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親のきもちについて

 小生人の親であるし、生来子どもが好きなので子どもをたくさん見てきた。

 その際の、素直な気持ちを述べる。

 世間は広いので、たとえば、自分にはできなかったこと、自分は手にとどかなったことを、射精・写生するようにして子どもに託す親がいる。オスもいるし、メスもいる。端的にいうと馬鹿な人たちである。子どもも、結局南極他人であるということがわからない人たちである。

 こういう人たちと話をしても、ムダである。つける薬もないし、死なないと治らない。放置すればよいのであるが、その、子はかわいそうである。だってなんの責もないから。こういう子たちは、別の大人がサ・ポートする必要がある。すくえないかもしれないけど。救おうとする、その身振りはやめてはいけない。

 というのも、未来に関することであるからである。

 馬鹿な大人の話をしても、生姜無いので、普通の人たちの話をしよう。

 フツー、親というのは、生まれた子が好きである。

 自分の、子。とくに女にその傾向が強い。女は、自分の子だということを完全に把握することができる。吐いたり、眠くなったり、ダルダルダルビッシュという日々を約1年ちかく、自分の肉体内において育てることができるからである。

 男は、自分の子かどうか、生涯その秘密を知ることはできない。自分の子ナノカ、他人の子なのか、一生わからない。科学も、まだそこまでは追い付いてはいない。突如として、肌の色が黒い子が生まれたりする。

 え? と思うが、然し自分の種であるばやい(場合)もある。あるいは、矢っ張り、他の黒い肉棒から放出せられた白汁が胤である場合(ばやい)もある。どちらかを選別することは、現状、不可能である。

 なので、男としては、そこらへんの事情は不問にして、女から生まれた人間であるならば、とりあえず自分の子として育てれば宜しい。誰にもわからないことなんだから。

 生まれた子を抱く。宇宙人みたいである。そう、誰だって最初はそうなのだ。

 妻は、脳内麻薬のせいで、へんになっている。

わたしは、せかいを、うみました

 とか、よくわからないことを言う。

 女は生んですぐ母になるが、男はもう少し時間がかかる。といっても大した時間はかからない。人によって違うとは思うが、個人てきに言うと、一ヶ月もかからず、私は父になった。精確にゆうと父みたいになった。

 そうなると、メロメロになる。朝起きて顔を洗う間も、出勤の間も、仕事をする間も、帰途も、ずっと子どものことばかり、考える。あるいは、思う。感情は全てこれに支配され、他には何も考えられなくなる。

 恋に似ているが、こいとは違う。どう違うのかというのはセツメーがむずかしいが、兎に角よく似ている。

 だから、子は、突如として現れた、あらひとがみみたいになる。

 全部、子。自分のことは二の次。中心的子という風になる。これは、普通の親であれば、一生つづく。

 さて、その親のきもちであるが、一言すれば、子が生きていれば何でもいい、のである。

 だから車に気をつけろ、とか自転車を買うのはまだはやいとか、夜に自転車に乗るなころすぞ、雨の日、自転車? ふざけんな、と怒鳴るのである。一生のあいだにこれがずっと、ずーっと続く。

 だから、親というのは、普通は、子に何も求めないし、全てを求めるのである。一言すれば、絶対にわたしより先に死ぬな、それを守れば何をやってもいい、ということになる。

 じぶんの子がある種の天才であったり、特別な才能にめぐまれたりしないかと期待する親も、いるようである。前述したが、馬鹿の、救いようのない親で或る。

 だいたいの親はそんなことは望まない。子よりは長く生きているので、知っているのだ。才能というのは、ある種の呪いと同義である。そんなものはいらない。

 目立って欲しくない。普通でいてほしい。できうれば、公務員なぞになって、出世もせず、地味に、生涯をまっとうしてほしい。それが、親のきもちの、本質である。

 贅沢をいえばキリがない。孫の顔が見たいとか、まあまあ、そこそこの、ええ感じの嫁を貰ってほしいとか、嫁もまた、ある程度の乳があったほうがいいんじゃないか、それがおまえのためだとか、いや、子ども(孫)がやることだろう、いいんだよ、基本は放っておけばいい自分のあたまでかんがえられるように、待つのだ、とか、キリがない。

 欲望は果てしがない。

 そうなのだが、親は、子が生きていればそれだけで、基本オッケリングである。贅沢だが、彼彼女がしあわせであれば、これ至高である。いつでも死ぬる。そのために死ねといわれれば、普通は、大体死をえらぶ、と思う。

 だって、子は、未来だから。そうだろう。おかしいこと言ってるかな。

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