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辞世の句vol.08 「紫式部」

「誰か世に ながらへて見る 書きとめし 跡は消えせぬ 形見なれども」

意味:死んでいく者が書いたものを、いったい誰が生きながらえて読んでくれるだろう。書いたものは消えることがない形見ではあるけれど。

「源氏物語」作者として有名な紫式部ですが、歌人としても評価の高い女性でした。

才女ともてはやされ、現存する日本最古の長編小説を書いた紫式部らしい。

世の無常を憂いながらも、これまでの作品は形見となって残る、という自信が垣間見えます。

紫式部の生没年に関する近年の研究では、天禄元年(970年)から天元元年
(978年)の間に生まれ、少なくとも寛仁3年(1019年)までは存命したとされ、その後の没年は誕生年と同じく、研究者ごとに様々な説が出されております。

二十代後半になってもまだ独身で、父の為時が長徳二年(九九六)に越前守
として現地へ赴任した際も現地に同行している。 しかし二年後、藤原宣孝から手紙で求婚されて都に戻ることになり、翌年頃、2人の間に「藤原賢子」(大弐三位)

が生まれました。 しかし藤原宣孝は、その直後の1001年(長保3年)に急死。

当時の女性としては珍しい生涯だったように思いますが、書物を残し確実に
時代に名前を刻んでいます、いつの時代でも風雲児はいますね・・・。

源氏物語によって人々を惑わせたから地獄に堕ちた、反対に、観音菩薩の化身だった、などと言われていますが、真実はワカリマセン。

紫式部が残した作品は、・『源氏物語』・『紫式部日記』・子供時代から晩年に『紫式部集』・『拾遺和歌集』などの勅撰和歌集に、計51首が入集しているようです。


2024年(令和6年)のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公に抜擢されたことから、にわかに注目が高まっている人物です。

源氏物語の執筆を始めたのは夫を失った頃です、一説には夫を失った悲しみや寂しさを乗り越えるためとも言われています。

源氏物語の文字数はおよそ100万字で全54帖。400字詰めの原稿用紙に換算すると約2,400枚という大作です。

容姿、才能ともに卓越した「光源氏」と、その子とされる「薫」を主人公として、恋愛模様や出世話を中心に物語が展開していきます。

物語の随所に漢文学の素養が垣間見える他、和歌795首を詠み込みながら
登場人物の心情を表現するなど、紫式部の教養の深さが存分に発揮されており、発表当時からたいへんな評判を呼びました。

日本を代表する文学作品、時空を超え今でも様々と描かれていますが
正まだ全てを読んではおりませんので、生涯の課題の一つかもですね。

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