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【小説】 スクープ・ストライプ  vol.11

***

「ねえ、ママ。スプスプのモデルになってもらえる?」
 乾燥機から取り出した洗濯物をたたみながら、料理中のママに大きな声で問いかける。
「モデル? 下着の? わたしが? いやよ」
「えっ、マジ」
 洋服をたたむ手が止まる。
「もちろん。だって仕事に差し支えるでしょ。紅茶のインストラクターが下着の写真を出しているなんて、クライアントが逃げちゃうわよ」
「うわー、マジか。詰んだー」
 わたしは洗濯物の山の中に倒れこむ。マジかー。
「確かに、あなたたちのやっていることは素晴らしいし、応援している。でも、わたしも仕事やら契約やらいろいろあるのよ。生活だってかかっているんだから」
 生活! そうだ、あのことをお願いしなくちゃならないんだ。
 わたしは、洗濯物につっこんだまま、もごもごとしゃべる。
「え? なに? 忙しいんだから、ちゃんと聞こえるように話して」
 わたしは意を決して立ち上がり、キッチンに向かう。
「あの、ママ」
「わ、びっくりした。なに?」
 わたしは深呼吸をひとつして、切り出す。
「わたし、志望大学を決めたの」
「そう。どこに?」
 ママは料理の手を休めない。
「教養学部。アーツ・サイエンス学科がある大学」
「それは?」
「私立文系」
「私立! 文系?」
 わたしの方を振り向くママ。わたしの方をじっと見つめる。娘の考えていることを探っている。
 鍋が吹きこぼれる。ママはあわてず、火を止め、布巾でレンジを拭いてから、あらためてわたしと向かい合う。
「私立文系?」
「そう、私立文系」
 わたしが大学名を出すと、目を丸くしたあとで、なるほど、とうなずく。
「それは、冬夕ちゃんといっしょなのね。ふたりで大学生活送りたいから、だけで決めたわけではないのよね。そんなに簡単な大学じゃないし。うん、悪くない選択だと思う。でも、英語力がすごく必要じゃない?」
「そうなの!」
 ママは腕組みをする。
「うん。その大学を目指しなさい。確かにふたりにぴったりだと思うわ。でも、冬夕ちゃんはともかく、雪綺はすごく努力しなくてはならないよ」
「そうなんだよ」
 へら〜と笑うわたしをママの視線が射すくめる。わたしはぴりっとしたその雰囲気に、たちまち緊張してしまう。
「でも、まだ時間があるから大丈夫よ。必要なら英語学習の教材を用意してもいい。塾でもいい」
「えっ。本当に?」
「うん。わたしもちょっと憧れた大学だから。かといって、あなたに押し付けるつもりはないよ。でも現役で無理だったら、そうだな一浪くらいはゆるしてもいい」
「……ありがとう」
 あのね、とママが言って、わたしの頰を両手で包む。
「雪綺はわたしの宝物。とっても大事なの。だけどわたしのエゴで縛りたくない。でも優しくするエゴは許してちょうだい」
 そう言うと、手をほどき、背を向けて料理の続きに取りかかる。
「モデルの話、考えておく。簡単に無理だなんて言ってはいけないわね。顔を出さない、という条件なら可能かもしれない。まあ、ばれちゃうんでしょうけれど。わたし、サバイバーであること、おおやけにしているし。
 むしろ、フィルグラとかでスプスプのこと宣伝しちゃえばいいのか」
「あー、嬉しいけれど、今はいい。なんか、まだ大人の世界は、ムリ、って思うから」
「そうなの? 十分、大人の世界のことをしているのにね。あなたたちは、まだまだ守ってもらいなさい。絶対に守ってあげるから、自由にやりなさい。そして、大学や今の高校生活で、その教養っていうやつをきちんと身につけなさい。しっかりと学びなさい。とにかく学び続けること。
 あなたたちが生きる世界では、たとえば、政治の世界でも、担がれて女性首相になるのではなく、女性首相の座を勝ち取ることが必要。日本は、今、少し学びの姿勢をおろそかにしているけれど、目が覚めれば、なんだってできる国よ。賢い女性が虐げられることなく生きることができるように、本来ならわたしたちの世代が成し遂げるべきだったと思うけれど、ロストジェネレーションは、本当に不遇だったの。でもそれも言い訳ね。
 とにかく力を貸すことはできるから、がんばって」 

***

「撮影許可取れた?」
 朝の空気に、いくらか涼しさが混ざってきたとはいえ、まだまだ太陽は灼熱の光をアスファルトに注いでいる。
 わたしはいつもの場所で冬夕と待ち合わせる。
「うん。ふたつ返事でオーケーだったよ。パパがまあ、ちょっとぐずったけれど」
「そうか、冬夕ママ、美人でスタイル抜群だもんな」
 わたしは太陽を仰ぐ。
「ということは、無理だった?」
「条件付き。クライアントとの関係があるのだって」
 なるほど、と冬夕がうなずく。
「それも、そうよねえ。やっぱり難しい問題はあるよね。順番を間違ってしまったかもしれない。まずは、文化祭の展示のことをお願いすればよかった。
 やっぱりこうしよう。写真は、モデルのバスト部分の切り抜きと商品自体の撮影。それなら身バレすることはないんじゃないかな」
「それなんだけれど、ママが心配しているのは顔を出さないことで、わたしたちがモデルをしてるんじゃないかって思われてしまうこと。
 ただでさえ、センシティブなものを扱っているから、心配しすぎることはないでしょうって」
 歩きながら冬夕が答える。
「わたしは、わたしがモデルをしたっていいと思っている。前にも言ったと思うけれど、性的なコンテンツをフラットな視点で見ることができるように社会を変えることがわたしの目的のひとつなの。
 でもそうだな、雪綺ママの気持ちも汲んで、プロのモデルに頼んでしまった方がいいのかもしれない。わたし自身はもう、プロの意識を持っているから恥ずかしいこととは思っていないよ。だってとても大事なことをしているんだもん。
 もちろん、性的なコンテンツとして消費されることには恐怖を感じているけれど」
 わたしたちは、朝の通学路では、はっきりとした答えを出すことができず、また放課後、と言ってそれぞれの教室に分かれる。
 なかなか前に進まないことをもどかしく感じている。

***

「モデル? ……。知らないってことはないんだけど」
 放課後の家庭科室。スプスプのミーティングに高階を呼んでいる。で、谷メイもやっぱりここにいる。
「ほんとう? プロなの?」
「プロかは分かんないんだけれど、一応、聞いてみようか?」
 そう言うと高階はコックテイルという動画アプリを起動する。人気のアプリだから、起動音を聞けば誰でも気がつく。どうやらDM機能を使ってメッセージを送っているみたいだ。何度かやりとりしたあと、
「今来てくれるって」
「え? ここに?」
「うん。学校の子だから」
 わたしたちは顔を見合わせる。
 ほどなくしてやってきたのは、
「あ、エミリーじゃん!」
 谷メイが指差す。
 エミリーと呼ばれた女の子は、胡散臭そうな視線をメイに投げかける。
「こちらは英美里ちゃん。みんなエミリーって呼んでるから、それでいい?」
「かまわなくてよ。それで、スプスプっていうのはあなたたち?」
 冬夕とわたしとメイを順番にじっと見つめる。エミリーって名前にふさわしい背の高い美人。ロングヘアがそのスタイルに決まっている。
「あ、わたしはちがう。こっちのふたり。ウィンターズ」
「ウィンターズ?」
 眉をひそめてエミリーがこちらを見る。めっちゃ、プライド高そう。すごい高圧的。
「そう、こっちが三角冬夕。こっちが松下雪綺。フユとユキでウィンターズ!」
 サムアップしているメイを無視してエミリーはわたしたちに問いかける。
「わたしにお願いがあるって聞いたんだけれど」
「はい。はじめまして。エミリーちゃん。わたしは三角冬夕です。
 お願いというのは、わたしたちのランジェリーブランド、スクープ・ストライプの着衣モデルのことです」
「あなたたちのことは知っている。つくっているのはブラではなかった? わたしにそのブラの着衣モデルをやれっていうの?」
 高圧的なエミリーの隣で高階が小さくなって慌てている。
「そうです。ブラジャー。ショーツもつくっているから、ランジェリーブランドなのだけれど、顔出しできるプロのモデルを探しています」
「ふうん。あなたができそうじゃない。自分でやらずに人に頼むのはなぜ?」
 冬夕とエミリーの間には、火花が散るよう。こういうバチバチの緊張感、初めて見るかも。
「はい。わたしたちはブラをつくる者として、特に医療用のブラをつくる者として、プロの意識を持っています。商品としてのランジェリーに絶対の自信を持っています。だから、その最高の商品をとびきり素敵に紹介したい。最高のカメラマンは、もう手配できました」
 エミリーは高階を一瞥して、冬夕に向き直る。そして黙ってうなずく。
「それで、あとは最高のモデルが必要です」
「わたしは、正式なプロではない。でもある団体の雑誌の表紙を何度か飾ったことはある。だから、まるっきり素人、というわけでもない。ウェブメディアで紹介されたこともある」
「それは頼もしい」
「引き受けてもいいと思っている。わたしが着けるのは、医療用のブラなのね?」
「はい。わたしたちは医療用のブラを素敵にしたいという願いを持っています。サバイバーである母たちを喜ばせたいし、治療をがんばっている人の一助になりたいと願っている。お気に入りの一着を見つけてほしい」
「そのブラを見せて」
 わたしが自分のバッグから取り出す。
「これは制作中のもので、一般用のだけれど。あとは刺繍を入れたら完成」
 エミリーは、そのブラを柔らかく抱えるように扱う。光に透かし、そして、また丁寧にわたしに手渡す。
「素敵」
 つぶやいて、エミリーは瞳を閉じる。なにかぶつぶつと小さくひとり言を話している。そのあと、目を閉じたまま沈黙。
 わたしたちは、黙ってそれを見つめることしかできない。
 しばらくして、瞳を開いたエミリーは、
「オーケー。わたしはそのブラのモデルになる。専属のモデルでいいわよ」
「ありがとう、エミリーちゃん」
「エミリーでいい。わたしも冬夕、雪綺と呼ぶ。
 ところで、ギャラは発生するの?」
「はい。もちろん。そのつもり」
「今のそのブラはいくら? 上下揃いで。その金額を払ってくれるなら、やってもいいわよ」
 上下セットだと、結構な金額になる。そうか、わたしたちはそういう価格で販売しているんだな。いざ払うとなると躊躇してしまう。
 冬夕が金額を告げ、エミリーがうなずく。
「それでは、その金額でお願いします」
 冬夕が右手を差し出す。エミリーはその手を掴む。今度はエミリーがわたしに握手を求める。思いのほか、優しく柔らかい握手だった。

( Ⅲ. Shooting!  続く)

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