ミックスベジタブル

特に伝えたいことも、

物語性も何もないけれどこうしてタイプするのには、

僕の脳は何かしらの思惑があるのだろう。

何でもないようなエッセイだけど、

けっしてどうでもいいエッセイでないことだけは明確にしたい。

蛍光灯とLED


時代の流れは川の流れのように自然なものだ。

今を生きる私たちにとっては流れるプールに流されるようなもので、

わざわざ流れに逆らって立ち止まったりはそうそうしない。

だけど時に少し立ち止まってみて、

流れゆく人々を俯瞰するのもなかなか楽しいことなのだ。

別に上から人様を見下してあざ笑うようなものではなくて、

同じ流れに生きるものとしての傍観である。

僕がまだサンタを信じていたぐらいの年頃には、

数か月に一回、蛍光灯が切れては誰かが重い腰を上げ、それを変える。

その一連の動作が少し煩わしく思えた。

けれど今となってはLEDという名のなんだか強そうなものに取って代わられ、

人が電気を変える仕草を見ることも減ってしまった。

年がら年中僕らを照らすLEDというものやらは、

何食わぬ顔で光り続け、

僕らは光のある生活にすっかり慣れてしまった。

けれど時に無理に光を与えるLEDが自棄に鬱陶しく見えて、

消して、してやったりの顔をしたりする。

それはどうしようもないときに頑張れと何も考えずに連呼するような人々に似ている。

希望の光はたまにはおとなしく消え去る時間が必要なのだと思う。

時には重い腰を自分で上げなければいけない時が人生には必要だと思うのだ。

照らされてばかりだと見えてこないこともあるのだとLEDの下で僕は思う。

ドミノピザの配達員


久しぶりの雨。

なぜか風邪の引き初めに買い出しに行った奇跡的なタイミングで降り出した。

傘も持ち合わせてなくて少し急ぎ足で家路を辿る。

とある信号機もない交差点でドミノピザの車と鉢合わせした。

歩行者優先という暗黙の了解をこれといって活用しない主義の僕は、

おとなしく車が通りすぎるのを雨に濡れながら待っていた。

小さい頃の雨はなぜだかウキウキするもので、

季節に関係なく、

雨が降り出してはみな天を見上げ、

しばらくたって目と目を合わせて、

雨の中駆け抜ける謎の一連の流れを少し思い出して懐かしんでいると、

なんとまだドミノピザの車は止まっていて、

運転席に目をやると大学生ぐらいの青年がお先にどうぞと手を振っている。

今までの約十秒ほどのタイムスリップの一部始終を見られていたのかと、

少し恥ずかしくなって体も熱くなった。

いやこれは、何物でもない熱なのではないかといろいろ考えているうちに

ああ、青年が待っていると思い、

やっとの思いで道路へ足を踏み出した。

渡っている間、

ヘッドライトで照らされた僕がなんだか映画の一部みたいだと
(体調が悪くなれば頭も悪くなる)

自意識過剰にも思ってしまって、

車のド真ん前で深く日本人らしくお辞儀をしてみたりした。

そのような戯言に青年は笑みを浮かべ軽く会釈した。

名前も知らないドミノピザの配達員からの優しさは、

体調の悪い僕の体と雨に冷やされた心をこの上なく癒し、

一つの物語を紡いだのだ。

生涯を通してピザハット一択だったけれど、

彼のなんともない行いによって僕の意思は揺らぎ始めたのだった。



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