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辞世の句vol.06 「豊臣秀吉」

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」

意味:私の身は露のように儚く消えた、大阪での栄華も夢のようだった。

豊臣秀吉は1537年(天文6年 ※1536年[天文5年]説もあり)、尾張国の農家に生まれました。
1554年(天文23年)頃から織田信長に仕え、美濃国攻略や浅井氏・朝倉氏との戦いなどのなかで功績を残し、頭角を現していきました。

織田信長の家臣として活躍し、中国地方の攻略の指揮官に従事します
本能寺の変が起き、山崎の戦いで明智光秀を討ち、その後織田信長の
天下統一事業を引き継ぎました。

そして1585年(天正13年)には関白、その翌年には太政大臣となり、1590年(天正18年)には天下統一を成し遂げました。

豊臣秀吉は、天下人にふさわしい巨大かつ壮麗な「大坂城」(大阪市中央区)を築いたり、多くの側室を設けたりしていて、派手好き・女性好きだった面がありました。

朝鮮に2度にわたって侵入、国外も侵略しようとしていました。

このような人生を送った豊臣秀吉でしたが、その辞世の句はどこか悲しい歌
でした。栄華を極めても、振り返るとその人生は儚い夢のような存在に感じられたことがうかがえます。

著名人が遺した辞世の句/ホームメイト (touken-world.jp)
https://www.touken-world.jp/historical-last-words/ より


豊臣秀吉は幼い息子「豊臣秀頼」(とよとみひでより)の将来を心配していました。

農家出身で一代で天下の頂点まで上り詰めたなんてトンデモナイ立身出世物語を背負っていますが、本当の秀吉とはどのような人物だったのでしょうか?

基本的には明朗快活でさっぱりしていて楽観的。 「サル」と呼ばれて主君や
周囲に親しまれたオープンで周囲を明るくするような個性の持ち主。

一見は気難しそうだったり陰があるように見えることもあるけれど、親しくなるとおおらかでカジュアルな人柄がわかる。

尋常ならぬ野心家であり、その(野望)が諸悪の根源となって、彼をして、残酷で嫉妬深く、不誠実な人物、また欺瞞者、虚言者、横着者たらしめたのである。 

日々数々の不義、横暴をほしいままにし、万人を驚愕せしめた。 彼は本心を
明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた。

果たして本当の姿とは・・・結局伝わっている史実からの読み解きになりますが書物でも映像でも色々描かれていますのでイメージが先行してしまいますが天下人ってどんな感じでしょうか、今の総理大臣や天皇陛下殿とは違いますのでチョット想像を超える存在なのでしょうね。

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