朝起きたら布団がひと回り小さくなっていた。
 睡眠時膨張症候群は、寝ている間に身体が異常な速度で成長する。人間は基本的に重力で縮こまった身体を、寝ている間に引き伸ばして整える。それが必要以上に作用するのがこの病だ。
「死ぬことはありませんから。」
 医者はそれだけ言って、安心させた顔をした。こちらはちっとも安心できていない。
 内臓も同じように成長するから、外殻の成長に耐えられず突然消化器官が引きちぎれるなんてことはない。ただ、食費は日に日に多くなる。1食200円で節約するなんて考えられなくなってしまった。
 成長速度を抑える薬を飲んでいるが、効いているのか分からない。1週間で背が10センチメートル伸びた。手持ちの服は着られなくなった。すでに家の中でまっすぐ立って歩けず、肩こりが増した。おれの手はこんなに大きくなかった。
 眠るのが恐ろしい。次に起きたら、窓を蹴破っているかもしれない。おれの腕が壁を破って、隣人とトラブルになるかもしれない。外に出るのも嫌だ。電車で居眠りしたら圧死するかもしれない。仮眠をとって、仮眠室から出られなくなったらどうしよう。都会の空はただでさえ狭いのに、おれの空はもっと狭くなる。
 結局、仕事をやめて、入院した。8人用の病室を1人で使うことになった。がらんとしている。医者は、いずれここも狭くなるだろうと言う。寂しい夜だ。広いだけで寂しくなるのだから、大きくなって狭くするのも悪くないか。その日はゆっくり眠った。
 毎晩、布団を2枚並べて眠った。10日目から4枚になった。ひと月で8人用の病室が狭くなった。成長速度は確実に減退していると、医者は言う。しかし病院は出ることになった。まだ取り壊されていないドーム球場があるから、そこに住むように言われた。食事や排泄の管理は国がしてくれるらしい。それでも死ぬ気はない。ドーム球場はまだ広かった。
 だんだん人間らしい食事は望めなくなってきて、ただ必要なエネルギーを摂取し続けた。食べるために起きて、食べて、寝て、成長して、また起きて食べた。食べても食べても腹は満たされない。いまどれだけの容量があるのだろう。2リットルの水がこんなに軽い。
 この病は、人間の征服欲の表れかもしれない。この広い地球を、さらに宇宙を征服しようと企んだ、ひと世代前の人間の。今じゃそんなことは考えられない。世界を共有財産とする体制が整って、土地と人間は分離された。鉱物資源は多国籍企業がインターネット上で取引して、採掘し終わればその土地を売り払い、また別の業者が買い取って再開発する。非常にスムーズな社会。争いを考えるなら、全世界を一挙に相手取る覚悟が必要だ。100年後にはあるかもしれないが、今は。
「春は自分が大きくなった気持ちがするでしょう。あたし、花といっしょに春の夜に充満するのよ。」
 いいや、お前の言うのは感傷に過ぎない。お前の背中はお前の思うより小さいし、桜の枝はそんなに立派に伸びていない。春の夜は冬ほど遠くない。夏ほど近くもない。箱の中の変化は、大した事件にならない。事件になるのは箱を破る行為だ。例えば、お前を攫うような。
 ドーム球場もいささか狭くなってきた。食費も国庫を圧迫してきた。もう潮時だろう。おれは自分の家へ帰ることにした。今の家でもない。実家でもない。お前と一緒に住んだ家だよ。まだ空き家だろう、あんなことになって。
 空き家だった。それでも玄関からは入れない。一番大きな窓を破り、それを取っ手に壁を割り開いた。居間の絨毯が出迎えてくれた。潜り込んでみると、案外眠れる広さだった。首にコードを巻いた。このまま眠れば、首が膨張して、勝手に締まって死ぬ。非常に都合がいい。念のため、膨らんだ腹に突き刺さるように、包丁やハサミをばらまいた。
 夢うつつに息苦しくなってきた。おやすみ。箱の中で。


「先生、あの患者、亡くなりました。」
「ああ。妄想のね。薬で一旦よくなって、家に帰ったはずだけど。自宅で?」
「はい。窒息死で、腹部に出血も見られましたが、外傷はありませんでした。」
「そうか……。残念だな、痴情のもつれから誇大妄想というのはよくあるが、文字通り自分が大きくなるという妄想の患者は初めてだったからね。もっと彼のことを知りたかった。」

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