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【記憶より記録】図書館頼み 2311#1

 いよいよ明日から師走。そして今日は雪模様。
 といった具合に、様々な与件が災いしたのでしょうか。午前中だけで車の追突事故現場を2回も目撃しました。 
 振り返れば、昨年の今頃の僕は、信号停車中に追突され、首にコルセットを巻いて鬱々と生活していましたっけ。

 とかく、不注意になりやすい時節ですからね。
 まずは、目の前の事柄に集中して、ゆとりを確保しながら安全第一で行動していきたいものです(自戒)。
 それでは、11月の「図書館頼み」を備忘して参りましょう。

1:ケルト 再生の思想
  -ハロウィンからの生命循環-

  著者:鶴岡真弓 発行:ちくま新書

 著者は、ケルト文明の中に通奏している循環的生命観を、四つの季節祭から導き出そうと試みている。
 ケルト文化圏においては、10月31日が一年の終りであり、始まりでもあるという。その境界で催されるのが冬の祭り「サウィン」であり、この祭りが「ハロウィン」の祖にあたるそうだ。

 何の因果か、我が国においては、呑んだくれとコスプレイヤー達、そして喧騒を好む人達のために存在するイベントになってしまったハロウィン。
 がしかし、元を辿れば、日本の「お盆・お彼岸」に近似した役割を担っていることは、多くの日本人が知っているところであろう。

 しかし、日本のお盆やお彼岸と明確に異なるのは、蘇った死者が春の祭り「インボルク」の時節が訪れるまで人間の里に残り続け、荒ぶる自然の精霊となって跋扈ばっこするという点である。このロングラン感は、ケルトの人々が暮らした環境の過酷さと無縁でないことは明らかだ。
 暗く厳しい冬から春にかけて、荒ぶる精霊(蘇った死者)を迎え、供養し、もてなし、慰めることで、ケルトの人々は、厳冬期という闇の季節を生き抜く力を獲得していたと著者は記している。

 ケルトの人々は、一年の終りと冬の始まりを告げる「サウィン」。そして春の「インボルク」、夏の「ベルティネ」、秋の「ルーナサ」といった具合に、四季に応じた祭事を催してきた。
 これら四季の祭りには明晰な意義があり、ケルトの人々が生みだした暦の中に効果的に仕組まれた。それはまた、過酷な環境を生き抜くケルトの人々の自然に対する畏怖の表れであったことが分かる。

 非常に読み応えがある本だった。
 じっくりと著者の丁寧な解説に触れることができたことで、若かりし時分に読み耽ったケルト神話の中に散在していた不可解な点が氷解したように思う。勿論、腑に落ちることばかりではなかったが、理解する糸口を与えて頂いたような気がしている。


2:江戸の乳と子ども
  -いのちをつなぐ-
 
 著者:沢山美果子 出版:吉川弘文館 

 著者である沢山氏の本は初めてではない。かつて、氏の労作「江戸の捨て子たち」を読了していたので、速やかに読み始めることができた。 
 著者の客観的な視点と冷静な筆致は、現代が抱えている社会問題にリンクさせて読み解くことを自然に誘発する。よって、性別や世代に因らず、深い共感を覚えながら読み進めることができるはずだ。

 時代小説や古典落語を好む人間なれば、「乳母」「もらい乳」という言葉を耳にしたことがあるはずだ。しかし、話の流れや登場人物の状況から推察することは出来ても、実相を正しく捉えることは難しい。それは、乳母が重宝され、もらい乳が当たり前とされていた時代と現在では雲泥万里の差うんでいばんりのさがあるのだから仕方がない。
 だが、本書を読んでいくうちに、江戸時代の社会制度が、現在よりも整っていたことが明らかになってくるのである。(乳に関わる問題のみならず、捨て子や養子といった多様な社会的課題にも及ぶのだから驚きだ。)

 豊富な事例の中に、伊達家支配下の仙台藩や一関藩で実施されていた乳不足の対策として、各地域の肝入きもいり赤子制道役に任じられた百姓達が乳泉散にゅうせんさんを配布していたことが記されてあった。
 特に、管轄域の暮らし向きを知る赤子制道役の役割は大きかったようだ。彼らは、子育てをしている婦女子の把握は勿論、乳泉散の配布や教諭の役割も担っていた(データ化していた模様)。

 こうした組織的かつ地域社会に即した対策の中には、赤子に乳をあげる暇もなく働く母親(農業の繁忙期は、日に3度の授乳が限界だったようだ。これでは明らかに不足しているのだが、農作業の全てが人力だった時代を鑑みれば大いにあり得る。)に対する温かい視座を感じさせる記録もあり、不調法な男ながらも胸を熱くした。

 当時の人々を困惑させたイレギュラーな状況を回避するために設けられた制度や、扶助に通じるネットワーク&コミュニティーは、困難の全てを解決するものではなかったであろう。加えて、江戸時代に生きた人々と現代日本人のメンタリティーの異なりを無視することはできない。
 ただ、これらの点に考え及んだ瞬間、社会制度云々よりもむしろ、現在を生きる自分の心が鷹揚さを失いかけているという事実に気付くのである。

 本書は、粉ミルクが無かった時代を描いている。それは、女性の乳房から滴る乳でしか子どもを育てられなかったという事実を暗に示している。
 子どもが飢えるような社会は地獄である。
 我々大人は、子どもを飢えさせるような社会を作ってはならない。
 その役割は古今に因らない。


3:うわさと俗信 
  民俗学の手帖から
  著者:常光徹 出版:河出書房新社

 数年前のことである。本書の著者 常光氏が書いた「しぐさの民俗学」という作品で充実の読後感を得たことがあった。故に、本書を図書館の本棚で見つけて思わずニヤリとしてしまった。
 
 内容は、題名が端的に表している。
 「うわさ」の章では、口裂け女人面犬学校の怪談首なしライダーといった常連組を初めとして、就職や受験に関わる噂話ブティックの試着室(オルレアンの噂)なども取り上げている。
 また「俗信」の章では、「親指と霊柩車」「土用うなぎ」といった全国区の俗信よりもむしろ地域色の濃い事例が多く並んでいて興味深かったし、著者の筆圧が高い様に思われた。

 世辞抜きの率直な感想は、ムック本を好まないタイプの入門者に適した一冊ということになるだろうか。
 かような感想を抱きながら最後の頁を捲ると答えがあった。それは、本書が高知新聞のコラムを編纂して出版されていたという事実である。それならば、俗信の章に色濃くでていた地域色も、著者の熱の入れ具合も理解ができようものだ。

 とまれ、こうした裏腹もまた読書の妙なのであろう。来年も、思わぬ出会いを楽しみに、図書館の本棚を我が家の本棚に見立てて大いに活用していこうと考えている。


おまけ:記事内に関連した過去記事

1:昨年の追突事故に関する備忘録

2:「ブティックの試着室の噂/オルレアンの噂」の関連過去記事

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