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車のトラブルが多い人生を送ってきました-車屋失格-⑩

深夜の山口県の国道、車は一台も
走っていない車道に自分の車が停まっていた。

今まで聞いたことのない大きな音で
さすがに寝ていた2人も起きる。

「なっ何の音!?」
「どうしたん!?」
2人は突然の事で状況が分からない状況だが
自分には今の状況が分かっていた・・・

音がする前の記憶が全くなかった。
そう運転中に”居眠り”をしてしまっていた。

まだ20歳そこらの歳だった自分は
自分の限界を勘違いしていた。

朝から起きていたこともあるので
途中で仮眠をしようと思っていたが
”まだキツくないしいける!”と
勘違いをして運転を続けていた。

その結果が居眠り運転で事故を起こしてしまった。

とりあえず車を安全な場所に停めて
自分の車の側面を見てみた。
「えっ・・・・」
デミオの左側はゴジラに引っかかれたような
傷が側面全体に広がっていた。

事故処理を終え、とりあえず走ることには問題ないので
近くのコンビニまで走ってみんなで話をした。

「あれ下手してたら助手席は危なかったよ」
そう聞くと自分が無理して運転したことに対しての
どれだけ危険だったのかを反省していた。

「この後どうする?福岡に引き返す?」
「俺は運転はできるけど・・・」

みんなでこの後をどうするかを少し話あった後
「このまま帰ったら事故を起こしただけ」
「予定通り広島に行こう!」

少し仮眠をとって広島に向かった。

さすがに事故を起こした後なので
普段より何倍も周りに気をつけて
写真撮影も無事に福岡に帰ってくることができた。

ぶつけた部分は修理の見積りをしても
学生の自分には厳しいと思いとりあえずそのまま乗ることにした。

事故のことを知らない友人に車を見られて
バカにされたり、普通に街中で走っていて
知らない人にびっくりしても次第に慣れていった。

だが自分の中で一つ事故の後から
不安に思っていることがあった。
「自分の親に知られること」であった。

自分の自宅には駐車場が1台しかなく
家から200mぐらい離れた場所にデミオを停めていた。

そのおかげか事故から数ヶ月の間は
何とかなっていたが遂に自分が恐れた日がやってきた。

授業もない休みの日に自宅に帰ると
父親が見たことのない怒りの表情で話かける
「車見たけどあれは何だ?」
「何でぶつけたことを言わなかった?」

そこからはぶつけた経緯も含めて
正直に話をした。

「ぶつけたのは自分の責任だから
 修理するかは自分で考えろ」
そう伝えられて話は終わった。

修理も考えたがやはり現実的に厳しいので
そのまま乗り続けていた。

最終的にはデミオは父親が車を買い替える話が
出たのでその時の下取り車としてほぼ価値なしの金額で
持っていってもらった。

自分が初めて乗った車は自分の事故により
たった1年足らず価値のない車に変わってしまった。

事故ばっかり起こしていた自分にも
就職をする時期がやってくる。

まさか自分があの業種につくとはこの時は
全く想像していなかった!!



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