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【活動報告】お寺でシェイクスピアを読みたいんだ!〜マクベス編〜

9/3(土),神戸大学の芦津かおり教授をお招きさせていただき、神戸市西区伊川谷町にある与楽寺というお寺で「マクベス」を読むイベントを行いました。

皆さんは,このイベントのタイトルを見て,どのような印象を抱きますか。

「お寺とシェイクスピアに何の関係が?」
「ロミジュリ,リア王,ハムレット・・・など他に有名な作品はあるのに,なぜ『マクベス』を題材に?」
「そもそもシェイクスピアの作品を読んだことがないのだけど・・・」

実際にイベントに参加された方からも、このような疑問が湧いていました。
ので・・・イベントの感想を書きつつ、次参加してみようかな、そう思う方に向けて、その参加ハードルが少しでも下がったらいいな,、と思いながら文字を連ねていこうと思います。

お恥ずかしながら私は、「マクベス」どころか「シェイクスピア」と名の付く作品に今まで触れたことがありませんでした。

少し触れたことがあるとすれば新潮文庫に『快諾シェイクスピア』という本が出ています。そこで軽く「こんな作品なのかあ」と思った程度で,
まだその頃は、シェイクスピアの作品に心惹かれてはいませんでした。

では強く興味をもったきっかけはなんだったのか。
それは松浦だるまさんの「累」という漫画が入り口でした。

演劇の世界を通じ、女性の「美醜」をテーマに描いた作品。美人女優の娘でありながら、醜い顔に生まれた淵累という女性を主人公に、他人と顔を交換する力を持つ口紅で別人になりすまし、美しい女優として脚光を浴びることの幸福と苦悩を描く。

この作品の中には,いろんな文学が出てきます。
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」とか,チェーホフ「かもめ」とか。
その中の一つに「マクベス」も取り上げられていました。

人間が運命というものに取り込まれていく様子を,作品からひしひしと感じました。
そして恥ずかしながら『今の自分の状況と似てる』そう感じました。

情報が錯綜する現代社会で,いろんな情報に踊らされている自分がいる。
平気な顔して,嘘をついて近づいてくる人がいる。

「今は幸せですか。お金の管理や時間の管理、できてますか。」

そんな社会に怒りを向ける。そうすると臆病な自分が一瞬だけ勇敢さを見せる。
人と群れることを避けていた自分が,大胆な行動を起こす。
そしていつかその場面を振り返った時に,なぜそんなことができてしまったのかと驚嘆する。無気力症になったみたいに、世界の全てが滑稽なものに見えるようになる。

そんな自分の姿を、マクベスに重ねた。
だからイベントで1つ作品を取り上げるなら、絶対に「マクベス」がいいと思った。

そうしてイベントをやると決まった時、芦津教授の「股倉から見るハムレット」をすぐに読みました。

そこには、高校の国語の教科書で出てくるような文豪や批評家とシェイクスピアの関係が書いてありました。

そして私は、こう思ったんです。

シェイクスピア作品が日本にやってきたのは、日本が西洋化しようかしまいかと奮闘していた時代。日本的(東洋的)なものと西洋的なものが互いに牙を向けあっている。夏目漱石や芥川龍之介,小林秀雄,アインシュタインや湯川秀樹,西田幾多郎や鈴木大拙。いろんな文化がせめぎ合っているように見えるけれど,お互いにうまくバランスを取り合っている。

そんな両義性と各人の葛藤を、シェイクスピアの作品を読んでいると感じました。

イベントでは30分ほど芦津教授にシェイクスピアそしてマクベスについて紹介していただきました。シェイクスピアの生い立ちだとか、時代背景だとか、当時の演劇の舞台の様子だったり。そのお話を聞くたびに、本を読んでいただけでは想像できていなかった輪郭まで捉えることができるようになりました。

その後は、マクベスの作品の内容に合わせて、各参加者の価値観を共有しあう時間を作りました。

やっぱりイベントのいいところは、自分が思いつきもしなかった問いかけが出てくるところだと思っています。

例えば
「マクベス夫人みたいな人が奥さんだったらどうする?」
という問いかけが出てきた時は、恋愛観や結婚観のような価値観の違いも引き出されるような気がして、とても面白かったです。

またシェイクスピアの他の作品を取り上げて、読書会をしていく予定ですので、その時はぜひご参加いただけたら嬉しいです。(下の公式LINEで情報発信してます)

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