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「言われるうちが華」という話

特に経験年数が浅い先生に伝えたいことがある。
「言われるうちが華」という言葉だ。
ぜひ、ちょっとだけ耳を傾けてほしい。



経験を重ねてきて、最近強く思うことがある。

「言われるうちが華」だということ。

かんたんに言うと、注意してもらえる内はありがたいから素直に聞いた方がいいよということだ。



「はいはい、偉そうに自分を正当化したいからそういうこと言うんでしょ。そういう昔っぽい話ニガテなんだよね」と思う気持ちは痛いほどよくわかる。


けれど、少し聞いてほしい。



1〜3年目の時、よく僕をみてくれた先輩がいた。
10個くらい上の人だ。


その先輩は僕のことをよく気にかけてくれた。
学級経営や授業で僕が困っていると、
ご飯に連れ出しては親身に相談に乗ってくれた。


僕が間違った教育をしたり、子供や同僚に失礼なことをしたり、またあまりに非効率なことをしている時には、先輩にこっそり呼ばれて叱られもした。


「あのやり方じゃ保護者は不信感をもつぞ」なんて。


当時の僕は正直、それが嫌だった。
その先輩のそこだけが嫌だった。
「なんで僕のこだわりも知らないで、そんなに間違いを指摘してくるんだろう。」


当時の僕は、ろくに経験も実績もないくせに小さなプライドだけは一丁前に持っていて、先輩の話を聞き流す時もあった。




けれど、数年経って
「言われるってありがたいことだ」と感じるようになった。



たとえばこんなことがあった。

1年目に運動場で体育の授業をした時。

僕は、子どもを集めて話をしていた。
太陽が僕の背中側にある。
子どもたちは、太陽の光を顔に受けてまぶしそうだった。
けれど、そんなことはちっとも気にせず僕は話を続けていた。

その様子を見ていた先輩は放課後、僕にこう言う。
「あれじゃ子どもたちは眩しくて話が頭に入ってこない。子どもたちに話をするときは、教師が太陽の方を向いて話をするようにしないといけないよ」と。

正直、言われたときは
「そんなことどうでもいいじゃん」
なんて思っていた。


けれど数年経ったある日、こんなことがあった。


あるベテラン先生が僕にこう話した。
「〇〇先生さ、運動場で子どもたちが眩しそうにしているのも全然気にしないで話をしていたのよ。そんなことも考えられないなんて本当に大丈夫なのかしら。あの子は。」


話を聞いて、心にぐさっときた。
言われている先生の考えが痛いほどよく分かった。

と同時に、
陰口じゃなくて直接指摘してもらえることって、ありがたいことなんだとよく分かった。



言ってもらえる人がいるかいないかの差は大きい。


この仕事は明確な正解がない分、
どうしても独りよがりになってしまいがちだ。


けれど、間違いを指摘してくれる人がいた場合。
その時は嫌でも、その後の教師人生でその指摘はずっとあなたの力となっていく。


それを、僕は身をもって体験している。

仮に、その指摘が正しくなくても
「そういう考えもあるんだな」と思える。



僕は今、学年主任をしていて思うことがある。


正直に言って、後輩や同じ学年の先生の間違いを指摘することは嫌だ。

伝えた後の少し気まずい感じが嫌だし、
「伝えて嫌われたらどうしよう」と思うと伝える時には勇気がいるしストレスを感じる。


けれど相手の成長を願っているからこそ、間違っていることは間違っていると指摘するし「こうの方がいいんじゃないかな」と伝える。


今の時代、伝え方に気をつけないと「パワハラだ」なんて言われかねないから、伝える時は細心の注意と気を払う。


自分の得になんてならないのに。


当時の先輩も同じことを思いながら伝えてくれてたんだと、最近気づいた。
(先日、その話をしたら「今さら気づくなんて遅いわ!」と言われた)



経験年数が浅い先生には分かってほしい。
言われるうちが華だ。



今、あなたが誰かに「こうした方がいい」と言われているなら、そのうちにそれは無くなる。
そして、あとは陰で言われるようになる。「もう⚪︎年目なのに」てな具合に。



言われて心が辛くなるなら聞き流した方がいい。
時には、パワハラまがいに嫌がらせで言う人もいるだろう。

けれど、
あなたの成長を願って注意をしてくれている人もいるんだということを知ってほしい。

そしてその人をできれば大事にしてほしい。
あなたが持っているプライドを一度捨てて、耳を傾けてほしい。


僕の考えに賛否両論あるというは分かってる。
けれど、こんな考えがあるということを、頭の片隅に置いておいていただけたらと思う。

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