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300日連続投稿達成に対して、特に何も思わなかったという話。

「やったー!連続投稿300日達成!次は目指せ365日!」

毎日note300日を迎えたその時は、こんなテンションになる予定でした。が、実際は「ふーん」という冷めたもの。
いや、嬉しいんですよ。とても。毎日欠かさず続けるのは大変なことですし、それだけでも十分凄いことだから。
でも「ふーん」だったんですよね。なぜそんなにも冷めた反応だったのか、自分なりに考えてみました。

1、「続けること」が目的ではなかったから
そもそも、毎日noteを始めた理由は「なんとなく」。毎日欠かさずnoteを書くことで何かの成果を得たかったわけでも、仲間を作りたかったわけでもありません。
では何を目的に、言い換えれば何が楽たのしくて毎日欠かさずnoteを書いていたのか。それは、ただ喋りたかっただけだから。ここで喋りたいだけであって、noteを毎日続けることで達成感を得たかったわけではありません。だから「300日続けられた」という記録に何も感じませんでした。おそらく、毎日投稿が365日続いたところでそれは変わらないでしょう。
ただ、300というキリが良い数字は好きです笑

2、noteで喋りたいだけだから
喋りたいの?ほんならnoteじゃなくて日常生活で喋れば良いじゃん!
…と感じる方もいると思います。でもわたしにはそれが難しいのです。
話したいことはたくさんあります。でも、話すとなると「相手」が必要です。ところが、その「相手」にどんなタイミングで何と声をかけて話しを始めたら良いのわかりません。やっと話したとしても特徴的な喋り方(支離滅裂、やたらと話が長い、マシンガントーク)になってしまうし、どんな表情やトーンで話したら良いのかもわかりません。こんな調子だから、喋らせてもらえない時さえありました(トラウマ)。
その点、書くのは気が楽です。書く時は表情や声のトーンに気を使う必要がありません。文章が長くなってしまっても、後から調節できます。そして何より、noteでは「わたしの話を聞いてほしい」と声をかける必要がありません。書いた記事を自分の都合でポチッと投稿するだけです。
そして、そのnoteが誰かに読まれようが読まれまいが、それはわたしにとって重要なことではありません。話を誰かに聞いてもらいたいのではなく、ただ喋りたいだけだから。自分の頭の中にあるものを、表情声色云々に気を使うことなく、楽しくアウトプットが出来るだけで満足です。
また、読み手の都合(需要や文章の読みやすさ等)も考えていません。読み手がわたしの文章を読むも読まないも、評価するもしないも、全て読み手の自由。みんな好みや価値観が違うのですから、わたしがどうこうすることではありません。
だからとにかく書く。喋りたいことをそのまま書く。書いていて楽しいかどうか。それしか考えていません。気楽なもんです。

日常生活で上手く叶えることができない「喋る」を、ここで叶えさせてもらっています。喋りたいことは毎日湯水のように湧いてきます。だから毎日喋りたい。喋りたいことが毎日あるから毎日書いた。「毎日続けることは難しいことだから挑戦してみよう!」ではなく。ただそれだけのことです。

読み手の都合を一切考えず、自分が話したいことを書き殴っただけのわたしの文章が、誰かの目に留まることは奇跡です。投稿したタイミング、書いた文章にたまたま需要があったなど、偶然に偶然が重なった結果にすぎません(だからこそ、スキやコメントがもらえた時は死ぬほど嬉しい)。
評価は後から付いてきます。いや、付いてくるかもわかりません。わからないものに取り憑かれていたら、書きたいものが書けなくなります。わたしはそれが嫌です。いつだって「書きたいものを書きたいように書いた」でありたい。
ただ、課題や仕事の関係で、自由に書けないこともあると思います。だからこそ、noteにおいてはその姿勢を崩したくありません。noteのマイページは他の誰のものでもなく、わたしのものだから。

というわけで、これからも読み手の都合は二の次三の次。自分の都合を一番に、書きたいように書き続けます。喋りたいことがあれば毎日でも喋ります。話のネタが尽きるまで!

今年もよろしくお願いします。


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