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名作劇場「童話の世界から:日本編」vol.2「一寸法師」

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
子どもがいなかったので、神さまにお願いしました。

「親指くらいの小さい小さい子どもでもけっこうです。どうぞ、子どもをさずけてください」すると、ほんとうに小さな子どもが生まれました。

ふたりはさっそく、一寸法師(いっすんぼうし)という名まえをつけてやりました。

ある日のこと、一寸法師は、おじいさんとおばあさんに、こんなことをいいました。
「わたしも都へいって、働きたいと思います。どうぞ、旅のしたくをしてください」
そこで、おじいさんは一本の針で、一寸法師にちょうどピッタリの大きさの刀をつくってやりました。

おばあさんは、おわんを川に浮かベて、一寸法師の乗る舟をつくってやりました。

ここから一寸法師の都への旅物語となります。

鬼やお姫様と出会い色々ありまして、姫を鬼から守ることでふしぎな小槌を手にいれこれで自分の身長を高くする願いをかなえました。

その後はお姫様と幸せのなりました・・・というストーリーであります。

由来:現在伝わっている話がいつ成立したかは未詳であるが、室町時代後期
迄には成立していたものとされる。「小さな子」のモチーフは、日本においては日本神話のスクナヒコナ(スク=少・ナ=大地・ヒコ=男神・ナ=接尾辞)がその源流と考えられる。

江戸時代には、「一寸法師」の名は背の低い人間に対する差別用語としても
用いられ、妖怪をテーマとした『狂歌百鬼夜狂』『狂歌百物語』などの狂歌本では、一寸法師が妖怪の一種として詠まれている。

なお一寸法師が住んでいた津の國難波の里とは現在の三津寺(ミッテラ)から難波付近と言われている。また御伽草子には「すみなれし難波の浦をたちいでて都へいそぐわが心かな」とあるため、椀に乗って京に向って出発した
難波の浦は、現在の道頓堀川だと言い伝えられています。

一寸法師の教訓とは何か?体が小さくても努力していればチャンスは訪れる。悪しきを倒し何かの見返りを得ることが出来、でも一歩間違えばチビの威張りが横暴に動いてパワハラ発動の後普通人にのし上がってしまった。

まあ、いかような解釈も可能なだけに結局は読み手の意識の問題でしょうか?

もしかしたらそんな様々を考えるのも童話を学ぶ意義なのかも知れません。

いや、単なるひねくれ者の偏見を煽るだけのことですが・・・?

素直な気持ちで読むのが童話の基本だとは思いますが?

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