会社の嫌な人 永久の弱肉強食

「現代社会というラッピングが施されていても、この世の本質はいまだ弱肉強食の世界であり、共生などとはほど遠い」

半沢直樹シリーズの最新刊『アルルカンと道化師』の中の一文です。

読んでいてこの一文が一番印象に残りました。

社会…会社はまさに弱肉強食だと常々感じます。
同じ会社の仲間でさえ、責任を逃れ、手柄を横取りして、何とか生き残る。
働いていると、こんなひどい人が世の中にはこんなにいるんだと、驚かされる事はありませんか?

たぶん、僕がこの弱肉強食の社会で、よく言えば繊細、悪く言えば単純に弱いのだと思います。
でも、そうやって肉を貪り食らう人たちを見ると、なんだか悲しくなります。悲しくなることで、自分を精神を保っているのかもしれません。
今日は、その悲しい思いの話を書こうと思います。

会社には、難しい専門性の高い仕事だけでなく、ゴミ出しとか花の水やりとかちょっとした雑務もありますよね。
僕はゴミ袋がオフィスの端に置きっぱなしになっているのが気になるので、朝出社した際に見つけたら捨てに行く事があります(僕の勤めている会社のビルでは、朝しかゴミ出しが出来ないので、夕方出たゴミ袋は朝までオフィスの端に置かれています)。

特に誰がやると決まっていない小さな仕事です。会社では、そういった誰がやってもいい仕事はちょくちょく発生しますよね。

僕は比較的早く出社するので、ほとんど人がいない時にこのゴミ出しをします。
誰かに見て欲しいとも思わないです。

ある時、Aさんという同じ部署の社員が、お昼前のみんながオフィスにいる時間にゴミ出しに行きました。

その後に僕の上司がAさんを小部屋に呼んで、何かを話していました。さらに少し後で僕は上司に呼ばれ
「Aさんばかりがゴミ出しや花の世話をしたりしている! 自分はゴミ出しをしているのか!? どうなっているんだ! 」と言われました。
僕は少し驚きましたが
「僕も朝ゴミは捨てています、というか私の方が捨てています。花の世話もしています。」と伝えました。
しかし、この上司はAさんのことをいたく気にいっていて、最初から結論ありきで話をしていました。
「自分もしているとかそういう事じゃない、他のみんなからもAさんばっっかりやっているって話が出てるんだ! 」と、語気を強めました。
僕はこういう、決めつけてかかる人は大嫌いです。しかも、一度「自分も捨てている」と反対の事を伝えているので、そこからさらに重ねての訂正もしづらいし、その時点でもうかなり怒っていて、会話のキャッチボールは出来なそうです。

確かにAさんはゴミ出しをたまにしています。ただ、ゴミを出しに行く時に「ゴミ、出してきまぁーす」とみんなに伝えていったり、みんながオフィスにいる時間に花の水やりをしていたので、上司含め何人かの意識にはそれがあったのかもしれません。
上司はとにかくAさんのことがお気に入りで、私はそれ以上説明しても仕方がなさそうだったので、今後は持ち回りなどで捨てるというような事を言って話を収めました。

会社というのは、毎日同じ人と働くので、信頼や失墜の積み重ねで、複雑な人間関係が出来上がりますよね。

ゴミ出しの話は、決めつけで話してくる上司もよくないのですが、Aさんも、何かというと「私が今この仕事をしています!!」というアピールを上司に出していて、それもあり、この叱責を受けてしまいました。
さらに、アピールだけならまだしも、誰かがミスをした時に、それを嬉々として追求して、その人の信頼を失わせるような行動をとります。
その人のいないところで、上司に、●●さん、こんなミスをしてるんですよね。困っていて…。と、本人に伝える前に上司に報連相をする。そこでさらに二人の連携が強化される。悪い事に、この上司とAさんは同じタイプで、そういう、他人のミスを追求するのが大好きです。会社には、派閥やグループのようなものがあると思いますが、この二人は同じ群れです。だから気が合うのです。

おそらく小部屋で上司とAさん二人でゴミ出しの話をした時も「なかなか他の方が気付かないので、私がやってます、私は大丈夫ですけど…。」というような事を言っているのでは、と思います。そう言った発言をしているところには、何度も出くわしているので。一人の意見だけで盲信してしまう上司も悲しいですが。出ているゴミの量から言って、Aさんだけがやっているという事には明らかにならないので、それはAさんにも分かっているはずですが「他のどなたかもやってくれていて、私も時々は捨てに行っています」とは言わないのです。
ゴミ出しという小さな雑務ですが、上司の問いに「自分がほぼやっている」と伝えて、誰でも出来る簡単な仕事も率先してやっている自分をアピールすると同時に、他の人はやっていないという構図を作り上げます。先程も書きましたが、ゴミの量から言って、自分だけが捨てているという事にならない事は、本人も分かっているはずです。それなのに、なぜかAさんしかゴミ出しをしていないと叱責される私。

Aさんはそうやって自分のポイントを上げて他人を下げて、堂々と生き残っています。
しかも誰かのミスを追求する時にはとことん追い込んで、最終的にはこのAさんが残ってしまいます。目が爛々としていて、すごく怖いです。顔には、その人の人生が出るなといつも感じます。

会社の何人かの人はこの状況が分かっていて、呆れてもいますが、会社が複雑なのは「正しさや正直さが必ず勝つ訳ではない」という点です。

弱肉強食の「強」は、正しさではなくあくまで強さなので、狡猾さや、負の強さでもなんでも、ともかくパワーのある方が残ると思います。
社会に出た方ならどなたも感じるあるあるではないでしょうか。
半沢直樹の小説では、最後は悪いやつらは半沢に懲らしめられますが、現実世界では、そうは問屋が卸さない。
Aさん一人では小さな負のエネルギーが、上司も加わりより大きなものになる。
そしてそれらは複雑な螺旋を組んで、このエネルギーを正しさで紐解くのはより難しくなる。
さらにはこの上司の上に、もっと上の何とか本部長だの他のグループ会社の力を持ってる何とかさんだの偉い人も出てきて、こちらのエネルギーをぶつけても、簡単にはじき返されて、ともすれば病気になったり、異動や転勤、出向なんて事もあり得る。
弱肉強食のサバンナで、サバンナ全員分の肉がある訳ではない。
社会全体での、勝ち組負け組のようなランク分けを、もっと小さな会社単位でもやっている。
負のエネルギーの集合体が複雑な螺旋を組みながら何度も襲ってくる。
優しさだけじゃ肉は獲れない。誰かが獲った獲物を横取りしたり、仲間だと思って一緒に休んでいるところを谷から突き落とす。
出来ればガラパゴスのような楽園へ行きたいけれど、大海原を渡る専門的で高度なスキルがない。僕の書いている優しさは、サバンナでは弱さと同義かもしれない。その優しさこそがサバンナでは負と呼ばれているのかもしれない。

熱波吹き荒ぶ黒いサバンナで、何とか家族を守るために、夜中に歯ぎしりを繰り返しながら、何とか生きている。あと、20年、30年…。
こんなことしてたら、そりゃ病気になる人も、ハゲ散らかす人もいるよな、と思います。
いつも会社にいる時に、半沢直樹のドラマのBGMが頭にかかっています。

このやりとりを負と感じること、自分はそうしたくないと思うある意味での弱さ、それを共感出来る家族や友達といる時に、この共有されている優しさで生きていたい、切にそう思います。でもサバンナでは、それは許されないのかもしれません。
そう思いながら、夜中に歯ぎしりする僕を、心配してくれる家族が横にいることを、心底幸せに思います。

会社には色んな人がいると思うので、何人かの人には、共感してもらえるかな、と思い書きました。共感するだけで、少しだけ癒される事ってありますよね。そんな記事になったらいいなぁ。

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