春が大音声を上げてやってきた。春の供をして、萌芽と啓蟄も一斉にやってきた。出てくるものばかりで、隠れるものなど誰もない。その中でひとり、布団に横たわったまま出ていけないでいる。春宵一刻値千金。春眠不覚暁。合わせると、春の眠りは総じて惰眠だ。しかし眠ることもできず横たわっているだけの人間は、惰眠よりつまらない。価値がない。 子供の声が耳の下を通り抜けていく。公園へでも遊びに行くのだろう。花咲く季節に、子供はすこやかな時を送る。いずれこうして無為無価値の人間に堕するとも知らず
信号で停車して、手持ち無沙汰に遠くの方を見やると、人影があった。交差点を挟んだ横断歩道の真ん中に立って、両腕を高く上げ、左右に揺らしている。逆光ではっきりとはしないが、ずいぶん小柄だ。小学生くらいの背丈をしている。しかし小学生といっても、1年生は年々小さく、6年生は年々大きくなっている気がするから、あてにはならない。 年少の者だから、仮に少年と呼んでおいて、しかし少年と呼ぶと急に男児のような気がしてくる。少年は、私が呆然と眺めている間じゅう規則的に腕を揺らし続け、横断歩道
独身 曇りの予報だったが、身体が傘を握ったので、もうすぐ雨が降るらしい。 外へ出て少しすると、実際に小雨が降りだした。春先の暖かさが逃げていく。あちこちで傘を開く控えめな音がする。喫茶店に入り、紅茶を頼んだ。こういう時身体をねぎらってやるのは頭の義務だ。身体は既に喜び始めている。 身体をおんなと呼び、頭をおとこと呼ぶようになって久しい。街にはおんなと、頭と身体の結婚を経たおとながいる。私はまずまずの身体にまずまずの頭が乗っている。いかにも間に合わせのおとなだ。喫茶店の
大学構内に数百人で住んでいる。構内には構脈がある。先月から、構脈内に構外の者が十人ばかり住みつき始めて、困っているところだった。三日前には、ゼィラが監査に入っていったが、何があったかまだ帰ってこない。いよいよ警察を呼んだ。 早朝、警官隊が五十人、入っていったと思ったら、夕暮れとともに帰ってきた。縄に繋がれ、ぞろぞろと不法占拠者が出てくる。十人だと思っていたら三十人近くいた。ゼィラもいた。悪風感染という言葉が脳裏をよぎった。風邪でもないのに。 不当な占有者の集団は護送列車
僕のことを知って下さい。 最初に食べたのは野良猫でした。学校に行く道の途中で、車か何かに轢かれた猫で、内臓をむき出しにして死んでいました。薄赤い血が腸に絡みついて、からだを少し汚しているのが、痛々しくも旨そうでした。それが最初です。抱き上げると、両手に猫の重みと熱が伝わって、いっそう良いものに見えました。 食らいつくと、甘みがあって、自分の食欲は間違っていなかったと思いました。確かに旨かった。内臓のほのかな苦みと、筋肉の奥深い旨味がいっしょになって、これ以上のご馳走は無
朝起きたら布団がひと回り小さくなっていた。 睡眠時膨張症候群は、寝ている間に身体が異常な速度で成長する。人間は基本的に重力で縮こまった身体を、寝ている間に引き伸ばして整える。それが必要以上に作用するのがこの病だ。 「死ぬことはありませんから。」 医者はそれだけ言って、安心させた顔をした。こちらはちっとも安心できていない。 内臓も同じように成長するから、外殻の成長に耐えられず突然消化器官が引きちぎれるなんてことはない。ただ、食費は日に日に多くなる。1食200円で節約する
一 ごぼごぼと耳元で大きく鳴り響いていた泡音が、次第に小さくなって、とうとう聞こえなくなった時、僕の足も同時に海底に着いた。左足が重いのはくくりつけられた岩のせいだけど、浮かび上がろうとさえしなければこんなもの、無いに等しい。見上げても映るのはぼんやりした光だけだ。目蓋が縫いつけられているからそんなものだ。 ふむ、と鼻から空気を捻り出し、気を取り直して海王の城に向かうことにした。どこだか知らないけど、海底をさまよっていればどこかでたどり着くだろう。そう遠くではないはず
濁った沼の中からオカグラサマどろどろと御出でなさる。御出でなさる。オカタサマの清浄なる腹から生れ落つる不浄なる神オカグラサマ御出でなさる。御出でなさる。御出でなされオカグラサマ。濁り酒を召され、穢れ娘を召され、世の不浄を清められよ。嗚呼オカグラサマの神輿が来やる。神輿が来やる。女子供は逃げ隠れよ。男共は心せよ。神輿が来やる。来やる。獣の臓物を投げ入れよ。罪びとのはらわたをその上で切り裂け。穢れ娘を舞い踊らせよ。濁り酒を打ち撒けよ。オカグラサマのお通りぞ。お通りぞ。 囃子
子供が産まれたと報せを受けて、急いで家に帰った。俥から飛び降りて玄関扉を開けるや否や女中が駆け出てきた。連れ立って奥へ行く。奥座敷の障子に手をかける。女中の顔は何か不安げである。障子をすらりと開ける。座敷の中央には布団がのべてあって、先週からそこに寝ていた妻が、今は起き上がっている。その腕に赤子を抱えていた。 「産まれたか。」 「ええここに。」 妻の腕から赤子を受け取る。妻の顔も不安げである。常には葡萄酒のように美しい紅い顔が、くすんだ灰色に沈んでいる。私は赤子の様子に目
約束の一週間のうち、二日が経ったと思われる。腹が減った回数を数えているので定かではない。昨日と一昨日であるだけの本を読んでしまったので、今日からは日記を書いて暮らすことにする。今日は、ことの発端から書き始めよう。約束の後で私が死んでも、この日記を誰かが翻訳して世界に広めてくれることを願う。 私のもとに彼が現れたのは突然のことだった。重大事はいつも突然起こるものだ。男は私に、これから一週間、カーテンを開けてもならないし、電気やガスや、そのほか外に生活をほのめかせるものは一切
旅立つことに決めて、何はともあれ扉を探した。玄関、風呂場、トイレのドア、台所の戸棚、家の中に扉はないらしい。窓も扉にはなりえないようだ。抵抗なく開いた窓の先は変わったところのないベランダで、干しっぱなしのタオルか何かが夜風に湿っている。空中に扉はない。向かいの家の玄関はどうだろう。 煙草の煙が揺れた。その先に目を向けた。小学校のプールがある。冬目前だというのに、満杯に水が溜まっている。そんなところにあるのだ、扉は。木々に沈み込んだ池や、星座に切り取られた夜の闇や、魚が切り
彼女は部屋の隅にいた。 抱き上げて、埃を払うと、色彩がきらめいた。「綺麗な目だね」と私は言った。 彼女には白いエプロンをつけさせた。彼女の瞳はエプロンに映って、海面のように麦畑のように揺れた。彼女は近くを見なかった。遠視なのかもしれなかった。彼女の美しい瞳は、庭の垣根を越えた地平線のただ一点を見つめていた。彼女の鼻は暖かいミルクの香りにひくつき、小さな耳は春の日差しにふかふかとぬくもった。 彼女は初め、猫だった。彼女は華奢なスツールに座って、そのなめらかな白い毛並みを
さつまいも掘りに出かけることになった。品種によっては8月下旬から収穫できるらしい。そんなに急がずとも10月頃まで待てばいいものを、彼女は強情に行きたがる。思い立ったらすぐに動かなければ我慢ならない性格なのだ。仕方ないと承諾した。とはいえ8月下旬の暑い日中に、ホームセンターで買いたての作業着を着て長靴を履いて、帽子を被って手袋をはめて、何が楽しいことがあろうか? 暑さに立ちすくんでいる私を置いて、彼女は楽しそうに収穫している。セミの声が彼女の歓声と張り合うように響いている。
九州国立博物館には今まで何度も行ったが、西鉄で太宰府駅まで行ってそこから歩く行程は初めてだった。9時半の開館後すぐ博物館に到着できる電車で出たが、太宰府駅から天満宮へ行く道を2度間違った。朝は参道に人が少ないから、どこへ行ったら天満宮だか分からない。簡単に参拝して、10時頃に博物館のアクセストンネルに着いた。動く歩道は思ったより歩きづらい。歩くものではないのかもしれない。トンネルを抜けた。博物館が目の前にある。改めて見ると笑えるくらいでかい。特別展のチケットを買って入る。
私が若い時に体験した不可解な出来事について、もう話してもよい頃だ。私はこの人生の晩年期に入ってようやく、あの不思議な旅の意味を理解できたと思う。 私は7歳の時から祖父の家で暮らしていた。家庭に問題のあったためである。その問題について詳らかにする必要は無いが、私の頭から親というものを消し去るには充分な条件だったことは確かだ。私は祖父との2人暮らしには何の不満もなかった。私は元来臆病な性質で、人の声など無い方がむしろ安心していられるのだ。祖父の館には壮重な黒檀材の扉や、豪奢な
一 流れ落ちる水滴がひとつ、ふたつ、かすかな音をたてて溜まってゆく。水滴の通った跡はほんの数瞬間で錆びついたようにぼろぼろと消える。水滴のぶんだけ視界が揺れ、曖昧に点滅し、私は目を閉じる。 雨が降っている。 水たまりは徐々に大きくなる。零れ落ちる雨粒は細かなまま、しかしその速度は増している。更紗を軽く曳くような音が、いつかため息をかき消すざわめきに転じる。一粒ならば傘に落ちても音を立てない細かな水が、どうしてこんな大きな音になるのだろう。反響? 頭の中で? 傘の中は音