金字塔
春が大音声を上げてやってきた。春の供をして、萌芽と啓蟄も一斉にやってきた。出てくるものばかりで、隠れるものなど誰もない。その中でひとり、布団に横たわったまま出ていけないでいる。春宵一刻値千金。春眠不覚暁。合わせると、春の眠りは総じて惰眠だ。しかし眠ることもできず横たわっているだけの人間は、惰眠よりつまらない。価値がない。
子供の声が耳の下を通り抜けていく。公園へでも遊びに行くのだろう。花咲く季節に、子供はすこやかな時を送る。いずれこうして無為無価値の人間に堕するとも知らずに……と思うのは僻みだ。醜いだけだ。
引越しの作業が終わって、入学式も終わって、あとは授業の開始を待つばかりとなって、不意に、こんな怠惰に縛られてしまった。怠惰な自分を認める余裕も与えられないほどの怠惰だ。自分自身の期待を裏切りながら、仕方なさで許すこともできない。
ピラミッドのことを思った。エジプトが好きだった。世界史全体が好きなわけではなかったが、熱い砂漠のただなかで生きる人々の強靭さを想像し、褐色の腕が何本も集まってようよう完成した非道なほど巨大な建造物に思いをはせ、おれもその一部になりたいと願った。
おれの願ったのは、巨大なものの一部になることだ。政治史に没頭したのもそうだ。政治史の上には、巨大で生々しい、無血戦争の数々があった。残酷な謀略があり、無邪気な裏切りがあり、意志のもとに人々は団結した。あるいは、団結のために人々は意志を持った。どちらでもいい。おれは巨大なもののなかに生きていられたらよかった。
それがどうしてこんな具合に、布団の上で動けなくなっているのだろう。今のままではダニと変わらない。矮小な、孤独な、光を避ける生き物でしかない。大きな声を上げてその勢いで起き上がろうと試みたが、頼りない声が線香の煙のごとく立ち迷い消えた。
しかしその煙がむしろよかった。喉奥につかえていた塊がそのひょろひょろした空気の動きで揺れ、横を向きざまころりと口からこぼれ出た。そう感じた。その次にはもう上体を起こして、窓の外を眺める余裕が生まれていた。
春になり始めのゆるい日ざしで、公園の砂はあたたまっていた。膝をつくと柔らかい熱と硬い砂の感触のアンバランスを感じた。両手をつくと、掌が乾燥にひたった。ついさっきおれの耳の下を渡っていった子供たちは公園にはおらず、砂地に足跡が残っているばかりだった。
誰も見ていないことの気安さに、おれは両手両膝を地面につけたまま身をかがめ、土下座するような姿勢をとった。手足に囲まれた大地の一角が腹をあたため、陽光が背をあたためる。布団に入っているより心地が良い。
そのまま顔を右に向けると、桜の木があった。すでに花をほとんど散らして、歯が生え変わるように潔く、不規則に若葉が顔を出している。根は乾燥し、隆起して波うち、大地を踏みしめている。
左側に顔を向けると、砂場があった。公園全体を覆う砂地よりも豊かな量の砂が、青い木枠のなかで小さな砂漠をつくっている。その砂でできた山野の間に、ぽつりと突起がかいま見えた。
四つん這いで近づくと、鬼の角のような突起は、ピラミッドの模型だった。埋もれているというより軽く砂に接している。誰かがぽいと放ったままになっているかのようだ。手前に低い砂山があり、砂山越しに遠く模型を眺めると、スフィンクスか何かになってピラミッドを守っている気分になってくる。頬を陽光が熱し、砂山の熱いにおいが鼻をうつ。王を敬う気持ちが次第に心の表面に浮かぶ。桜の若葉が弱い風に揺れる音すら、砂紋の流れ動く音に錯覚する。おれはこの時、確かにスフィンクスになって、エジプトの王に侍っていた。
模型とはいえ、ピラミッドの巨石の並びはみっしりとして精緻だ。均等な大きさに切られ、丸太の上で運ばれ、疲弊した奴隷の腕で並べられ、接着されている。おれは疲弊した奴隷を思い、あるいは逞しく疲れ知らずの奴隷を思った。奴隷には疲れ知らずであってほしい。しかしその期待を裏切って巨石に倒れ伏す奴隷もまた、美しいものだ。おれならその奴隷に鞭をやって、巨石をその血で染めるだろう。その赤い巨石は宝石のようにピラミッドを飾る。そうしてその奴隷はピラミッドとひとつになるのだ。
おれは奴隷への羨望をこめてピラミッドをつくづく眺めた。視界いっぱいに巨石の壁が立つ。頬を陽光が熱し、若葉の振動が架空の砂紋をつくる。風が吹いた。砂山の向こうから、春の陽気と異質な熱い風が吹きつけてきた。向こうはすべり台があるきりだったはずだが、おれは熱風と砂埃になかば目を塞がれながら、ただスフィンクスになってピラミッドの石壁を見つめ続けていた。
熱風がやわらぎ、若葉の音もしなくなってようやく、ピラミッドの石壁から目を離した。周囲にはすべり台と砂場と、小さなピラミッドの模型が転がっているはずだった。
実際には、すべり台も砂場も消え失せて、そこは砂漠になっていた。荒涼たる砂の大地に、乾いた熱い風がゆらぎ、喉が際限なく干上がる。空のもとに砂があり、地平線は砂の堆積によってその姿を容易に変える。砂でできた山野があり、谷川があり、尾根が渓流に繋がっている。砂の流れは予測できず、上ったと思えば下っている。ただ漠然と時間があり、空間があるにすぎない。
おれは四つん這いの状態から立ち上がり、その風と、砂漠と、そして砂丘の向こうに本物のピラミッドを見た。
曖昧な地平に、その三角形の群れの登場は唐突だった。しかし四角錐の塊としては、その登場の仕方に反して大きく、重く、空気がその周囲に引き寄せられて留まっていた。おれはピラミッドに強い求心力を感じた。漠とした砂地に、確かな人工物として存在している。それは人為の極致のように見え、むしろ大自然の脅威のようにも映った。
彼は観光地にもならず、荒地のなかでくすんだ金に輝いている。誰かの墓であろうが、すでに盗掘されてその価値を失ってしまったのかもしれない。そう思うと、巨大な求心力の裏に、絶対的な孤独が潜んでいるように感じられた。
おれの足もとは不確かで、ピラミッドの確かさが懐かしく、恋しく、だからおれはピラミッドに近づいていった。今までのピラミッドへの敬意も、この確かさへの敬意だったような気がする。
遠いように見えて、ピラミッドは案外近かった。写真で見慣れているピラミッドよりずいぶん小さかったからだ。あの砂場に落ちていた模型から生まれたものだと考えると、実際小さくあるべきだった。
とはいえ、その高さはおれの身長を越え、三階建てのアパートくらいには大きかった。クフ王のピラミッドに感じるような感激ではないにしても、その重量はやはり確かで、おれの腹の底をあたためた。
巨石の壁は隙間なく、その表面はなめらかに切断されている。触れると細かに隆起しており、砂埃を受けて熱くにおう。砂のざらつきと別に、瘤のような突起が点々と続いているのは、奴隷の汗の凝ったものかもしれない。両掌を巨石にあて、その熱さにひたっていると、その巨石がわずかに動いた。
書籍で満杯になった本棚を動かす程度の、ほんのちょっとした動きだったが、確かに巨石は動いたのだ。右手を乗せていた巨石がわずかに左に、そしてその左の巨石はさらに左に、上に、右に、下に、細胞が自らの意思で運動してその形を変化させるように、巨石の並びは砂を落としながら確実に変化し、見事おれの目の前にぽっかりと穴を開けた。
ちょうど巨石ひとつ分の幅と高さに開き、中は暗い。這って進まなければならないだろう。ためらう理由は無かった。両手両膝に巨石のざらつきを感じ、その薄暗く冷たい内部に入り込むと、靴に溜まった砂粒が今更気になり始めた。
足裏の砂に注意を集め、周囲の暗闇を無視しなければならないほど、ピラミッドの内部に入るという行為は恐怖を伴うのだ。おれは盗掘者たちの勇気に恐れいった。王の宝物はそれほどに魅力的だったのだ。しかし現在、王の宝など無いに決まっている。ピラミッドが王の墓かどうかも怪しいのだ。この恐怖をかいくぐってまで手に入れたいものが、果たしておれにもあるのか疑問だった。
暗い横穴を四つん這いで進んでいくと、次第に進路がまっすぐ進んでいるのかどうかさえ分からなくなった。おれの身体の存在は巨石にあてた両手両膝だけによって確かで、頭や胴体は早々に実感を失っている。おれは矮小で孤独で、光を避ける生き物だった。布団の上でそうなっていたように。
壁にぶつかったら引き返そうと思っていたが、なかなかどうして通路は続いている。振動によって足裏を転げ落ちる砂粒以外には何の変化もなく、横穴は暗いままで、へんに意識するとすぐにも逃げ出したくなってしまう。しかし、もしかするとこのまま進んでいけば、玄室までたどり着けるかもしれない。この通路は盗掘者らの手による、王の寝室直行の特製かもしれないのだ。
砂漠自体、時間と空間の変化は曖昧だったが、この横穴で経った時間と空間の変化はさらに曖昧だ。膝が痛むからいくらか時間が経ったのだろうが、それがこの空間を移動したことと結びつかない。何についても実感がない。今朝布団で意識を煮凝らせていた時の方が、ずっと確かにこの世に存在していたような気がする。それが今朝の事だという実感もすでになかった。
そういうことだったから、不意に眼前がひらけて明るい空間が現れた時も、なんだかぼんやりとしていた。横穴のなかで眠り込んでしまって、夢を見ているのかとさえ思った。
その空間は暗い横穴から出てくるとひどく明るく、窓が開いているかのように眩しかった。二、三度瞬きをして目を慣らすと、そこは枯れた池だった。
今まで進んできた横穴は橋となって向こうの闇へ続いている。その両脇がひらけて、一段下がり、池のようになっているのだ。周囲は巨石に囲まれて冷たい。玄室ではないようだ。しかしどうしてこんなに明るいのだろう。
見上げると、目が合った。
つややかな黒い瞳がこちらに向いている。実際それは暗い円と、それを縁取る黒い線描でしかないのだが、おれはそれを目だと思った。上空から強い視線を感じ、おれ自身がそれに強い注意を向けた。だから、おれは目を見合わせていることになるのだ。
目はおれが通るはずの道の幅だけ間をとって、左右の枯れ池に相対するかたちで浮かんでいる。暗い円は黒線に取り巻かれ、さらに外側に向かって三本の線が伸びて、それが瞳を力強く輝かせていた。実際輝いてもいたのだ。瞳の周囲は赤や金や緑や青で華やかに飾られ、その姿は太陽の光、月の光、青空そのもの、海でさえあった。
両目は全ての光輝くものを象徴し、それらの光を実際に放っている。だからこれほど明るいのだ。おれは改めてその広い空間を眺め、頭上の目を見返し、偉大な光に胸うたれた。それは神が持つべき光輝だった。それは太陽神ホルスの両目だった!
細部まで見慣れるにしたがって、その絢爛たる彩色は次々に異なる顔を見せ、世界全部をその目で表しているかのようだった。そしてその世界を見るのもまた、目だ。おれは神の目に敬意を抱き、自分の目にも敬意を抱いた。この美をみとめるおれの目は、神の目の鏡となり、神の目と重なって、神の目そのものになる。そしておれは神となる。世界の全てをひと目で手に入れ、目が合った者たちに分け与える。おれが神の目を見つめている限り、おれは神だ!
おれはしばらくその場を動けなかった。自身の矮小さゆえにではない。自身の偉大さの可能性が、足を制していた。すると、頭上の瞳にむるむると涙が溜まりつつあるのに気がついた。
美しいホルスの目に、美しい水の粒が凝って、今までの太陽のようなそれとは趣の異なる、しかし大変な美しさがそこに生まれていた。本物の月より池に映る月の方が美しく見えるように、涙に覆われた瞳はうるんだことでいっそう美しくなった。
涙はそのまま瞳に留まり、しばらく抒情的に揺れていたが、とうとう滴り、枯れ池に落ちた。ばしゃんと音がしたかと思うと、目にはすでに次の涙が溜まりつつあった。
あまりに美しく、際限のない運動だった。涙は奥深い瞳をぬらし、そのきらめきは空間全体に照り映えて、その滴り落ちる寸前まで世の中の全ての美を超越し、嘲笑しさえして、おもむろに枯れ池に身を投げるのだった。そして、すぐに次の涙がやってくる。おれは自分がその美に敗北していることを感じ、ともに涙を流した。ともに、というのは傲慢だ。おれは負けたのだ。ホルス神を見つめている限り鏡のようにおれは神になれる。そう思っていたのはあまりにさかしらで、人間の可能性を過大に見ていたのだ。見よ、おれが涙を流したとて、ホルスの涙ほど美しく、挑発的で、永続的な運動を起こすことはできない。せいぜい頬をぬらし、首筋をぬらして、敗北の赤い跡を顔に残すだけだ。
突如湧き起こった神への可能性が、同じ神によって否定され、おれが愕然としている間にも、枯れ池には神の涙が溜まり続けていた。この空間があったのは、神の涙を受けるためだったのだ。もはや享受といってもよい。神の涙はそれほど神聖で、価値あるものなのだ。
空間には涙の芳香が充満し、母なる海のにおいがしていた。それは恵みの雨であり、ナイルが注ぐ豊かな海の象徴だった。ナイルは母だ。しかしそれが注ぐ海は、偉大なる母、グレート・マザーであり、ナイルの祖にしてナイルの最終地点である。そしてその海がいま、この小さなピラミッドのただなかにある。今まさに神の水を享け、海になろうとしている。ああ、おれはこの海におぼれたい。この神の恵みとひとつになりたい。
おれがその一部になりたいと願ったピラミッドは、そのものが神の身体であり、おれがピラミッドとひとつになるということは、神とひとつになるということだ。しかしおれ自身は神にはなれないだろう。人間の美は神の美に敗北してしまうから……。
とうとう枯れ池は涙で満杯になり、銀の光をたたえている。涙を浮かべる前の光輝がラーの瞳によるものなら、これはウジャトの瞳によるものだ。左右でホルスの両目をなし、破壊と癒し双方の力をもって、太陽神ホルスの間近に控えている。ピラミッドは生者がなした死者の墓であり、グレート・マザーは人を生かしも殺しもする。ふたつの力が溶け合って人知を超えた果実をならせ、それは人のみならず神をも驚嘆せしめるだろう。ラーの光、ウジャトの影、影は光、そして姿だ。光は影によって、影は光によって存在する。暗がりで神の光にあてられて気も狂うほど感激し、溜まり続ける涙に足を洗われているおれはどうだ?
ふと、涙のたゆたう合間に、かすかなまたたきを見た。上空の威光を避けるように、池の底で何かが光っている。おれは強烈な好奇心を感じた。ピラミッドに入る時ですら感じなかった好奇心だ。思えば、ピラミッドの内部へ招かれた時は、それが当然のことであるかのように、自然に膝をついていた。今ようやく、おれはピラミッドのなかで人間的な好奇心が満たされる時を持ったのだ。
涙の波をわけて、池の底に足を踏み入れる。またたいているのは池の一角だ。埃が溜まるように、一隅に光が滞っている。波間からかいま見てもよく分からない。おれは再び膝をつき、両手をつき、深く頭を下げて涙に沈んだものを見た。
それはひと群れの根だった。ピラミッドから生えているようだ。隆起し、膨らんで巨人の腕のようにたくましい。それが何本も絡み合って籠目をなし、その奥で何かが光っているのだ。鼓動のように安らかに拍を刻んでいる。近づくと、周囲はこころなしかあたたかい。母の優しさがここに隠されているように、おれには思えた。
神の涙は母の冷酷さをもって空間を支配し、その片隅で優しさが息づいている。この涙の部屋は、いずれぬくもりが染み通って、入る者全てを真綿のようにしめつけるだろう。それは幸福なことで、少し苦しく、それが人間を恍惚境に向かわせる。
おれは既に息が苦しかった。しかし四つん這いの、土下座の、神に対する敬意の姿勢をやめられなかった。あたたかい。神の慈悲、母の愛、そこにどれほどの威厳と無情が潜んでいようとも、人間はこのぬくもりから逃げられない。おれはありがたさに涙を流したが、今や神の涙と溶け合って、自分が泣いていることも分からなかった。
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