みのむし

 信号で停車して、手持ち無沙汰に遠くの方を見やると、人影があった。交差点を挟んだ横断歩道の真ん中に立って、両腕を高く上げ、左右に揺らしている。逆光ではっきりとはしないが、ずいぶん小柄だ。小学生くらいの背丈をしている。しかし小学生といっても、1年生は年々小さく、6年生は年々大きくなっている気がするから、あてにはならない。
 年少の者だから、仮に少年と呼んでおいて、しかし少年と呼ぶと急に男児のような気がしてくる。少年は、私が呆然と眺めている間じゅう規則的に腕を揺らし続け、横断歩道の信号が点滅し、赤になっても、揺らし続けていた。南北を渡る車の中に、少年の方へ向かう車両はなかった。南西の方から東へ渡る車両が動き始め、同時に、少年の立っている横断歩道も動き始めた。
 ずれ始めた、と言うのが適切だろう。少年が足を乗せていた白線が左手方向に流れていって、少年の足もとは黒いアスファルトに移った。すると、少年の細い足はアスファルトの小奈落に傾き、落ち込み、そこへ流れてきた次の白線に、すっぱりと切られてしまった。少年は助けを求めるでもなく、ただ両腕を揺らし続けている。そうしている間にも少年の膝が、腹が、胸が、肩が白線に切断され、ある部位は奈落の影に見えなくなり、他の部位は横断歩道の上に滞留した。
 赤になり、青になって、私はその切断された少年の上を、最初に渡らなければならなかった。この道でなければ墓場に行けない。
 運転席からわずかに見えた少年の身体は、蓑虫のように小枝で覆われていた。
 
 墓場に到着すると、線香が鼻をつく。毎日やたらと線香をあげに来る老婆がいるのだ。一度マッチの火を枯草に燃え移らせてボヤ騒ぎを起こして、いっとき線香のにおいが薄れていたが、再び通い始めたのだろう。
 墓場に人影はなく、乾いた砂地に仏花の枯葉がまじって侘しい。墓石の群れの、どれがどの家のだか、どの家がどの家の分家だか本家だか、思い出そうとして、やめた。母は滑稽なほどよく憶えていたが、それだって見栄と習慣から記憶していたにすぎない。ここは本来無関心で面白味のない場所だ。
 車を降り、トランクを開けようと後ろに回ると、周辺に小枝の塊がいくつも落ちているのに気づいた。よく見ると、1つ1つが細い糸で繋がっており、その先に車のタイヤがある。タイヤに糸が絡みついて、引っ張ってきてしまったのだろう。空き缶をガラガラ鳴らす、新婚専用の車を連想し、状況の落差に首を振った。
 あの少年の身体だと考えることは、気が重かった。しかしそう考える他にない。足や腕の部分が見当たらないのは、きっとアスファルトの小奈落に入り込んでしまったためだろう。いや、そんな風に、あたかも側溝に鍵を落としたかのように考えてもよいものか。人間の頭部もない。だからやはり小枝の塊なのだ。蓑虫のような……あの少年は、蓑虫だったのか?
 ぼんやりと循環的に考えながら、私は絡まった糸をほどき、塊を拾い集め、恐らくこの通りだろうと思えるように積み上げていった。しかしどうやっても均衡がとれず、3つ4つと積むうちに倒れてしまう。特別平らな地面を選んで立たせてやっても、ずれる。崩れる。倒れる。
 夕暮れ時に何をやっているのだろう。墓場で蓑虫を崩し続けている。賽の河原のようだ。ひとつ積んでは母のため。また崩れた。
 
 ばらばらのままの蓑虫を抱えて、私は家に帰ってきた。どうしても捨て置くことはできなかった。塊を床に転がして、食事の支度をする。ふと思い出した。墓参りをしていないではないか。少年の身体を積むのに懸命になって、忘れていた。しかし、私は後ろめたいとは思っていないようだ。少年の身体――未だに少年と呼ぶか、蓑虫と呼ぶか、塊と呼ぶか、決めてさえいない――をこれからどうしようかと、その気持ちの方が大きかった。
 食欲がわかなかったので、夕飯は乾いたパンと、ハムと、レタスの薄っぺらいサンドイッチになった。口に含んでも味気ない。ただ便利で気安いだけの紙粘土のような食事だ。年々味覚が鈍くなっていることは気づいていた。コーヒーは泥水のように感じ、おでんの出汁はもはや雑巾の搾りかすだ。どんなに見目よく配置された食事も、同じようにつまらない味になってしまう。味と見た目がずれていく。紅茶がふくよかなにおいを立てていたとしても、それは味もそうであるとは示さない。やはりずれている。味と匂いも。
 ずれる、という解釈について私は初めて考えた。蓑虫の身体がどうしても積み重ならず、どこかのずれが全体を崩すように、私の感覚も次第に私の身体からずれていく。私も崩れていくだろうか。味覚に始まり、嗅覚を失い、視覚を、聴覚を……。
 母のことを思った。感覚と運動、認識と運動がずれていった母の姿を。私もいずれああなるのだ。話と声、顔と声色がずれ、誰が何を話しているのか分からなくなり、不安で金切声を上げてしまうだろう。その心の動きは他の人とずれているから理解もされず、けげんな顔をされて、そうして社会全体から少しずれた位置で、少しずれた死に方をする。
 
 翌日、電車に乗って再び墓へ向かった。今度は何も持ち帰らぬようにする。私が外へ出るころ、空にはすでに薄墨色の夕暮れが迫っている。電車が止まり、客を乗せ、また走り出す。がくりと電車が揺れ、立っていた私は後ろへよろめいた。
 ああ、後ろへ行くのだ。前ではなく。前に進んでいるのに私は後ろへ行く。本当は後方に向かって電車は走っているのかもしれない。乗客を前後に揺すぶり、それがだんだん速くなって、がたがた揺れる車内で、乗客は前でも後でもないところへ飛んで行ってしまう。それは過去か、未来か、電車が以前通り、また今後通る場所のどこかだ。
 今度は平穏に墓に到着し、認知症の老婆が残した線香のにおいをかいくぐりながら、母のもとへ急ぐ。予定調和を好む人だった。多分。忘れてしまったことを意識しないために、強いて最初から記憶しないようにしている。今も背後から母が近づいてきて、私のもたれる窓ガラスに手をついて、私を呼ぶような気がする。墓場に窓ガラスなどない。こんな記憶に思いを馳せるなら、昨夜の居間ででもやればいい。
 手を合わせる。へんに曲がった指だ。どうしてこんなに曲がったのか、それについてはどうでもいい。私はおそらく努力をしてきて、老年を迎え、母を看取り、もうすぐ私自身も母のようになって死ぬ。早くそこまで辿り着ければいい。長く生きればそれだけ、自身と世界との乖離に悩むことになる。こんなふうに考えるのもやめにしたい。しかし他に考えることがない。考えずにはいられない。考えている限り私は私でいられるような気がする。気がするだけだ。すでに考えていないのかもしれない。
 母への祈りは、こうして自分への懐疑だけで終わる。
 帰路、普段は飲まない缶ビールを買って、店の前で飲み、少し歩いて、吐いた。
 
 家には崩れたままの蓑虫がまだ転がっていた。彼をどうしよう。偽物の感傷を吐いた酸っぱい口内に、泥臭いコーヒーを流し込みながら少し考えた。捨ててもいい。さっそくゴミ袋を持ってきて、収めた。「燃えるゴミ」だ。燃えるのだろうか。小枝まみれなのだから燃えるだろう。袋の口を結び、冷蔵庫の横に移動させた。
 気色悪い感傷だった。ビールを吐いたことも、彼を捨てようとしている今この瞬間も。本来いらないものを手に入れて、もてあそび、案の定手に負えなくなってみっともなく処分する。恥も外聞もないのか。自分のことが他人のように腹立たしい。

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