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思考の発達と人間の性質による生成物

思考することが他の動物よりも得意である人間は、
自然や物事の動きの原理を探求し、
理解・分析をすることで新たなものの発見と開発を継続して、
あらゆるものを発展させてきた。

これは長い年月を経て遺伝子に刻み込まれた
人間の性質と言って過言ではない。
その人間にとって、物事に意味づけをすることは自然な思考なのである。

「何故」に出会うと、
「これは・・・〇〇である」と意味づけ・理由づけをする性質があるのだ。
人知を超えるモノや現象に出会ったときに、
それを説明するために想像力が役に立つわけである。

つまり、神的、超人的な存在や力、
時には宇宙人や時空移動を想像して活用し、理由をつけて納得をする。
そして往々にして理由付けした超人的なものを崇め奉り、
口伝や文字で後世に伝えられていくのである。

人間にとって、「分からないこと」は強い不安と恐怖を覚える。
これに対する意味づけ・理由付けは、
人々の苦悩の解消にとって非常に有効に働いた。

そして意味づけが神々を作り、神話を作り、
あるいは物語を、怪談を作り、都市伝説を、陰謀論を作ることで、
人々を納得させるため、または、不安を解消させるため、
数多の崇めるものと憎むものが作られてきた。


この世界で、私たちが「見る」(観測する)ことができる物質は、
宇宙全体の僅か4%程度しかないのだと言われている。
残りを占めているのは
ダークマターとダークエネルギーと称される、正体不明の物質だ。
観測に基づく計算値と実際の結果が合わないので、
そのギャップを埋めるための物質とエネルギーがあると
推定するしかないが、
人類はまだこれを観測する術がない。

私たちは、生きている上ではどうしても、
五感で感じたことが全てだと錯覚してしまいがちだ。
また、他人と自分はおおよそ同じように、
見て、感じていると思うことが自然である。

しかし、例えばよく言われるような男女の色の識別能力の違いや、
味覚、嗅覚の個人差、文字を見ると色をイメージしたり、
音と色、数字と形状を同時に感じたりする共感覚と言われるものなど、
他人とは必ずしも同じようには見えていない、
感じていないこともあるということはご理解できるだろう。

では、例えば、共感覚の持ち主が特別に普通と異なるのだろうか。

実際には、他人同士は僅かながら異なる感覚を持っているが、
不都合が生じない範囲の中での違いのため、
その違い自体に気付けていないだけではないだろうか。

視覚を一例に取っても、
眼球のレンズのサイズやカーブの違い、視神経の太さや長さ、
大脳視覚野の働き、これらに個人差がないわけがない。

ということは、
実際の見え方、見ているものは100%同じということの方が無理がある。

違うものを見ているが、共通の認識で語ることができる
一定の範囲の中に収まっている多数派が、
齟齬(食い違い)なく同じものを見ていると感じている。
これは、他の全ての感覚にも置き換えて言えるのだ。

では、私たちは一定の範囲内での誤差感覚があるだけなのだろうか。
視覚を例に考えると、人間が一般に見ることができる
光(可視光線)の波長の範囲は、およそ400~800nmと知られている。
 ※1 nm(ナノメートル) = 1×10のマイナス9乗 (0.000000001) mである。

波長が長い(≒800nm)ほうが赤く、そこから短くなるにしたがって、
いわゆる虹色の橙黄緑青藍の順に色が変わって見え、
波長が短い側で紫に見える。
赤よりも波長が長いものは赤外線、
紫よりも波長が短いものが紫外線である。
さらに波長の違いで
マイクロ波、ラジオ波、Ⅹ線、ガンマ線などと区別される。

ここで、全ての人間は皆、400nmの波長、800nmの波長を超えると
知覚できないのかというと、おそらくそうではないだろう。

個人差によって、見える範囲の領域が異なり、幅が広く近くできる人や、
片側にズレて知覚できる人、
逆に、一般よりも狭い範囲しか知覚できない人など、様々だろう。
つまり、見え方だけでなく、見えないものが見える状態ということもある。

聴覚でも年を取ると聞こえにくくなるモスキート音と言われる
周波数の音があることが広く知られているように、
これもあらゆる感覚において、
個人差、年齢の違い、身体の状態の違いなどによって、
知覚できる人、できない人がいることは全く不思議なことではない。

ここまでは、皆が知覚している感覚について、
その範囲が共通ではないということを確認してきた。

では、皆(ほとんどの人)が知覚していないものについてはどうだろうか。
つまり、ある人だけが見える、聞こえる、感じることがあるだろうか。

もちろん、前述の例と鏡写しのようにあるだろう。
人間が知覚できる範囲は非常に狭く限られているうえ、
さらに、観測できるものも宇宙の4%しかないとなると、
多数の人が知覚できないものを感じたり、アクセスできる人がいても、
何ら不思議ではない。

ここに、神あるいは霊的なものと通じる人が発生し得る土壌がある。

他人にはない不思議な力を持つ人、
見えないものを見る人、
未来を予知する人、

彼らの全てとは言わないが一部は、
多数の人とは異なる知覚感覚を持つ人なのかもしれない。

そして、その人たちが見たもの、聞こえたものを、他人に伝えるときに、
人間が得意とする想像力を駆使して、
名前を持ち、姿を持ち、物語ができ、そこに意味づけされていくのだろう。

さらにこれが言語によって伝え継がれていくことで、
複製され、変換・統合され、時に変容し、進化していく。

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