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小学校教師のぼくが心を病むまで

ぼくは不器用で失敗ばかりしてきた

ぼくは、世界の誰にも負けないくらい不器用な人間だ。
学校の先生になってから数々の失敗をしてきた。


簡単なもので言えば、
4月、他学年が使う予定だったノートを間違えて学級で配付し、名前を書かせ、使えなくさせてしまった。
ハードなもので言えば、
教頭先生に同行していただいて1軒1軒家庭訪問し、頭を下げて回った。


おそらく『学校の先生、失敗自慢全国大会』なるものがあれば、僕は相当な上位までいくだろう。
それほどまでに、ぼくは不器用で、数々の失敗をしてきた。

『エンジョイ』とはかけ離れたぼくの初任時代

そんなぼくだから、当然仕事も日々追われっぱなし。
いつも時間に余裕がない。


平日は、仕事が山積み。ふと気付いたら時計は22時。
休日も当然のように出勤。朝から晩まで働いた。
途中からは変なマインドになって、休日の誰もいない職員室で孤独に仕事をする自分に酔っていた。
(たぶん自分を守るために、自分に酔うホルモン的なのを脳が出していたと思う。人生で一番いらない発見だ)


帰る頃には疲れ果て、
家の駐車場に停車したと同時に、ハンドルを枕代わりに寝てしまったこともあった。
家の駐車場で車中泊をかましたのは、ぼくくらいだろう。

そんな生活だから、学級経営や授業を勉強する時間も余裕もまったくなかった。
だから、ごくごく当たり前に僕の授業はつまらなく、そして学級も落ち着きが無くなっていったのだった。


僕は、見栄っ張りだった。
そんな見栄っ張りな僕には避けたいことがあった。
それは、学級崩壊を起こすことだ。
『学級崩壊をさせたダメな教師』というレッテルがつくことが怖かった。
僕は学級崩壊をひたすらに恐れていたのだ。


勉強していないくせに、一丁前に学級崩壊だけは恐れていた初任の僕。
落ち着きがない学級の子供達にしたことは
「怒鳴る」
だった。

そう、勉強を全くしていない素人でも、一瞬その場だけは静かにさせられる最低中の最低な技術「怒鳴る」
これを連発していた。


本当にいつ思い返しても、当時のクラスの子達には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。今でも合わせる顔がない。当時を思い出すたび、ぼくは当時の子供達に心の中で謝っている。

精神的な余裕も、時間も、技術もない当時の僕は、学級崩壊はさせるまいとひたすら怒鳴る毎日を送ったのだった。

「楽しむ」「笑顔」そんな言葉は初任時代の僕には存在しなかった。

自分を苦しめたちっぽけなプライド

そんな僕も一丁前に年だけは重ねて、4年目になった。
自信なんてあるはずもない。
相変わらず余裕のない僕は、ろくに教育の勉強もせず、身近な先輩の真似をしてその場を凌いでいた。

4年目。僕は、高学年の担任になる。
一緒に組む先生は、学年主任の先生と、ぼくと同期の先生だった。
そう、僕はここで同期と同じ学年を組むことになったのだ。

これは僕にとって、一番避けたいことであった。
僕は不器用であり見栄っ張り。
そんな僕は、同期にどうしても弱みを見せられなかった。
だから、学級や授業がうまくいかなくても、学年で相談ができない。
このちっぽけでくだらないプライドが、じわじわと自分を苦しめていった。

悩みばかりが募る毎日、高学年だから当然何かしらのトラブルが起こったりするものだ。
「どうしよう」ともがくけど、それを自分の中に溜め込んでしまっていた。

挫折の兆候

兆候はあった。

運動会の時期が近づくと、僕は全校の行進練習の担当になった。
誰にも頼れず、学年団でも弱音を吐けず、
どう指導したらいいかを悩みに悩んだ。

その頃、朝起きると奥さんが僕にドン引きしていた。
聞くと、夜寝ている時、
僕は寝ながら突然立ち上がり、その場で「1、2…」と行進を始めたのだそうだ。そして、しばらくした後、「よし、これで本番いける」とだけ言って再び寝たらしい。

本気で心配され、病院の睡眠科というようなところで検査を受けた。
脳波などには全く異常なし。
お医者さんからは「ストレスのせいじゃないかな」とだけ言われた。

それからも、ストレスフルな日々は続く。
高学年、当然のようにトラブルは起きるわ、
子供からの信頼はなく、子供達から避けられ始めるわ。

朝の通勤途中が嫌で嫌で、心臓がドキドキして過呼吸気味になっていた。
「このまま事故れば学校に行かなくて済むよな」とか本気で思った。
毎朝、ラジオから流れていた番組は今でも聴くことができない。

ついに、切れた

3学期の初日。ぼくの中にあった細い細い糸がついに、切れた。
朝起きると涙が溢れ出た。
「行きたくない。行けない。行かないといけないのに。なんで、なんで自分はこんなにダメなんだ。ぼくはダメなやつだ。」
枕を抱きしめて、顔を埋めて、ひたすらに泣いていた。
隣で奥さんが心配そうに見ているのにも気づかずに、涙が枯れるまで泣いた。

当時の奥さんのお腹の中には、赤ちゃんがいた。
奥さんはこれからの未来をどれだけ悲観しただろう。
書いていて、泣けてきた。

病欠になり、教師を辞めようと思う

そうして、ぼくは3学期から出勤ができなくなってしまった。
そして病休に。
自分に絶望し、自信も失い切っていたぼくは教師の仕事を辞めようと思っていた。

そして、現在

そんな過去があったぼくだが、
2023年現在、6年の学年主任を任されるまでになり、毎日をめちゃくちゃ楽しく過ごしている。
家庭では4歳の息子と2歳の娘に恵まれた。
奥さんとは、ささやかだが毎日幸せな生活を送っている。
あの時、お腹の中にいた赤ちゃんは、今では立派なお兄ちゃんだ。

こんな未来があるとは、あの時の僕は全く予想だにしていなかった。

病休中に何があって、今の最高に楽しくて幸せな毎日があるのかは、また今度記したいと思う。

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