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酒好きになり店を出したら人に騙され人に救われた話⑦

”アルバイトの皆をまとめるポジションに大学生でもなれる。”

「どうやったらなれるのだろう?」
この疑問の答え探しを始めた

”とりあえずはできる限りアルバイトに入る日を増やそう!”
当時18歳の私にはそれしか浮かばなかった。

プロ野球のホークス戦の仕事
コンサート会場での仕事
サッカーのアビスパ福岡など
様々な仕事に可能な限り詰め込んで入った。

そんなアルバイトは
ホークス戦の休憩中に
人事の方が周ってくるのがバイトの際の日課だった。

「次は、いつ入れる?嘉松、悪いけどこの日人が足りないから何とか調整できない?」

「いいですよ、予定空けときます。」

毎回即答していた。
その答えがアルバイトチーフになる近道だと思っていたからだ。

そして別の日
また、いつもの顔知れた人事の方が笑顔で寄ってくる
だいたい笑顔で寄ってくるときは人手不足の仕事場に
私を入れたいときだった。

「嘉松、すまん!この日も仕事できる?」

「いいですよ!」

その頃は、完全なるイエスマンだっただろう
そんな会話をしてくれるくらい仲良くなっていた。
その人事の方こそ、今でも付き合いのある”城本さん”だった。

城本さんに聞くのがアルバイトチーフへの
近道だと信じ、唐突にこんなことを聞いてみた。

「チーフってどうやったらなれます?」
いきなり言われた城本さんは驚いた様子だった。

後に聞いた話だと
”嘉松は率先してそういうことをやるタイプと思わなかった”
”だいたい自分からなりたいと言ってくるやつは癖の強い人間が多い”

こういう理由で驚いていたようだ。

「だいたい、現場の社員から声がかかってチーフになることが多いよ」

城本さんは明確に的確にその答えをくれた。

「どうやったら社員さんと仲良くなれるか」
この一点だけを考えてバイトをし続けた。

西日本シミズのアルバイトチーフは
「野球班」「サッカー班」「コンサート班」と主に3つに
分かれていることもわかった。
同日開催の日は分かれなければいけないからだ。


私は主に野球とコンサートメインで仕事をしていた。

そんな大学1年の夏
知らない番号から着信があった

”誰だろう?”

「もしもし?」

「おっ!嘉松?西日本シミズの石川だけど?」

西日本シミズの現場社員さんからの電話だった
普段は会社や人事からしか電話がかからないので
なんだろうと気になった。

すると開口一番、待ち望んだ答えが返ってきた。
「今度、コンサートチーフやってみらん?」

待ち望んだ質問が大学1年の夏に聞けるとは
思っていなかった。


「はい、やります!」
即答だった。

これも後々聞くと城本さんが根回ししてくれていたらしい。
現場社員の中では
「嘉松、誰それ?」という認識を
城本さんが社内でチーフにさせるよう根回ししてくれていたのだ。


それから、長崎から出てきた若干18歳が
アルバイト60名位を束ねるポジションについた。

そして、大学2年の春には
学生バイトで唯一、コンサートと野球の
チーフを兼任させてもらえるようになったのだ。

一部の社員さんや先輩から「嘉松世代」と言われるようになっていた。



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