大袈裟にピクルスを抜きたがる人
「すみません、チーズバーガー1つ。あと、これは真剣なお願いなんですけど、ピクルスを抜いてもらってもいいですか」
昼下がりのマックに入店してきた男はそう言うと、唐突に額を床に擦り付けた。
「お客様???如何されました?」
男の突然の奇行に驚く店員を尻目に、男は声を震わせながら繰り返す。
「どうかピクルスを抜いて欲しいんです。ピクルスを抜いてくれれば話は早いんです。」
店員は目を白黒させている。
「お客様、、とりあえず一旦立ちましょうか、、」
「ピクルスを抜いて欲しい、それ以上でも以下でもないんです。」
男は長いため息をつく。
少しパーマのかかった髪を指先でいじりながら、彼は言う。
「すみません、実はピクルスを抜いてもらうのをお願いするのは初めてで、、少しばかり緊張しています。もし、あなたの目に私が失礼な男に映っていたら大変申し訳ないです。私の名前は武藤ジェイソン一樹と言います。バツイチのロリコンです。」
武藤は明快な自己紹介をしたかと思うと、その場でゆっくりと立ち上がり、その髭面からは想像できない、白くて細長い女性のような手を目の前の店員に差し出す。
店員は戸惑いながらも武藤と握手をかわす。
「私は生まれてこの方、ピクルスとは無縁な人生を送って来ました。無論、私が望んだ結果ではありますが。人生の半分をアメリカ、もう半分を日本で過ごして来ましたが、一度もピクルスを口にしたことはありません。ピクルスが先天的に怖いんです。」
武藤が目を伏せる。
「私がピクルスを避けていたように、ピクルスも私を避けていました。ピクルスがいる場所にわざわざ行くこともなかったですし、ピクルスの方から私の目の前に現れるということもなかったんです。」
ピクルスがいる場所にわざわざ来てるじゃん、と野次馬が言った。
武藤は肩を震わせながら続ける。
「神は14日で世界を作りました。もし、今神に会えるのであれば言いたい。ピクルスが存在しない、ピクルス抜きの世界を作ってくださればよかったのに、と。」
7日だけどね、と誰かが呟いた。
武藤の頰を一筋の涙が伝う。
「『ピクルスはアクセントなんだよ』と誰かが言っていました。その気持ちは分かります。けど僕は声を大にして言いたい。『それは人によるんだよ~』と。」
武藤の目が赤く充血している。
「だから、ピクルスを抜いてください。難しいことでありません。ちょいと指先でつまんで、放れば、、、すみません、ごめんなさい、つい感情的になってしまって、、」
武藤が深く頭を垂れた。
「……わかりました、ピクルスはしっかりと抜かせていただきますので、ご安心くださいお客様。ご一緒にポテトは如何ですか。」
店員は、ようやく冷静を取り戻した。さりげなくポテトを勧める冷静ぶりだ。
「ありがとうございます、、あなたは命の恩人です。あと、ポテトはいりません。。」と武藤は呟き、安堵からか大きな一粒の涙を流した。
すると、騒ぎを聞きつけた店長が奥から出て来た。口元に多量のケチャップがついている。唇よりデカい。
「お客様どうされましたか?」
店員が事のあらましを説明する。店長は全てを瞬時に理解した。だてにこのマッックドナルドで店長を8年つとめていない。トイレだけ使おうと入店してきた客にチョップをかましたり、頻繁につまみ食いをしたり、店長としてこの店の繁栄には十分な程に貢献していると思い込んでいる。
店長はいった。
「武藤ジェイソン一樹さん、ところでピクルスって何か知ってますか?」
ピクルスは野菜や果実を酢、または塩水につけたもの。店長は改めて認識の齟齬が無いか武藤に明確なアンサーを求めたのだ。
コイツ、できる。
野次馬が呟いた。
涙が止まり落ち着きを取り戻した武藤は重い口を開いた。
「……カナブンですよね?」
カナブン。
武藤はピクルスをカナブンだと思いこみ、35年の人生を歩んできたのだ。武藤のピクルスの認識を歪曲した人間の罪は深い。店長は言った。
「認識の齟齬はありませんでしたね。よかったです。」
店長はピクルス抜きのチーズバーガーを武藤に差し出す。ピクルスは抜いておきましたから、とスマイルをそえて。あと口元にケチャップもそえて。
武藤はピクルス抜きのチーズバーガーを受け取ると、無言で会釈をし、困惑する多数のギャラリーを背に店を後にした。
武藤が店を去った後、店員は店長にたずねる。
ピクルスはカナブンじゃないですよね?
「世の中には知らない方が幸せなこともある。武藤くんの場合、それがピクルスだっただけの話だ……」
店長はそう言うと、揚げたてのナゲットを頬張り、入店後トイレを真っ直ぐ目指している男にチョップをかましにいった。
「店長という役割についての認識が歪曲されている」
店員は武藤のチーズバーガーになれずに抜かれてしまったピクルスを見つめて、戸惑いと不安の涙を流した。