見出し画像

いてもいなくても

「人生で何を成したいか」

本当に何もない。

人生に希望が持てないとか生きる意味が分からないとかそういうことじゃない。

ただ願うことは、大好きな、大好きな人たちが幸せであること。

だから前は、周りを幸せにしたいとか、笑顔にしたいとか思っていたけど、
最近は幸せって他人が決めれることじゃないし、ましてや与えられなんてしない。
私が大好きな人たちはきっと、私が心配しなくてもみんな幸せになっていく。私にできることなんてない。

そんな風に感じる。

いてもいなくても同じ

私は自分のことをそう思っているみたいだ。

なんでだろう?
考えてみたら、あ、よそ者だから、だ。

転勤族で、いつもよそ者で、
私が来るまでもその場所は存在していて、私が去ってからももちろん続いていく。
そのことが、「私はいてもいなくても同じ」という感覚を育てたんだろう。

だからこそ、あなたが来てよかった、いてよかったと思われたくて、がんばる。ある一定期間、関係を築いて、それなりに貢献して、自分も楽しんで。すると、ちゃんとお別れの時が来る。
別れを惜しみながら惜しまれながら、でも次の場所への期待もわずかに抱きながら旅立つ。しばらくは寂しい気持ちが強くても、だんだんと、じんわりと、新しい場所に馴染んでいって、前の記憶や前の人との関係は薄れていく。

今思えば、みんなそうなのかもしれない。
諸行無常、同じところにいたって人との関係や状況は変わっていく。

ただ、そのスパンが人より短くて、変化が大きくて、特に強く感じたのかな。思えば、幼稚園、小学校、中学校、高校、どれも入学から卒業まで同じところにいれたことがない。

正直、そのことを嘆く気持ちは全くない。
むしろ、縛りがなくて、しがらみがなくて、自由でいられて有難いと思う。
なくてはならない存在=責任が生じるから…
家業を継ぐとか、相続する何かがある人とか大変やなって思う(もちろん、それはそれでかっこいいし、ならではの楽しみ、やりがい、いろいろあるのだろうけど)。

ただ、気がかりなのは、してもらったことが多すぎるから、それはどうしたらいいのかなーって。。
別にいてもいなくても一緒だし、特にやりたいこともやるべきことも思いつかないなら、もし今死んでも後悔はないかなって考えたとき、いや、これじゃあ供給過多がすぎないかと…笑
いやいいんだけどさ、いいのかな、、

まだ何の結論も出てないし、特にオチもないけど、とりあえずこんなこと思ってたっていう記録。

あ、これまでの人生に、何の悔いもないし、本当の本当に幸せだったと、これまで関わってくれたすべての人に感謝しているということを綴った遺書は書くことに決めた!

あとはまだまだ模索中。

久々にタイムリーに文字にできました。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?