「明治時代から」
これは明治時代の授業の風景です。
こちらは令和の授業の風景です。
何も変わっていません。
以前,研修か何かでこの話を聞き,考えさせられました。
今日は変わらない理由について考えてみようと思います。
①「制度の問題」
「誰のせい」という話ではなく,学校そのもののシステムが明治時代からあまり変化していないことが挙げられます。
・大勢の子供達に1人の担任
・前向きの机
まずここが100年変わっていません。
となると昔ながらの「一斉授業」,チョーク&トークを最適解と捉える教員が多いのも仕方ないのかなと思います。
②「忙しすぎる学校」
これもよく言われる話,教師のブラックな労働環境です。
個人的には自分に負荷がかかり過ぎないように勤務時間等のコントロールをしています。ボクシングの時間も取らなくてはいけないので。しかし,工夫を凝らしても月の残業は45時間程度,国のガイドラインを超えることの方が多いです。いや,学校のPCでの勤務管理は休憩時間が抜かれているので毎月実際はガイドラインを超えています。
かなり切り捨てながら仕事をしていてもこの勤務時間なので,キャリアが浅かったり,真面目に全てをこなそうとしたりする教員の多忙感は計り知れません。
この中で「変化しよう」といっても「無茶言うな」という教員が多いのも納得です。
③「とはいえ・・・」
これで終わってしまうと
「じゃあ変わらなくても仕方ないね」
という何の価値もない結論で終わってしまいます。色々な背景があるとはいえ
「そもそも変わろうとしない教員」
が多いのも事実です。何か新たな視点を投げると
・今までやっていないけど・・
・他の学年と合わせなきゃ
と,つまらない事を言ってくる教員の多い事。
「変わろうとしない教員」
は今のシステムに満足している「体力お化け」
が多く,その人達が下の世代を育成しているので,結果
「一生変わらないスパイラル」
になってきているような感じがしています。まずい傾向だなと思います。
④「足掻き」
文句を言って終わりというのも芸がないので最後に私がやっている「足掻き」
を少しだけ紹介します。
など,今の枠組みを「少しだけ」飛び越える。そしてそれを「伝える」という事を繰り返しています。
別に凄い事なんて思いつきません。でも何とか時代の流れには乗っていきたいです。
⑤「最後に」
この仕事をしていて最も嫌になる瞬間は
・極端な現状維持
・スピード感の無さ
です。この2つが嫌だからこそ自分は
・変化を続ける姿勢
・スピード感を持つ
ことを常に頭のどこかに置いておきたいです。明治時代から少し進んだ教室とはどんなものかを探っていきたいです。
お読みいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?