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【エッセイ】日々是好日

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ふと思ったこと。
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#エッセイ

【日常エッセイ】近所には、夜の女王が住んでいる。

うつうつとした気持ちで部屋に入ると、どこからともなくアリアが聞こえてきた。 * 『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』 が聞こえてくる。 モーツァルト作曲のオペラ、『魔笛』。その劇中で、夜の女王が高々と歌うあのアリアだ。 歌声の主はおそらく、ご近所さん。音程もリズムも自由奔放。スタッカートの調子で、ルンルンと弾むように歌っている。 このアリアが『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』なんて物騒なタイトルであることを忘れてしまうくらい、明るい歌声だ。 歌い

【京都エッセイ】京都タワー

京のなんなん①:京都タワーの形 京都駅に着いた。 烏丸口を出てすぐのところに、立ち止まっている人が数名。見ると、皆同じ方向にカメラを向けていた。その先には京都タワー。わたしも彼らにつられて、目前の白亜の塔ににカメラを向けた。 京都タワーって古都っぽくないなぁ。 古都、で思い浮かべるのはお寺とか神社とか、史跡とか町家が並ぶ街並みとか。我ながらひねりのないイメージだな、と可笑しくなるけれど、「古都」にはどうしても古さや歴史を求めてしまう。 だから、京都タワーには古都を感じない

【京都エッセイ】0.京を歩けば「?」にあたる

大仏がないのに大仏前交番。 天使はいそうにないのに天使突抜町。 京都を歩くと、なぜ?どうして?と頭のなかがはてなマークでいっぱいになる。京都好きの血が騒ぐ。「なぜ?」を考えずにはいられない。そこで、その考察を兼ねたエッセイを綴ることにした。頭の中が京都にまつわる疑問で今にもパンクしそうだから、思い切り吐き出したい。 このエッセイを読んだ人が、わたしと一緒になって「なぜ?」と頭を抱えてくれたらこれ幸いです。 * 「どうして京都はこの場所にあるのか」 と

旅に危険はつきもの

ここはとある神社。 境内には、私一人だけ。 ふらりと立ち寄ったこの神社は、 観光地にありながらシン、と静まり返っている。 ぽつ、と雨が降り出した。 玉砂利の音は雨に消え、鎮守の森は風に蠢く。 傘越しに見える境内は、雨に霞んで幽寂だった。 どうして誰もいないのだろう。 もしかして、神隠し…? 妖美な光景を目前に、 そう思わずにはいられなかった。 ごう、と風が唸る。 私は、傘の柄を強く握った。

300日連続投稿達成に対して、特に何も思わなかったという話。

「やったー!連続投稿300日達成!次は目指せ365日!」 毎日note300日を迎えたその時は、こんなテンションになる予定でした。が、実際は「ふーん」という冷めたもの。 いや、嬉しいんですよ。とても。毎日欠かさず続けるのは大変なことですし、それだけでも十分凄いことだから。 でも「ふーん」だったんですよね。なぜそんなにも冷めた反応だったのか、自分なりに考えてみました。 1、「続けること」が目的ではなかったから そもそも、毎日noteを始めた理由は「なんとなく」。毎日欠か

トキメキが足りない。

カレンダーを見てびっくり。 令和元年、あと20日で終わってしまう。1年あっという間すぎない?びっくりするくらい、時間の進みが早い。 そう言えば以前、『チコちゃんに叱られる!』という番組で「大人になると1年があっという間に過ぎるのは、人生にトキメキがなくなったから」と紹介されていた。子供は見聞きしたことに対して疑問を抱いたりするけれど、大人はそれを「そういうものだから」と流してしまう。流してしまうから時が早く流れているように感じる、ということらしい。 先日、3歳の姪っ子に

わたしの「好き」はホンモノか。

「離さへん」 「抱き寄せても、ええですか」 今朝、テレビの前でガッツポーズをした視聴者はわたし以外にもいるのではないでしょうか。きみちゃん、八郎、お幸せにー! 今期の朝ドラ『スカーレット』。毎日楽しく観させてもらっています。火鉢の絵付けに一生懸命な主人公の喜美子。陶芸にも興味を持ち、そして陶芸に打ち込む八郎に惹かれ、「好きや!」と告白する貴美子の手を握り「離さへん」と応える八郎。...ああ、思い出しただけでキュンとしてしまう。好きなこと、興味があることに向かって全力で

ごはん食べた?

你吃饭了吗?(ニーチーファンラマ?) กินข้าวหรือยังคะ(ギンカーオルーヤンカ?) どちらも「ごはん食べた?」という意味です。 タイと中国では、この「ごはん食べた?」が挨拶として使われていたそう。相手がちゃんとごはんを食べて元気にしているかどうか、それをまっさきに気にする心遣い。何よりまずは食。空腹では仕事も遊びも、何もできません。なんて素敵な挨拶なんだろう。 これはわたしの想像ですが、「ごはん食べた?」の挨拶には、歴史的な背景があるような気がします。どちらの

中国語をはじめて1ヶ月。

表紙がかわいい(ジャケ買い)こちらのテキスト、今日で2冊ともやり終えました。1か月と10日かかりましたが、その間一度も飽きることなく楽しくできたので良かったです。 文法の基礎~基礎応用を学んだことだし、よし!今日のnoteは中国語でも書こう!思ったのですが...びっくりするほど何も書けない笑 二冊やったからって身に着くわけではないですね。何度も繰り返して、身に着けたいと思います。 1か月中国語を独学した結果、読める漢字が増えました。そのおかげで、五月天の歌詞が少し読める

セミファイナル

セミファイナルの時期がやってきました。 セミファイナル、といっても準決勝semifinalのことではありません。道端で死んだように動かない蝉に近づくと、ジジジジジ!と突如暴れだすアレです。びっくりするんですよね、セミファイナル。 さて、この「セミファイナル」。実によくできた表現だなあと、耳にする度に感動します。もうすぐ最期を迎えるセミを表したこの言葉。語感の良さはもちろん、きちんと意味も伴っているんですよね。おまけにシャレまで効いている。「セミファイナル」と「蝉のファイナル

いつだって動機は不純

「ピアノが好きです」 と今は言えるけれど、元々は好きでも嫌いでもなかったんですよね。 言ってしまえば「興味がない」というやつ。興味がないから楽しいともつまらないとも思わない。練習はお稽古が始まる1時間前にちゃちゃっと1回弾く程度。 ああ、これを先生が聞いたら泣くだろうな... そんなわたしがある日突然、「ピアノ楽しい!」と180度方向転換しました。その理由は、 「ピアノを弾いている女の子っていいよね」 という一言。 当時わたしは高校1年生。同じクラスのA君(妻夫木聡似)

気温懐古主義

今日はすこぶる暑かった。 全国的に酷暑だったとしても、地元はいつも32~3度。そんな安定した地元でさえ、今日は35度を超えたそうだ。 外に出てその暑さを体感した瞬間、丸焼きにされる豚はこういう気持ちなのかな、と心苦しくなった。やはり食べ物をいただくときは、きちんと「いただきます」をしなければいけない。 …と話は逸れたが、話の趣旨がすっ飛んでしまうほど、すっかり暑さにやられてしまった。この暑さ、冗談でしょ?笑えない冗談は即刻やめてほしい。 ところで今から20数年前、私がま

書きたいことは山ほどあるのに書けない

最近、文章が書けません。 ネタはたくさんあるんです。でも、書けない。書こうとしているのに、キーボードを打つ指が動いてくれません。何故だろう。 そもそも、何故「書く」のでしょうか。 私の場合、その答えは二つあります。一つ目は誰かに伝えたいことがあるから。二つ目は自分の考えをはっきりと知りたいから。 伝えたいことを書くことで「私はこの時こういう風に感じていたんだ」「私はこういうことを言いたかったんだ」と、自分の考えや心情を客観的に知ることが出来ます。頭の中でぼんやりと考えていた

趣味の棚卸し

趣味の棚卸し、というタグを見つけたのでやってみることにしました。 ****** 写真愛機はNikonD90と、OLYMPUSのデジカメ・STYLUS SH-1。 写真歴は忘れましたが、少なくとも大学生の時は全く興味が無かったです。 何がどうして写真を始めたんだろう。よく分かりません。 でも好きです。 好きな被写体は人がいる風景。 無人の風景よりも、「人がそこにいてこそ」な風景が好き。 ピアノピアノ歴は今年で28年目です。ずっと同じ先生に師事しています。