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美人の基準は変わっていく⁉|「平均顔」について考える。

みなさん、こんにちは。京都在住大学生のぐりです。

学生の拙い文章にも関わらず、いつも見ていただきありがとうございます。


今回の本は、

『顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 「読顔術」で心を見抜く』

です。

本著は、「顔学」という観点で、社会事象を学術的に捉えています。日本独自の「かわいい」文化とや、「よい」印象の作り方など興味深いトピックが多くて飽きずに読めました。


そのなかでも印象に残った美人の基準となる「平均顔」について、その将来性も考察しながら深掘りしていきます。


「平均顔」とは?

そもそも私たちは、顔をどうやって区別しているのでしょうか。

本著では以下のように述べられています。

私たちはたくさんの人の顔を区別することができるが、その際、私たちは自分の持つ基準をもとにしている。
それは、これまで見てきた顔に基づいて作りあげられた基準である。日本人ならば、よく目にしてきた日本人の顔をもとに作りあげる。これまで見てきた顔を、単純に平均することによって、この基準は作られると考えられている。

つまり、人間は今まで会ってきた人間の顔を足して人数分で割った顔が、一般的な人間の顔だと認識しています。そしてその「平均顔」との違いを記憶することで、様々な顔を区別することができています。


それでは、平均が美しいとされる所以は何なのでしょうか?

本著では、

平均顔は、魅力的な顔とされるからだ。基準から離れた顔が奇異に映るのとは対照的に、基準に近い顔は、どこかで出会って馴染みがあるようにも感じられる。それは好ましさにもつながる。平均顔は馴染みがあるということで好まれる。一般的な魅力のある顔なのである。

と述べられています。

つまり、平均顔が美しいと感じる理由は、なじみ深く親近感をもたらすからだと言えますね。


確かに僕自身、外国人と一括りにしても、肌の色が違う人種の人よりも、アジア系で僕たちと似ている黄色人種の人たちの方が受け入れやすく感じます。


「平均顔」が本当に美人なのか?

ただ、ここで疑問が生じました…


それは、

「実世界の平均って、本当に美人なのか?」

ということです(笑)


偏差値でいえば、50です。そこまで高くない気がしますよね。

でも青春時代、クラスに美男美女は何人くらいいましたか?(笑)

30人くらいのクラスに、2,3人いたら良いほうだった気がします(個人差があります)

彼らが偏差値50っておかしくないですか?

一般人の僕たちはどんだけ低いねん!って感じです。(笑)


「なぜ、平均顔が美人とされるのに俗世間で美人は少なく感じるのか?」


この問いについて、真剣に考えてみました(笑)


自分なりに考えた、結論は

「メディア(テレビやSNSなど)の流行によって、美人の基準が上がってしまったから。」

です。


テレビに出演する俳優やアイドルって美男美女揃いですよね?


でも

あなたの周りには、石原さとみに勝てる美女っていますか?

あなたの周りには、松本潤よりイケメンな人いますか?

僕は会ったことないです(笑)


このようにテレビなどのメディアを通して10段階評価10くらいの美男美女を見る機会が多くなったために、全体的な平均のレベルも上がってしまったと推測します。

これが、俗に言う外見ばかりを好む「面食い」を生んでしまったと考えています。今では、TikTokなど、一般人が外見をしっかり補正して投稿できるアプリもあり、さらに美人の基準を厳しくしてしまっている気がします。

嫌な世の中ですね(笑)


逆に言えば、「平安美人はかわいくない」というウワサは、メディアがなかった平安時代だったからこその基準なのかもしれません。


将来の「平均顔」を3つのキーワードから考える。

これまで現代の「平均顔」について考えてきました。

これからは、「ジェンダー」・「グローバル」・「コンテンツ」の3つのキーワードから美人の基準となる「平均顔」の将来について予測していきます。


1つ目は「ジェンダー」で、具体的にはLGBTについてです。世界の約20%の国々が同性婚が認めているように、性の在り方が多様化し許容されてきています。身近なところでいえば、男性が自分を綺麗に見せるために化粧をすることは一昔前ではありえませんでしたが、今では男性用の化粧品が販売され当たり前になりつつあります。将来においてもさらに許容されていくと推測します。性差が少なくなり、「平均顔」においても男女の違いが統合されジェンダーレスが基準となるのではないかと推測します。

「男性らしさ」「女性らしさ」を感じさせない将来は、誰にとっても過ごしやすい世界だと思います。


2つ目は「グローバル」です。

ハリウッド映画が日本で売れ始めて(1970~)から、外国人に対して奇異に感じなくなりつつあるのではないでしょうか。現代のテレビに出演する俳優・アイドル・モデルのハーフ率が高いことからもグローバル化は美人の基準にも侵食していると言えます。

国際結婚も今では一般的ですが、国際結婚をされた方の3分の1は、「相手は外国人だから。」という理由で親に反対されているそうです。

グローバルが美人の基準に組み込まれることで許容されやすくなり、将来的にも国際結婚に対する反発は減っていくと考えられます。


3つ目の「コンテンツ」は具体的には「漫画・アニメ」などの二次元コンテンツを指しています。現代では、漫画やアニメが「子どもが見るもの」から、「大人も見るもの」に変化しました。それに伴い、コンテンツの嗜み方も変わっていっています。コスプレや2.5次元ミュージカル、聖地巡礼など、3次元にも進出した楽しみ方も増えました。コンテンツがリアルに登場することで、「平均顔」の基準に組み込まれると予測します。

キャラクターの奇抜な髪型を普段通りしていてもおかしくない世界が来るかもしれないというわけです。

コンテンツについては、一部マイナス面も考えられます。

「アニメにハマりすぎて、2次元にしか興味がない。」という人が急増する可能性があるということです。

2次元のキャラクターを3次元的な人として捉えることで、実際の美人の基準に組み込まれます。アニメなので、カワイイ・カッコいいキャラクターがいっぱい登場します。10頭身のアイドルなんて珍しくもありません。

もしもこの考え方が主流になってしまったら、究極論ですが、実世界の異性に満足できないなんてことにもなりかねません。

逆に、ゲーム内のアバター同士の結婚とかもあり得ますね。


以上、3つのキーワードから美人の基準の変化を推測しました。

この3つに共通することは、

多様化した「個性」を許容しているということです。

僕自身、少し先の未来は、マジョリティ・マイノリティに関係なく、お互い尊重し合い助け合う素晴らしい世界になると信じています。


さいごに

今回は、美人の基準「平均顔」について考えてみました。また、多方面から将来の「平均顔」についても、現状から予測してみました。

美人の基準は、時代の変化により変わっていくことを理解していただけたのではないでしょうか。


最後に、妄想をさらに広げてみましょう。


もし美人の基準に組み込まれる要素が無くなったら、どうなると思いますか?


僕は最終的に全員が「平均顔」に近い美男美女になっていくと思います。

全員が美しくなれるなんて、良い世の中ですね。

しかし、そのような世界には、


「美しさ」はあっても「個性」がありません。


僕はそのようなSF映画に出てきそうな画一的世界に生まれなくて良かったです。

僕は「個性のある」今の時代に生きていることを感謝して、これからも生き続けていきます!



【参考文献】

山口真美(2015)『顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 「読顔術」で心を見抜く』, 中央公論新社




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