孤独と家康の理想から見える織田政権の綻び
はじめに
第27回は、信長の強さの裏側とそれを知ってなお訣別を告げる家康の覚悟が、二人の緊迫感ある対決によって語られました。初回から信長に怯えきってPTSDを発症していた家康が、対等以上になって信長に物申し、その壁を乗り越えようとする…この場面のために26話をかけ、そして25話までキャラクターを積み上げた瀬名を死なせたかと思うと感慨深いものがあります。
それにしても、この信長を乗り越えるという訣別を何故、家康による信長暗殺計画とセットにして描くのでしょうか。
本能寺の変には様々な説がありますが、その中でも家康主犯説、家康黒幕説は、フィクションとしては利用されるものの、陰謀論の一種としてあまり評価されているものではありません。大河ドラマでも家康が信長暗殺を画策するというのは、「秀吉」(1996)が知られているくらいでしょうか。因みにこの作品での家康(演ずるは西村雅彦さん)は、築山・信康事変における妻子誅殺の恨みから、光秀に謀叛を唆しています。
しかし、「どうする家康」においては、これまでのnote記事でも触れたとおり、瀬名から託された「戦のない世の中」、「厭離穢土 欣求浄土」の実現が、家康の最優先の目的となっています。ですから、前回の「信長を殺す」という胸中の告白においても、その後の「わしは天下を取る」のほうに比重があります。前回note記事で触れたとおり、彼にあるのは、二人を死なせた自身への不甲斐なさと理不尽な世の中そのものへの怒りでしょう。
つまり、築山・信康事変は信長暗殺計画のきっかけであっても、恨みという感情論だけで動いているわけではありません。あくまで、目的実現の通過点としての信長暗殺。つまり、そこには合理的な判断があるわけです。
一方で面従腹背とはいえ、信長に恭順ぶりをアピールせざるを得なかった甲州征伐や富士遊覧を見れば、信長と織田軍団の戦闘力と存在感は圧倒的です。また、これまで信長は、家康に対して、時にまめまめしく、時に強引なやり方で自身のやり方の「正しさ」を証明してきました。つまり、金と政治によって整えられた戦力という実行力とそれを支える哲学で家康を圧倒してきたのです。したがって、いくら妻子誅殺の件があるとはいえ、信長への生半可な謀叛は現実的とは言えません。というか、自殺行為です。
にもかかわらず、信長暗殺計画を合理的な判断として進めてきたのには、家康なりに成功の算段があったからだと言えるでしょう。となると、「何故、家康は信長暗殺計画を実行できるとの確信に至ったのか」、ここが重要だと気づかされます。そこで今回は、家康の信長暗殺計画の準備と信長との理想をぶつけ合う対決から、家康の自身の強みに対する確信が何かについて、考えてみましょう。
1.崩れゆく狼の虚像と白兎の決意
(1)信長の悪夢と家康の策略
冒頭は信長の悪夢から始まります。夢の中、信長は、劇中で度々、出てきた安土城の書庫に敷いた床で目覚めます。危機を察知して目覚めた信長はすぐさま太刀を引き寄せ、抜刀します。何故、純粋な寝所ではなく、書庫なのかと言えば、これは後半描かれる少年期で判明しますが、知識や教養が、信長の寄るべき術の一つだからです。そして、引き寄せた太刀も同様です。「どうする家康」の信長は、岡田准一くんが演じることもあってか、武芸に関しては天才中の天才ですから(第10回の尋常ではない弓矢の連射が象徴的ですね)。つまり、信長が目覚めた場所とは、彼のアイデンティティの砦、個人的な文武に誰よりも秀でた彼の自信の源です。
さて、目覚めた信長は周りの様子を窺いますが、天井からは蛙の鳴き声が響き渡るばかり。これは、信長のお気に入りの香炉「三足の蛙」の逸話から持ってきたものですね。この香炉は、本能寺の変前夜に異変を察知したのか鳴き出したと言われています。そもそも、この三足の蛙は、青蛙神(せいあじん)という天災を予知する霊獣ですから、こうした逸話が出たのでしょうね。そして、この蛙の鳴き声も信長に迫る危機を暗示しています。
すると書庫の奥から水が漏れてきます。彼のアイデンティティを意味する知識と武勇の牙城が、何者かに脅かされていることを意味しています。不思議な光景であっても、恐れずにその様子を探りに書庫奥へと進む信長ですが、背後に完全武装の鎧武者が現れ、信長に襲い掛かります。
果敢に返り討ちを狙う信長ですが、敵も然る者、彼の身体に深々と太刀を突き刺します。しかし、彼はその事実に恐れるではなく、寧ろ、誰が自分を殺すことになるのか、それを確認しようと鎧武者の面頬を外さんとし…そこで本当に目が覚めます。
今度は本当の寝所です。しかし、彼の寝所には誰もいません。彼を世話する者たちも、同衾するはずの側室もおらず、黒い部屋が闇に包まれるばかりです。そして、悪夢を見て汗だくらしい信長は独り、夢を思い出すかのように手を頭に当てます。信長はひたすら孤独です。そして、その悪夢を話す相手も、悪夢を癒す相手もいません。ただただ、その悪夢を自分の罪として、たった独りで抱えるのです。
しかし、哀しいかな。彼はあまりにも多くを殺し、恨みを買いすぎてしまいました。例えば、身内だけでも、自分の実弟を殺し、大事にしてきた妹の夫も殺しました。お気に入りの弟分の妻子も死なせたことは、娘の夫も殺したという意味でもあります。長島一向一揆でも多くの無辜の民を殺しました。当然、戦いに駆り出された親族、家臣、領民も沢山死んでいます。
その恨みを引き受け、近いうちに誰かに殺されることは分かっています。だからこそ、悪夢の中でも信長は落ち着いています。しかし、誰に殺されるのか、誰が自分の起こした無間地獄を終わらせてくれるのか、それだけは知りたいと願うのは人情です。一体、何が最も罪深かったのか、それと向き合うことになるからです。しかし、あまりに多くの者が死んだ今、誰が自分を殺しにくるかすらも検討がつかなくなっている。その焦りが、悪夢を繰り返させているのでしょう。
ただ、それは未来に対する恐怖とは限りません。意外にも、人の未来を縛るのは、未来への思いではなく、過去の行いだったりします。彼の悪夢もまた己の過去の所業による悪夢です。ですから、あの鎧武者の中身は生きている者とは限りません。例えば、実弟の信行、義弟の長政かもしれません。
ところで、本作の信長の基本は、常に強気で、才気に溢れ、武芸に優れ、誰も寄せ付けず屈しない強靭な精神力、そして圧倒的なカリスマで織田軍団を率いる最強の漢、というものでした。
しかし、その一方で、その裏側にある脆さも要所、要所で垣間見せてきました。「この世は地獄じゃ」(第2回)で竹千代に嘯くこと自体が、信長が愛情に飢えた存在であることを示唆していますし、金ヶ崎で(自分では)大事にしてきた家康に「分からん。お前の心のうちなど分かるもんか!」と返されて、涙ぐんで呆然としてしまうなど家康関係では心を痛める場面もありました。
また、第13回では義弟、浅井長政とお気に入りの弟分、家康と三者の協力で天下一統を夢見て、それを語るなど人恋しさを見せることも。それらは、全て彼の他人を信じられないという思いの裏返しでした。
ですから、本作の信長が築く強権的で独善的、かつ極端な能力主義に貫かれた武断統治のホモソーシャルな社会は、戦国時代を支配する弱肉強食の論理に適ったものでありながらも、その裏には信長自身の他者への不信感と孤独があり、どこか歪みを感じさせるものとして描かれていたと言えます。しかし、それでも彼はその武断統治による天下布武を信じ、多くの犠牲を伴いながら、多くの領土を平らげ、天下人への道をひたすらに歩んできました。
その実現が目前に迫りつつある今、信長が止まることはありません。最早、彼自身が武断統治のシステムの一部ですから、そもそも自分自身の気持ちだけで止めることもできなくなっています。暴走する可能性を危惧しながらも、進むしかないというのが、信長の現状です。
まあ、周りにはかなり迷惑ですが、ある意味で歴代の信長の中でも最も使命に対して生真面目で勤勉な信長であったとも言えますね(笑)
ただ、もしも、信長が誰かと不安と孤独を分かち合って生きてこられたならば、このような悪夢を見ることはなかったでしょう。しかし、信長が敷いた極端な能力主義による武断統治は、最強の者が全てを支配する国であり、頂点はただ独りです。それは、誰もが頂点を目指し戦い、頂点を取っても、その座を狙い次々と人が襲い掛かる世界です。ヤクザの世界と同じですね。だから、終わりはなく、頂点にいる者は孤独でいるより他ないのです。とはいえ、人は老いますし、一人のキャパシティには限りがあります。
若きカリスマだった信長も、50歳の大台が見えてきている天正10年は、彼自身の長年の無理が祟ってきています。また、天下は収まりつつあるものの、長年にわたる多くの犠牲、人々の怨恨が積み重なった信長の統治の歪みもよく見える時期にもなっています。つまり、信長が見たこの悪夢は、信長と彼に直結する極端な能力主義による武断統治のシステムに綻びが見えていることを示唆しているのですね。
(2)信長暗殺計画を支える白兎の覚悟
一方の家康は、前回の幕引き「信長を殺す。わしは天下を取る」という宣言からの続きです。この宣言だけでは、この計画が直接、本能寺の変を画策することか、光秀を唆すことかは判別できませんでしたが、今回は家康自身が信長に手を下す計画として、かなり具体的な詳細が語られます。既に天下の趨勢が信長の元で収まってきているからこそ、そこから天下をかすめ取ってしまえば労せず泰平を治めることができる、家康の計画の主眼です。
ちょっと安易が過ぎる気もしますが、京都での挙兵となりますから、きっと朝廷との工作も視野にあったのかもしれませんね。奪取後、諸将が畿内に戻る間に、中央政治をどう掌握するかが鍵になりますから。
家康の宣言に、彼の腑抜けぶりを誰よりも哀しんでいた殿大好き忠勝は「どうおやりなさる」と内心の胸の高ぶりを押さえられず身を乗り出していますが、冷静な康政は安土では無理でしょうと疑念を問います。そんな家臣らの驚きに対して、家康は、信長は間もなく「京に移るはずじゃ」と確信めいたことを言います。これは、前回の秀吉と密談したことで毛利攻めが思うように進んでいないことを把握し、その支援のために信長が京に動くと踏んでいたのでしょう。
そして京で暗殺を決行する理由も、信長の治世によって治安がよくなったため、外からの備えが手薄であるからとし、半蔵以下の服部党と匿った伊賀者に手配りを命じ、本能寺が信長の定宿であることも突き止め、内定と準備が進められていると明かします。
暗殺のための必要な武器などを用意する者として、茶屋四郎次郎の名が出てきたのが、なかなか驚きです。つまり、彼は富士遊覧の手助けで駿河にやってきたときには、富士遊覧はフェイクで本命は信長暗殺だと分かった上で、信長の歓待に力を傾けていたということになるからです。彼もなかなかの狸ぶりですね。
ともあれ、この計画は、長い間をかけ水面下で進められていたことがわかります。瀬名の計画が瓦解した経験から、かなり慎重に行われていたはずです。譜代の家臣たちにもぎりぎりまで伏せていたのも、敵を騙すにはまず味方からという慎重さの延長線上にあったであろうことが察せられます。そして、信長の去った今こそ、計画を信頼すべき彼らに打ち明けるのです。
そして、信長配下の有力な諸将が畿内を離れている今が千載一遇の機会であること、唯一、信長の元にいる光秀を信長から引き離す計略があること、それを伝えた家康は自身の覚悟を示すため「異存反論一切許さぬ。従えぬ者はこの場で切る。」と宣言します。極めて強権的な物言いは、家康の信長化に見えなくもありません。
しかし、その後に続く「わしはもう誰の指図も受けぬ!誰にもわしの大切なものを奪わせぬ!」というようやく出た彼の本音で彼が変わっていないことが分かります。あくまで自身の命をかけた策であるという覚悟を伝えたかったのですね。
因みに、この場合の家康の「誰の指図も受けぬ」は、他国の支配を受けず真に独立するという意味合いであり、「誰」は家臣たちを指していないでしょう。家臣たちは指図をするわけではありませんし、彼らは「わしの大切なもの」に含まれています。瀬名や広次らに託されたのは国であることを思い出したいところ。そこに住む家臣と領民たち、そして於愛ら新しい家族こそが、家康の大切にすべきものなのです。家臣たちを信じるしかないということは、三河一向一揆以降、家康に一貫していることです。
ですから、「おんな城主直虎」の阿部サダヲさんの家康の「わしはもう誰にも指図はされぬ!皆の話を聞いた挙句の果てがこの様じゃ!」とは似て非なるものだと思われます。敢えて、同じ台詞でニュアンスを外してくるのは、定石ですが、ここまで積み上げてきた脚本の力を信じていないとなかなかできないことです。
さて、家康の過激な計画は、抜かりなく進められているように見えますが、その危険性は瀬名の謀以上に綱渡りです。それだけに家臣たちも揉めます。逡巡する忠世に対して、殿がやっぱり気骨があるのだと分かり喜ぶ忠勝は「殿は並々ならぬお覚悟だ。必ずやり遂げるだろう」ときっぱり。血気に逸る若武者、万千代…ではなくて直政(今回から役名表記が直政に)は、忠勝に乗って「共に天下を取りましょうぞ」と一同を鼓舞します。
しかし、康政は慎重です。成功したとしても、信長が死ねば乱世に逆戻りすると指摘します。これは姉川で数正が、家康に指摘したことと同じですが、そこに重ねて、天下を取っても、治めることが極めて難しいと苦言を呈する辺りはより政治が見えていますね。忠勝は「我らがそれをやればいい」といなしますが、忠勝のそれは単純に武力で押さえることですから浅慮が過ぎるわけで、康政から反論されます。
因みにここでの康政の見方は卓見で、本能寺の変後、信長という押さえがなくなったことでまず乱れるのが旧・武田領です。結果、家康は、北条氏とこの地域をかけて天正壬午の乱(若御子対陣)を戦うことになります。
忠勝と康政の言い争いを断ち切るように元忠と親吉といった幼馴染家臣は何より家康自身の生命を心配し、その前に安土城で暗殺されはしまいかとやきもきしています。それを聞き、居ても立っても居られなくなった数正は安土行きを止めようと立ち上がります。安土行きは京での信長暗殺に直結していますから、この諫言は命がけです。それでも、しようとするところに数正の家康を思う気持ちが表れていますね。
しかし、それを押しとどめる忠次は、殿の生命以上に、妻子を失った地獄の三年間、己を責め続け、苦渋を舐めつつ耐えてきた家康の心情を慮ることを語ります。前回のnoteで触れたとおり、家臣たちはそれぞれに瀬名と信康の死を悼み、受け止め、自分の為すべきことは何かを考え続けてきました。そんな彼らは、家康が独り悩み抱え、地獄のような日々を耐え、様々に考え抜き、準備を進めてきたその想いには共感できてしまいます。家康と彼らの心は、その意味で一つと言えます。
だからこそ、忠次の「殿にお任せしよう」、そしていざとなったら「殿だけは我らが守ろう」という呼びかけに頷かざるを得ないのです。各キャラクターの立ち位置が活かされたこの議論は、立場や意見は違えても家康と家臣団の絆は深く、固く結ばれていることを示しています。本心を隠すようになった家康であっても逆にそこを慮り、支えていきたいという彼らの心からの思いが重ねられていきます。これは瀬名の願う供に手を携えていく生き方でもありますが、これこそが徳川家の強さとして描写されており、前段の孤独な信長との対比になっています。
因みに忠次は、計画が失敗した場合の最低ラインを「殿だけは我らが守ろう」にしていますが、これは結果的に「伊賀越え」における目的そのものになっていて興味深いですね。
一方、家康は、出立前に於愛と愛息らの挨拶を受けます(二代将軍秀忠、初登場シーンになりますね)。於愛がいかに家康を癒してきたか、そしてこの新しい家族があればこそ、なおのこと家康は信長暗殺を決意したのだろうと察せられます。
そして、家康は、於愛に「兎と狼はどちらが強いか」と問いかけます。これは瀬名の遺言「いいですか、兎は強うございます。狼よりずっとずっと強うございます。」を受けてのものですが、それは伏せて聞きます。瀬名の言葉を信じて、三年間生きてきた家康ですが、いざ実行するにあたり迷いが出てくるのは当然です。
於愛は、初め普通に「狼でございます」と答えますが、「そう言えば、私は狼を見たことがないのでわかりません」と素直に言い出します。そして兎はそこら中にいるという家康の言葉を聞くと「狼は数を減らしていて、兎のほうがたくさん生き残っているなら兎のほうが強いかもしれません」と意外なことを返しつつ、更に兎は案外逞しいのかもと笑います。
於愛は瀬名のような理知的なタイプではありません。ですが、その直感は示唆を含んでいます。兎は、1回の出産で4~8匹の子を産み、最大で年6回出産できるそうですが、食われても、食われても、その血を残し続ける彼らのあり方は逞しいのかもしれません。逆に狼が何故、数を減らすのかと言えば、少ない食料を奪い合うからです。狼の理屈はまさに弱肉強食の戦国の論理ですが、この論理の先には行き詰まりしかない、滅びしか待っていないのです。
瀬名とは全く別の角度から、狼が決して強いとは言えないと言ってくれた於愛の愛嬌のある言葉は、家康を和ませ、そして自らの進むべき道を確信させます。改めて、彼女を見出したお葉、大らかさに期待した瀬名の見る目は確かでしたね。
また於愛は意図していませんし、作中でそこまでの意味を込めたかは分かりませんが「狼を見たことがない」という言葉には、実は最初から狼の人間などいないということかもしれません。於愛は前回、信長に会っていますが、彼を狼のような人間とは感じていなかったのでしょう。だとすれば、信長もまた狼の役割を演じ切る、本心は心弱い兎なのかもしれません。
さて、於愛の言葉を受けた家康は、自身が彫り、瀬名に預け、そして瀬名の思いを込めた形で託された木彫りの白兎を眺めています。木彫りの白兎を大事そうに両手で包むように持っているところに、変わらぬ瀬名への想い、そして託された願い、自身が弱く、優しい兎に過ぎないこと、それらを確認し、それを大切にしようと改めて思っているだろうことが察せられます。そして、大事そうに袱紗に入れると家康は、再び、太刀を取り、安土へ向かいます。
心の底に兎を忍ばせながら、しかし表向きは力と策略を振るうため太刀を佩く。二律背反をその身に抱え込み、前へ進もうとする家康の覚悟が朝日に照らされているのが巧い絵になっていますね。
2.天下分け目の安土城~すれ違い続ける家康と信長~
(1)明智光秀という男~信長の能力主義の功罪~
さて、家康たちが安土城へ行く覚悟を決めたその頃、光秀は読書に勤しむ信長の元へ訪れ、笑みを称え、饗応の諸事万端が整ったことを告げます。そして、「かようなものも」と毒の用意があることも仄めかしつつ「上様のお望みとあれば」とあくまでその意に従うことを申し添えます。この一連の行動の抜かりの無さに「どうする家康」における光秀の人物像と彼が出世した所以が窺えます。
本作における光秀の登場、第13回を思い出してみましょう。将軍の威を借る横柄な振る舞い、自身の詰問を拒否し信長と浅井長政に助けられた三河の田舎大名が許せない狭量、家康がようやく手に入れた金平糖を目ざとく見つけ、義昭に献上するよう仕向けて意趣返しをする陰湿さ、どれも褒められたものではなく、「これでは麒麟も裸足で逃げ出す」と嘆いた「麒麟がくる」ファンの方々もいらっしゃったのではないでしょうか(合わせて将軍義昭に失望した人も多かったでしょう)。
一言で言えば、権力者に媚びへつらう自尊心の高い謀略家というのが、本作での明智光秀です。好かれる人柄ではありませんが、実力主義の信長政権下でこれを貫き通すのは並大抵ではないことにも留意すべきでしょう。
光成は、仕え甲斐のない将軍義昭を足蹴にし、信長への忠誠を誓ったとき、恍惚の表情を浮かべました(第19回)。それは、実力主義の織田軍団であれば、自分の才覚は報われ、自尊心が満たされる…その予感が成せる表情でした。既に彼は比叡山延暦寺焼き討ちの実行部隊の中心として、積極的に虐殺に関与し、その武功で幕臣でありながら5万石の加増を受けています。味を占めたのは当然でしょう。
また、近年の説では、光秀は合理主義であり、そこが信長と合うところであったとされますが、それが反映されている部分もあっての描写でしょう。そして、彼は忠勤を励み、丹波攻略の武功、その他の実務と双方で成果を残してきたからこそ、人材として重宝され、本作では信長の懐刀にまでのし上がったのです。
本作では、彼の武功については言及されない代わりに、主君の顔色を窺い、瞬時の場を読む鋭い観察眼と直感力、そして主君の機嫌を取る美辞麗句を並び立てる幇間(ほうかん)のようなお調子者の弁舌力が、事あるごとに挿入されています。例えば、金ヶ崎では、家康の蟹ヶ崎の駄洒落に対して信長の反応を横目で確認してから笑っていますし、浅倉隆景の不穏な動きにも諫言することはなく信長を恐れるからだと追従に終始しています。このことは、織田軍団では、信長の機嫌を損ねないことが第一にあり、その上で彼の気に入るような形で成果を出す必要があることが示唆されています。
ですから、この家康毒殺の用意も決して出過ぎた真似とは言えません。状況を理解する知能と主君の(表面上の)意を汲むことに長けた観察眼が成せる業なのです。そもそも、家康は妻子の処刑によって謀叛の疑いは晴らしたものの失政は免れません。それでも許されたのは、甲州征伐で盾になる戦力として徳川勢が必要だったからに過ぎません。信用を回復したとは言い難いのです。
だからこそ、家康は家臣から腑抜けと言われるほどに徹底して恭順の姿勢を示したのです。しかし、武田家の滅亡で清州同盟の有効性は失われました(実際はまだ北条が控えていますが)。
にもかかわらず、駿河一国を与えられ、富士遊覧でも領内での統治力も示した家康は、織田政権下で無視できない強大な勢力となりました。結局は危険な存在となり、別の緊張関係も生まれてしまいました。加えて、光秀は、前回、信長から「あれは変わったな。肚のうちを見せなくなった」と家康が信用できない旨を直接、聞いています。こうなれば、危険なナンバー2を取り除く可能性を考えるのは、懐刀の謀臣として必然的と言えるでしょう。
因みにこの家康暗殺の企ては、ルイス・フロイス『日本史』の「信長が明智を使い家康を殺す」という風聞が兵たちの間であったという記述からの創作ですが、光秀の織田×徳川関係の状況理解と対応は奇しくも、家康の家臣団たちの「罠ではないか」という危惧にも呼応していますね。
ところで、光秀の主君の顔色を窺う観察眼と弁舌力という処世術、実は秀吉とよく似ていることにお気づきでしょうか。観察眼に関しては秀吉のほうが深いでしょうが、弁舌力に関しては、教養人である光秀のほうが信長を喜ばせる語彙が豊かであったろうと察せられます。信長に対する見え透いた阿諛追従(あゆついしょう)を繰り返す二人が、織田軍団の出世頭であり、ライバルであったことは示唆的です。
二人は、古くからの譜代の家臣ではなく、結果を出さねば家中で地位を築けませんでした。また、二人は武芸一辺倒の武将ではなく、経済に明るく、知恵が回るという古参の家臣にはない新しいタイプの家臣でした。信長の天下人への道が定まりつつある中、平定後を見据えれば彼らのような家臣がより重要になります。だからこそ、彼らが徹底した能力主義の信長政権を象徴する出世頭となったのでしょう。
一方で彼らは有能ではあっても、信長のご機嫌取りをする輩であり、その心底は信用できるものではない。実力主義ゆえに人徳に欠けています。特に光秀の他の家臣に対する見下した態度、嫌味な物言いは目に余るものがあります。しかし、有能ゆえに咎められていません。
勿論、家老の筆頭格の柴田勝家、次席の丹羽長秀のように愚直さゆえに信頼できる古参の家臣らもいますが、彼らは古いタイプの人間であり、新しい時代を切り拓く人材ではありません。
つまり、この場面が示す信長に最も近しい家臣が光秀であることは、信長政権の能力主義を象徴していると同時に、自身の顔を窺うばかりの家臣しかいないことも示しています。つまり、信長には真に信頼でき、本音を言える人材がいないことを露呈しているのです。それは、詰まるところ、信長自身の欠点へとつながることは、家康との対決の中で示されることになります。
さて、光秀の申し出に対する信長の対応は画面転換によって保留され、家康たちがいよいよ安土城にやってきます。豪華絢爛の安土城の威容に真っ先に感嘆する万千代…こと直政と家臣団ですが、一人冷ややかなのが家康です。一瞥するものの、感銘を受けるでもなく、「参るぞ」の一言です。安土城は信長の権威と業績の象徴、謂わば信長そのものです。それを見てなお、呑まれまいとする静かな覚悟があるのです。家臣との温度差に、策略に対する家康の並々ならぬ決意が見え隠れしていますね。20年近く前、清須城に来た際、その威容に後ずさった元康はもういないのです。
能見物に始まる饗応は順調に進みます。家康を歓待することにそれなりにご機嫌なのか、家康の家臣たちにも「遠慮なく食されよ、作法など気にするな」と寛容に振る舞い…って、それ言われる前に直政が、既に遠慮なくパクパクパクパク…美味しそうに食べているじゃないか…やっぱりまだ直政ではなく万千代です(笑)
皆が家康の一挙手一投足に目を配り、暗殺されはしないかと緊張の面持ちでいる中で、全く意に介さず欲に忠実な彼の豪胆さが素晴らしいですね。どんなに大変な事態になろうとも、面白いものを見れば感動し、美味しいものを見れば目を輝かせて食す。この素直さと余裕は、彼の中に殿を守ってみせるという一本筋が通っているからこそです。そのことは、伊賀越えですぐに証明されますが、だからこそ花も実もある武将へと育つのでしょうね。策謀に心奪われる今の家康に足りていないものを、直政が持っているというのが面白いですね。
饗応はクライマックスを迎え、信長による光秀叱責の直接の原因として知られる献立「淀の鯉の洗い」がいよいよ出てきます。「これは見事な…」と感嘆する梅雪に対して、家康は箸が進みません。既に光秀を信長より引き離す離間の計が始まっていますが、ここでの「匂うような気がするけど、どうしよう」という躊躇と遠慮の芝居が、いつもの家康っぽくて上手いですね。家臣たちの気遣う様子に、「臭みなどあろうはずがありません」と必死にフォローを入れる光秀。
「贅沢な食べ物に慣れておりませぬゆえ」と信長に言い訳する小技を入れつつ、再び口にしようとするがやはり気になって食べられない芝居を続けます。流石に見咎めた信長は「匂うなら止めておけ、当たったら一大事」と止めます。先の光秀の進言がありましたから、本当に毒を入れていたから止めたのでは?と視聴者に思わせます。
すかさず、光秀は「腐ってはいない」と申し開きをしますが、「徳川殿は高貴な料理に慣れておられません」と先の家康の発言に釣られて余計な言い訳をしてしまいます。もてなす賓客を貶めることは、歓待する信長の品位をも貶めることになりますから最悪です。信長が激昂するのは当然です。膳をひっくり返し、続けて言い訳をしようとする光秀を再三にわたって打擲(ちょうちゃく)します。
今まで信長の顔色を上手く汲み大過なく物事を進めてきた光秀は、咄嗟の事態に弱かったようです。そして、対応できないばかりか、つい家康の目の前で「何の細工も」「上様のお申し付けどおりに」とか口走ってしまいます。実際には毒が入っておらずとも何らかの密談があったことはバレバレです。現に家康の家臣たちは「やっぱり」というような目配せをしていますね。それが分からない信長ではありませんから、火に油を注ぐようなもの、ますます殴りつけられることになります。
教養人である光秀の饗応の準備は、完璧なものであったに違いありません。しかし、彼は決められたことを完璧にこなすことは長けていても、臨機応変さには欠けているため事態を悪化させてしまいました。奇しくも光秀は、官僚的であるがゆえの致命的な欠点を信長の前で露呈してしまったのです。
信長の命で膳を下げることになった光秀は、家康の膳から鯉の洗いの器を持っていく際にも無念と怒りを隠しきれず、挙句、場を引き下がる途中で「三河のくそ田舎者が!」と悪口雑言を放ってしまいます。当人の前で本音が漏れすぎる罵倒をするのは、彼の人間性の不味さ以上に冷静さを欠いた行為です、いくら官僚的で臨機応変さに欠ける欠点があるにしても、自身に何の咎がないにしても、無用な言い訳を無理に重ねた件も加えて、光秀の態度は度が過ぎています。どうしてこうなってしまったのでしょうか。
その理由は、光秀が家康の元を形ばかりの謝罪に訪れた際に、それとなく示されます。饗応役を外され、秀吉の毛利攻めに参加することになった光秀は、饗応の失敗は切腹をもって詫びると言います。大袈裟と見で「お気になさいますな」とお為ごかしを言う家康に、光秀は冷ややかに「上様は決してしくじりを許さぬお方」「よくご存じでしょう」と返します。
つまり、光秀が、あの場で必死に自身の失敗ではないと取り繕おうとしたのは、失敗と認定されることで、今まで積み上げてきたキャリアが一瞬で終わってしまうからだったからです。その恐怖にかられ、言わなくてもよいことまで口走り、致命傷を負ったのです。
徹底した能力主義の世界では、一度の失敗だけでも致命傷になります。失敗で失われた信用は二度と回復しないため、成功し続ける以外の道がないのですね。これは現代の日本で蔓延る実力主義にもよく似ています。
まして、今回の光秀への叱責は、自身は何の咎がないにもかかわらず、天下人の威信を傷つけた罪、使えない奴であるとの証明と認定されてしまいました。再起が望めない憤懣やるかたなさはひとしおでしょう。家康を思わず罵倒したのも、致し方ないところだと言えます。
因みに「よくご存じでしょう」の一言は、築山・信康事変の処遇で信長の苛烈さは、家康も身をもって知っているはずだという意味です。続く「私は終わりました」と自身のキャリアの終了を受け入れざるを得ない光秀の力ない言葉が重たく響きますね。
家康による離間の計は、臣下の失敗を許さない信長の苛烈さ、織田家の行き過ぎた能力主義の閉塞感を利用したものでした。そこに光秀の官僚的な資質を突いたことが加わり、想像以上の結果を生むことになります。
秀吉と光秀が急速に力をつけた出世頭であることは先に述べましたが、一方で二人にはいくつか違いがあります。その中でも特に重要なのは、年齢です。天正10年時の秀吉は45歳くらい。まだまだ野心も大きく強く、信長が消えてくれればと思うのも無理なからぬところです。しかし、光秀は60代半ば、そろそろ人生の終わりが見えてくるところです。しかし、嫡男はまだ10代半ばで家督を継ぐには心許ない。となれば、光秀が望むことは、下手な野心に駆られることなく、信長の懐刀の謀臣として使命を全うし、嫡男に無事、家督を譲ってやることになるでしょう。
更に『明智家法』(偽文書との説もありますが)後書きに「瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだして莫大な人数を預けられた。一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはいけない」と書くほど、光秀は信長に心酔し、感謝していたとも言われます。本作で描かれる信長の顔色を窺う処世術も、阿諛追従の事なかれな面も、全ては信長への忠誠心を示そうという必死さの表れだったかもしれません。
だとすれば、この饗応の叱責という致命的な失敗は、キャリアの終焉を意味しており、光秀を絶望に叩き込んだに違いありません。そして、それが誤解でないことは、この後の信長の「使えん奴は切り捨てる」という言葉が証明しています。誰よりも信長の顔色を窺い、意図を汲んできた彼は、ある意味で信長政権を最も理解し、利用して出世し、そして、その恐ろしさを熟知していたと言えるでしょう。
次回の本能寺の変にて、光秀が何を語るかは分かりませんが、彼は信長が作り上げてきた武断統治システムが生んだ歪みとして、信長を滅ぼすことになるのでしょう。
(2)自身の強みに自覚的な家康
光秀を通した信長の「二人きりで話したい」という伝言に、家康は意を決して、太刀を取ります。今回の家康が普段と違い、剣吞なのは、やたらと太刀を持ったり、振るったり、抱えたりと刀に頼る傾向が見られることです。一つは、後には引けない、暗殺をやり遂げねばならないという自身の気持ちを保ち、奮い立たせる家康の必死さの表れでしょう。彼は元来、心優しい白兎です。それを自覚してもいます。だからこそ、負けられませんし、恐怖に打ち克つための道具も必須なのでしょう。それは家臣たちを安心させるためでもあります。
ですから、康政の「何かあればすぐに駆けつけます」に対し「来んでよい」と返します。ここで信長に精神的に負けるようでは、そもそも計画など上手くいくはずがありません。家康と家臣らをローアングルから捉えたショットには、家康の対決に向かう決意の固さも垣間見えますね。
そして、静かに信長と対峙し、酌をします。「おい」と切り出すのは信長です。しれっと惚ける家康に再度、「おい」と高圧的に呼びかけ、「本当に匂ったのか」と問い質します。これは、言外に「俺が毒を盛ったと思ったのか」と聞いているのですが、すっとぼけを続ける家康は「光秀殿へはどうか寛大に」と言い添えるのみで、質問に答えません。この返答には光秀の「私は終わりました」という様子に良心の呵責を感じている部分も混ざっているでしょうが、主は信長の追求を躱すほうにあるでしょう。
これを受けて信長は「しくじりは決して許さん、使えん者は切り捨てる」と吐き捨てます。家康は「上様は厳し過ぎる」と応じ、信長は「お前が甘すぎるんじゃ」と返し、家臣の扱い方の是非に話は移っていきます。「うちには使えん者がたくさんおりますが、なかなかそうは…」と笑って応じられる家康からは家臣への愛着が見えます。まあ、家臣らが聞けば「殿こそ使えん」と文句を言うでしょうけど、このオープンさ、風通しの良さこそが信頼関係の証です。
その様子が面白くない信長は「お前のところは、友垣のように扱うではないか」と嫌味を言います。この言葉は、五徳に監視を改めて命じるほど家康以上に徳川家の家臣たちに注視していた信長だけに、かなり正確に家康と家臣団の関係を言い当てています。対等に物が言い合える関係、つまり腹芸をあまり必要としない本音の関係が徳川家の絆の源なのです。
しかし、能力主義による武断統治をしてきた信長には理解できません…あるいは羨ましいのかもしれませんが、「それでは、足元を救われるぞ」と裏切りに対する甘さを指摘します。
しかし、家康は「それならそれでしょうがない」と静かに応え、かつて、三河一向一揆の際に鳥居忠吉に諭された家臣の信頼を得るには「自分がまず裏切られることも呑み込んで相手を信じるしかない」という意味の言葉を思い出しながら、「家臣に裏切らたら、それまでの器だったということ」だという諦観を語ります。家康の経験に裏付けられたこの言葉には、嘘も腹芸もありません。
家康が信頼というものを美辞麗句としてではなく、その厳しさと難しさと共に開き直るしかない、「裏切られても信じ抜くしかない」と理解したのは、三河一向一揆のときです。そのときから、ずっとその思いを貫いてきています。そこには、三河一向一揆で自身こそが家臣の信頼を裏切り、彼らを守ろうとしなかったという後悔が背景にあります。だからこそ、今度こそ家臣と領民を守るのだという強い思いになっていき、その思いを家臣たちも汲んでいくようになった。
それが、今の徳川家の絆の礎です(瀬名の陰日向の言動がそれを支えたことも忘れてはいけません)。改めて、このことが、この場で老臣と共に引き合いに出されたのは、信長政権に決定的に欠けているものだからです。
以前のnote記事でも指摘しましたが、信長にとっての信頼とは、家臣が信長の期待を裏切らないという一方的なものです。自分はそれに応えるわけではありません。当然のことをされているに過ぎませんから。ですから、しくじった者は主君の信頼を損ねたという事実だけがあり、二度とその信頼は回復されない、挽回の余地はありません。何故なら、信長と家臣の間では妥協や歩み寄りは存在しないからです。それゆえ「使えん者は切り捨てる」になってしまうのです。
その結果は、信長自身が孤独になるだけです。実際、佐久間信盛は彼の意を汲めない愚鈍さと自己保身で失脚しますし、光秀は咎の無いことで叱責を受けてキャリアが終わり、家康は謀反の疑いで妻子を死なせ、秀吉は毛利攻めの滞りでその信頼は風前の灯火であると描かれています。北国攻めの柴田勝家にしも、四国攻めの副将、丹羽長秀も心境は似たようなものでしょう。結局、誰も信長の信頼に付いていけていませんね。
今度は家康が、信長の家臣の信頼に対する苛烈さについて「貴方は何でも一人でお出来になる。常人ではござらん。」と言います。能力が高すぎるがゆえに相手に求めるハードルが高すぎる。だから、貴方の周りには人がいないのだと問題点を指摘しているのです。更に「まさに天が遣わした乱世を治める者なのかもしれません」とその孤高を少し皮肉り、「わたしは貴方とは違います。一人では何もできない。私がここまで生き延びてこられたのは皆に助けられたからです」と立場の違いを明確にします。以前の家康であれば、必死に信長と同じ土俵に立とうとしたことでしょう。
しかし、今の家康は、圧倒的な強さを持つ信長に対して、自分の弱さを静かに受け入れ、自らの理を説くことができます。これは、瀬名から託された木彫りの白兎(袂にあるのかもしれません)、於愛の言葉、そして何よりも多くの家臣と妻子に生かされた多くの経験があるからです。やっと家康の25話までの半生が、こうして総括され、信長と対峙できる家康という形で示されたのです。
そして、このことは、彼自身が信長とその武断統治のシステムの問題点も知っているということに他なりません。現に光秀に仕掛けた離間の計は、それを利用した策でした。
自分の弱さを受け入れる強さと裏切られても信じるしかないという諦観が持てる強さ、それが家康の経験の中で本当に得た力です。その力が、多くの者たちに「この人を助けなければ」と思わせ、協力させていくのです。それを人徳と呼びます。
強すぎる信長を見て、自分が必要な人だと思う人はあまりいません。彼のその力に頼る人、利用したい人が寄るばかりです。信長は最強ですが、それゆえに人徳がありません。これは彼自身の性格によるものだけではなく、彼と一体化した徹底した能力主義による武断統治の結果です。
(3)家康と信長、噛み合わない決闘
話が区切りになったところで、家康は自身の本題として「京に来る信長を先に行って待っている、一緒に平穏になった京を楽しみたい」と申し出、今宵の辞去を求め平伏します。ここまで、家康と信長の目線は対等でした。そして、カメラも二人を同等の高さで捉えていましたが、この平伏を機に一気に変わります。信長が太刀を取り、立ち上がり家康に迫ったためです。信長が家康を上から圧迫すると言う構図に変化します。
そして、これまでのやり取りから、自身への反感を読み取った信長は、饗応の席での出来事の真意も見抜き、太刀を鞘ごと突き受け、「京で待ち伏せして俺を討つつもりか」と確信をもって言います。これまで、親族に命を狙われ、義弟の長政に裏切られ、信長包囲網を敷かれ、荒木村重や松永弾正など多くの家臣に裏切られてきた信長は、権謀術数にも長けた頭の回転の速さに加えて、危機に関する直感力は並々ならぬものがあります。命をかけた策略においては、信長の経験値に適うものではありません。
それでも家康はポーカーフェイスを貫きますが、腹芸に置いても一枚も二枚も上手な信長は「図星か」と満足気に指摘すると「やめておけ。お前には無理だ。」とせせら笑います。ここでは対峙する二人の横顔をアップで捉えていますが、信長を画面のやや左上に捉えているため、家康が心理的に責められている形になっています。
なおも本心を見せない家康に、業を煮やした信長は、遂に「謝ってほしいか?」と妻子殺害という禁じ手に手を出して、挑発を始めます。そして、怪訝そうな家康に「謝ってほしいか?ああん?」「謝ってほしいか?」「妻子を殺したことを謝ってほしいか?」と何度も繰り返します。信長が執拗なまでの禁じ手の繰り返しは、家康の本心を引きずり出そうとする信長自身の焦りの裏返しでもあることは、押さえておきたいところです。
第25回で、瀬名と信康の死を伝えられた信長は「家康…」と呟き、彼の哀しみと苦悩に想いを馳せています。愛する者の命を奪う苦悩とその後悔を知る信長にはそれが分かる反面、そうさせたのが自分であるということ、家康の恨みを一心に受けなければならない苦悩も抱え込みました。それだけに、家康との対面ではそれについて胸襟を開き、語り合いたかったというのが本音でしょう。プライドから出来なかったでしょうが。
寧ろ、家康が泣いて、罵ってきてくれたほうが楽だったはずです。しかし、彼は徹底的に押し隠し、富士遊覧で豪家な歓待までしてくれました。家康の気持ちが分からない、そのわだかまりだけが彼を支配していたのでしょう。
冒頭の悪夢に苛まれる信長と合わせて考えれば、面頬を取った相手が家康だったら、との思いがあったのかもしれませんね。
したがって、この挑発行為は家康を苛むと同時に信長自身を傷つけるものである点が哀しいとことです。かつて相撲を取った昔馴染の二人が、こうまでしなければならなくなったのですから。そして、膝を立て、徐々に我慢できなくなった家康に「謝らんぞ、くだらん」とトドメの一言を言い放ちます。堪忍袋の緒が切れた家康は、わなわな震え「くだらんと申すのか!」と瀬名と信康の死をないがしろにする信長へと詰め寄ります。
ここでまた、対等の立ち位置になった二人は、押し問答をしながら舞台をグルグル回ります。二人の角突き合わせた対決が高まっていくという構成です。ただし挑発した信長にまだ主導権があります。
ですから、信長は人様の死にあれこれと悩む感情はとうに捨てたと豪語に対して、家康は「わしは忘れられん!」と更に引きずられて、激情に駆られてしまいます。勿論、家康にとっては、二人の死を無駄にしないということが、今回の信長暗殺計画の原動力ですから、そう答えるしかありません。
信長は、それこそが甘さだと言わんばかりに「だから、お前に俺の代わりは無理なんじゃ」と返します。彼がこう言うのは、個人の死に囚われているようでは、乱世を収めるという大義は成せないと考えているからです。先ほどの、個人の死に囚われる感情をとうに捨てたと自負できるのも大義を成すとの信念があるからです。
しかし、残念ながら、信長は、家康に対して、大きな思い違いをしていますね。家康の信長暗殺という企みは、信長への怨恨が動機の主ではありません。彼にあるのは、二人を死なせた己の不甲斐なさと、そうせざるを得ないこの世のあり方への怒りです。信長を殺すのは、この世のあり方の中心にいるからです。家康もまた、信長とは別の角度でちゃんと世界を見ているのです。ですから、どんなに信長の挑発に激昂しようとも「お前が憎い」「お前を恨む」と言った文言だけは出てきません。
信長からすれば、出るべき言葉が聞けず、苛立ちを余計に募らせてしまいますが。ようやく得られた本音をぶつけ合う機会も、哀しいかな、二人はとことんすれ違ったまま言葉だけが無為に連ねられていきます。
己を理解しない家康に苛立つ信長は、「人を殺めるということはその痛み、苦しみ、恨みを全てこの身に受け止めるということじゃ」と乱世を治めるために多くの犠牲を強いる天下人の心の闇を吐露してしまいます。
誰にも言わず、ずっと押し隠して来た自分の本音を、半ば自爆する形で言ってしまった信長の、自分への呪詛の言葉は止まりません。「100人なら100人」「万人なら万人」と恨みの数をおぞましくエスカレートさせていきます。
この狂気ぶりに、家康は一寸引いてしまい、勢い、信長は、家康を背にするように前に突き出てしまいます。ここで我に返ったのか、信長は、太刀を前に突き出し「わしはどれだけ殺した…」と自問します。これまで抱えてきた重圧から出たその言葉に家康が答えられるはずもありません。
やおら太刀を抜き、そこに染み込む恨みを確認するよう掲げた信長は、家康に背を向けたまま「いずれその報いとして最も無惨な死に方をする。俺は誰かに殺される」と静かに独り言ちます。
この際の怯えとも哀しみとも怒りとも不安とも迷いとも言い切れない、負の感情の全てが入り混じった表情が壮絶です。今回の壮絶な対決の中での、岡田准一くんの真骨頂の一つはここでしょう。そして、抜き身の太刀で呪いと穢れを清めるように、それらの感情を自ら真っ向一閃します。
憑き物が落ちたような信長は、その数多くの恨みを受ける覚悟が俺にはあると言うものの、その表情は完全に疲れ切っています。それでも、なお、大義を理解しない家康に「お前には、できてせいぜい俺を支えることぐらいじゃ」と諭すような発言をしますが、これが強がりであるのは明白です。裏を返せば、頼むから俺を支えろということでしかありませんから。
大義を唱えるつもりが、激昂するあまり、自身が長年抱え込んだ負の感情を一気に吐露してしまった信長は、その事実と己の脆さに打ちひしがれるしかりません。自然と座り込んでしまいます。
それでも自身の大義を信じる信長は「戦なき世の政は、乱世を鎮めるより遥かに困難じゃろう。」と、天下取りの先の展望を語ります。これは、どこまでも家康を自身の同志としたいからに他なりません。忘れかけていた方も多いと思いますが、本作の信長は、世界の中の日本を見据え、早く乱世を鎮め、国力を高めることが天下一統の目的でした(第13回)。
ですから、彼がここに来て「戦なき世の政」に言及するのは当然です。そして、その困難さを理解していることからも、彼が私欲ではなく本気で世を憂いていたのも伝わります。
一方で、天下一統のために敷いた信長の徹底した能力主義に支えられた武断統治は、弱者に多くの不幸をもたらしたことも事実です。何故なら、戦国大名の弱肉強食の論理に乗っ取り、「己の欲しいもの手に入れるために戦を」する形で弱者を蹂躙しただけだからです。
その思いを裏腹に多くの反逆者を生み、かえって戦禍を広げたことはルシウス信玄の指摘することろですし、また信長包囲網や長島一向一揆などの存在が物語っています。まさに「男どもに戦のない世など作れるはずがない」というお万の言葉を地でいっているのです。
しかし、その矛盾をも呑み込み、天下人としてそれを実現するしかない信長は止まることは出来ません。大義のため「やるべきことが多すぎる」と述べ、改めて家康に「恨め…憎んでも良い。だから…俺の側で、俺を支えろ。」と同志であるよう求めます。この誘いには、瀬名と信康の死を無駄にしない方法であるという彼なりの詫びが含まれているだろうと察せられます。
信長最大限の誠意であり、また、最早、人々の恨みを受けすぎ、自身も生真面目にその痛みと苦しみも受け止めてボロボロになっていることを吐露した今の彼には、どうしても家康という支えが要るという懇願でもあります。
これを受け、呆然と立ち尽くして信長を見下ろす家康、その松本潤くんの表情と芝居が良いですね。絶対的で圧倒的な強さを誇った信長の呆気ないほどの弱さと脆さを前に、それを見降ろす無表情に一筋涙が伝います。わずかな感情の揺れに動揺した家康は、思わず後ずさり、更にまた一筋涙が光ります。信長の姿と気持ちを受け止め切れない家康の衝撃の大きさが出ていますね。
彼は弱く、優しい人間ですから、こういう感情だけは余計に分かってしまいます。そして、一時はあれほど目指し、同化しようとした超人の姿の変貌は哀しいことでしょう。良くも悪くも信長は、家康の師であり、兄貴分でしたから。
しかし、今の家康は、自分の進むべきあり方が見えつつあります。それは弱者を切り捨てていく信長のやり方が間違っていると否定した先にしかありません。更に徹底した能力主義の武断統治に歪みや綻びがあることを、その頂点に立つ信長自身の疲弊しきった姿で証明してしまいました。家康の周りの人々を信頼し、弱き者たちが手を携えていく道こそが正しいという確信はより強いものになったでしょう。最早、家康も後戻りはできません。
ですから、信長の姿に衝撃を受けながらも、決意を新たに「…私には貴方の真似はできぬ、したいとも思わん。わしは、わしのやり方で世を治める。」と淡々と訣別の言葉を口にします。そして瀬名の遺言を受け「弱いからこそできることがあるとわしは信じる」と、この先の自身を支える信念も告げます。ここでは、座り込んでいる信長に対して、立っている家康が語るという構図になっていますから、家康が優位に立っています。
そして、「行き詰まっているのはお主では」と欠陥を指摘すると、耳元で「弱き兎が狼を食らうんじゃ」とはっきりと本能寺で暗殺することを明言します。この世のあり方を象徴する信長を、それに虐げられたものによって否定する。弱者の強さを証明しなければ、死んでいった者たちは報われないと信ずるがゆえです。
ただ、これが瀬名の願った兎の強さの本質であるかどうかは微妙な気がしますね。独りで苦しみ抜いて、萎れた今の信長を瀬名が見たら、家康とは違う対応をしたでしょう。おそらく罪人であることを分かった上で、信長が強情にも拒否するとしても、なお手を差し伸べて、手を携えることを願うのではないでしょうか。そもそも、彼女の慈愛の国構想は、最終的には信長たちとの共存も念頭に置いていましたから。
そう考えると、家康が人々との絆を結び、瀬名の願いを叶えるのは、信長暗殺くらいで叶うような安易なものではない。もっともっと苦難の道を歩む必要があることも見えてきますね。
さて「弱き兎が狼を食らうんじゃ」と告げるシーンは、耳噛みなどこれまで信長にされてきたパワハラ行為の意趣返しになるような構図にされていて、二人の関係性の逆転が演出されています。別に多くの人々と信頼関係を結ぶことを模索してきた家康は、師であり、兄でもあった信長の存在をもう必要としていません。
結果、家康に信長のような強い庇護者が必要だったのではなく、信長こそが自身を支える誠実な「弟」を必要としていたのだということに気づかされることになります。お市が「兄上が心から信を置けるお方」言ったとおり、あまりにも孤独な道を歩む信長の覇道には、支える「弟」家康が必須でした。その彼が支えること拒否し、別の道を行くと宣言した今、彼は本当に行き詰まってしまいました。
彼を見下ろす家康を前に泰然と座り、天下人の業を引き受ける覚悟があるなら「俺を討て」と彼の希望に静かに応じます。更に兄貴分として「僅かな手勢で京に向かう」と述べ、その準備をして待つと告げます。信長が京に向かったときの手勢の少なさが、家康との約束だったからとうのは意外な解釈でしたね。そして「やってみろ、待っていてやるさ」と半ば微笑みながら言います。
信長の進む覇道にはもう「俺の白兎」が寄り添うことはありません。信長のこの先の人生は、孤独感が埋まることもなく、際限なく繰り返される悪夢だけが残ります。何のために大義を成すのか、ここにきて彼は道を見失ってしまったのかもしれません。だから、家康を返り討ちにして改めて覇道を進むか、彼に無間地獄を断ち切ってもらい報いを受けるか、その選択を運命に委ねる気になったのではないでしょうか。
決して、自分の後継者に家康を選んだのではありません。彼の後継者は、優秀な息子であった信忠ですから。しかし、彼は自分の築いた武断統治の申し子であり、苦しむ自分の道を分かち合う相手でもなければ、彼に他の可能性を示せる人間でもありません。ですから、自身の運命を委ねられるのは、彼と対等の立場で違う道を行こうとする成長した白兎、家康だけだったのです。
裏を返せば、「俺を射て」と言える相手が家康しかいないのが、信長の孤独をより深くしていますね。家臣団に支えられ、彼らを信じるしかない家康には、常に家臣たちに「相応しくなければ自分を射て」というしなやかな覚悟がありますが、それとは対照的です。
家康が去った後、太刀や羽織といった自分の威厳を着飾っていたものを打ち捨てたまま、上段の間に座る信長をカメラはロングショットで捉えますが、この構図がまた信長の孤独を引き立てています。そして、孤独を強要され、誰よりも強く賢くあらねばならなかった自身の幼少期を独り思い返します。彼の胸中に吹く風の寒さはいかほどだったでしょうか…
(4)約束の地、京都
嵐のような二人の対決が終わり、いよいよ家康は、京の茶屋四郎次郎邸へ移ります。この邸宅、実際、当時の本能寺と目と鼻の先にあったりします。そういうところも、今回の脚本に生かされているのでしょうね。
茶屋四郎次郎邸では、内定を着々と進めている半蔵が迎えます。茶屋四郎次郎が潤沢な資金を提供し、鉄砲を始めとする武具を揃え、信長に恨みを持つ伊賀者たちがいつでも動ける態勢を整え、そして茶屋四郎次郎の店の者によって、安土城の見取り図も完成しています。そして、日々、服部党が周辺の状況を確認しています。兵も500動かせるとの話。直政の一合戦できるじゃないかという感嘆ぶりに、多くの名もなき者たちが家康の思いに賛同し、危険に身をさらしながら準備を整えたことが窺えますね。
状況は信長次第という段階まで来ました。後は家康の決意次第です。静かに時を待つ家康は太刀を握りしめて、家臣らの状況報告も背を向けて聞いていますが、ここには決断せねばならない主君の孤独と焦りがありますね。彼は安土城で見てしまった信長の慟哭と本性を前に、覚悟を決めながらなお自問自答する葛藤しています。この期に及んで…というより、この葛藤があるからこそ家康です。
そして、信長が100程度の手勢で安土を立ったことを大鼠より報告を受け、太刀にすがりながら「わしはできる」「やり遂げるんじゃ」と鼓舞しますが、これも葛藤の裏返しですね。ここまで準備し、自分を信じてくれた家臣に報いること、瀬名たち死んでいった者たちの死を無にしないこと、信長との約束を果たすこと、様々なことが彼の内を去来しています。
こうした悩み抜いた先の彼の決断だからこそ、多くの場合、正しい結果を招きます。葛藤というプロセスを失ったとき、家康は人間ではなくなります。
ただ、家康にしても、信長にしても、互いを見つめすぎていて、肝心なことを忘れていますね。まずは、二人の理想と感情のぶつかり合いの犠牲になって、自分の人生に絶望する明智光秀の存在を。絶望した人間は何をしでかすか分かりません。家康は彼のことも秀吉の元に向かうまでは、警戒する必要があったのです。信長もまた光秀の存在を失念しているようです。二人の油断、そして家康の決行への逡巡によって、歴史は正しく刻まれてしまうのかもしれません。
そして、もう一人。信長に異常事態が起こるであろうことを既に予見しているのが、毛利攻めの最中にいる秀吉です。暗礁に乗り上げている事態をよそに酒盛りをする秀吉、秀長兄弟。酌婦が好みでないため、「代わりはおらんのきゃ」を連発しているのが実に彼らしいです。彼の女性漁りは相当で、信長に「禿げネズミ」と書簡で書かれているほどです。後年、300人の側室を持ったとされますが、その基準も美貌と出自が高貴であることと非常に分かりやすいコンプレックスの人物です。その片鱗を垣間見せてくれています。
ただ、酒盛りが終わった後の相変わらず笑っていない目こそが、本作の秀吉です。信長の死を願いつつも「やったやつはバカを見る」と状況を冷静に判断し、漁夫の利を虎視眈々と狙っています。秘かに秀長に、後に中国大返しと呼ばれる早期撤退の準備を仄めかしている辺りに準備に余念がありません。実は彼こそが、状況を最も理解している人物です。
それにしても、明智光秀も羽柴秀吉も信長の配下です。信長は家康に「足元を救われるぞ」と家臣について、忠告していましたが、まさに自分こそが「足元を救われる」ことになるとは皮肉なことですね。これもまた、信長の敷いた徹底した能力主義による武断統治の綻びなのかもしれません。信長は時代の潮目に呑み込まれる運命だったのかもしれませんね。
おわりに
すれ違い続ける家康と信長の決闘は、互いに対する感情以上に政治に対する理想と信念の問題の対決でした。根本的に立ち位置が違うからこそ、目指す「戦の無い世の中」は同じでも終始、噛み合わなかったのも無理はありません。しかし、そのやり取りで炙り出されてきたのは、信長の強さゆえの脆さと長年抱えた苦悩の闇の深さです。そして、それは図らずも、彼が築き上げた徹底した能力主義による武断統治というシステムの限界と歪みを洗い出すことになりました。
そして、弱さを認めた家康が進もうとする周りの人々との信頼関係による協力体制という理想の芽もそれによって逆照射されました。ただ、信長暗殺という危険な計画にそれが使われている今は、まだまだ危なっかしいものですが。
ところで、信長が自身の苦悩を分かち合う相手として欲した「弟」とはなんでしょうか。それは、兄たる自分を立ててくれ、でも対等に何でも話せる信頼できる人間性、そして自分の足りない面を補う能力を持つ相手と言うところでしょうか。もっと簡単に言えば、やや対等な信頼できる補佐役が「弟」の領分でしょう。
しかし信長はそうなるべき同腹の実弟、信行を殺さざるを得ませんでした。おそらく、これが大きな影を落とし、彼の「弟」を渇望する人生が始まったのでしょう。そして、自分とは違う穏やかで誠実な義弟だった浅井長政にはその実直さからかえって裏切られてしまいます。そしてお気に入りの昔馴染みである白兎の同盟者、家康からは袂を別たれ去られました。
信長の元には他にも実弟はいますが、有名な有楽斎すら未登場ですから、信頼に足るだけの力量ではなかったのでしょう。ずっと望んだその存在をついぞ得られなかった信長は、自身の武断統治の中で孤独を深め、精神的に追い詰められ、不安定になりました。綻びを繕う人間がいないのですから何ともなりません。
彼とは対照的に、やや対等な信頼できる補佐役を実弟に持つのが秀吉です。彼は信長に死んでほしいなどという不謹慎な発言を弟、秀長の前だけでは出来ます。冷静な状況分析をしている秀吉を見る限り、秀長の存在によって秀吉が精神的にも安定していることが窺えます。
「どうする家康」の秀長はどういう人物か、今のところははっきりしませんが、史実の秀長は人格者で彼の足りない部分をよく補佐し、各大名と秀吉の間を取りなし、実務も長けた政権の柱石でした。それだけに彼を若くして亡くしたことで、秀吉の政権も一気に翳りを見せ始めます。いかに、信頼に足る補佐役が重要かは歴史が証明していますね。
では、「どうする家康」の家康にとっての「弟」とは誰でしょうか。確かに久松家には家康を慕う異父弟はいます。しかし、彼にとって兄弟に等しいのは、人質時代の苦楽を共にした平岩親吉、鳥居元忠たち同年代の家臣たちのほうです。年長者である数正を含め、彼らは家康にいつも言いたい放題であり、家康もまた本音を漏らします。
また年下の忠勝も物語当初から遠慮がありません。新参の万千…じゃなくて直政も同様です。
そう、信長曰く、家康を「友垣のように扱う」家臣たちこそが、「弟」に代わって、彼の足りないところをフォローし、時に叱咤し、そして最終的には彼を立ててくれる補佐役たちなのです。
複数のやや対等な信頼できる補佐役たちがいる家康は、信長よりも秀吉よりも強固な絆を持っていると言えます。三河一向一揆、三方ヶ原合戦を通して、少しずつ築いていった信頼関係こそが家康の強み。
それは言い換えるなら、必要なときに必要な人の力を得られる人徳が、家康の美徳ということです。だからこそ、彼にとって初の大きな謀略である信長暗殺計画も、その是非はともかく、実効性のあるところまで形に出来たのだと言えるでしょう。家康は、自身の弱さを受け入れたため、既にそのことに自覚的になってきているようですね。
ただ敢えて、「やや対等な信頼できる補佐役」を一人だけに絞るなら、家康の後半生の股肱の謀臣、本多正信をあげておくべきでしょうね。三河一向一揆で追放された正信ですが、一説には伊賀越えの頃には家康の元へ帰参していたとも言われています。もうすぐ、劇的に松山ケンイチくんの正信が帰ってくるはずです。その辺りも楽しみにしたいところですね。
何はともあれ、今回のラストでは既に本能寺は炎上中です。「真・三方ヶ原合戦」の如く、時間が巻き戻り、本能寺の真実が語られることになるのでしょう。武勇に長けた岡田准一くんの…ひらパー兄さん園長(そのなが)…ではなくて、織田信長の華々しい最期の活躍を見届けましょう。