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素直なスポンジ教師ほど迷うこれから〜スポンジからバーテンダーへ〜

こんにちは、エンジョイ先生です。


最近、自分の発信が真面目すぎるなと思い、
ユーモアの本を買って勉強をしているぼくです。
(真面目か)


今日は、「素直なスポンジ教師が迷うほどこれから」というテーマで記事を書きました。


スポンジ教師がぶち当たる壁


新任教師のころ、
ぼくが先輩の先生や校長先生に言われたことに、
「スポンジのような人間になれ」
という言葉があります。


日々の経験や、他の先生たちの授業や学級経営のテクニックを吸収し、成長しろという意味ですね。


この言い回しを、一度は聞いたことがある方もみえるのではないでしょうか。


真面目が取り柄のぼくは、その言葉を実直に実行し、
「触れたものはすべて吸い尽くすぞ!」
なんて心意気で仕事をしてきました。


そして、教師としてのキャリアも10年目に突入。
学級経営や授業もある程度のものできるようになってきました。



例えば、算数の授業。
ある先生の板書の方法や、ある先生の発問の方法、
または本やセミナーなどで勉強した授業の方法など

いろいろなものを吸収してきたぼくは、
それらを活用して日々の授業にそんなに準備に時間をかけなくても、それとなくできるようになりました。


しかし、これはぼくが自分の中に取り入れた情報を、そのまま排出しているだけではないかと感じるようになりました。


出されたコップに、今まで吸収してきたジュースやコーヒーを出すことはできるんです。


でも、自分のメニューにオリジナルジュースの存在はない。


あくまで、自分が吸ってきた液体を出してやりくりしていることに気付きました。


素直が武器になる時代は終わった


以前は、優れた教師の板書や考え方を知るには、直接聞くか本を買ったり勉強会に行くしかありませんでした。


そうして、お金と時間を費やしてさまざまな技術を見て学び吸収していった素直な先生が「授業が上手な先生」となっていく時代でした。
(一部の天才を除いては)


教育界には「追試」という言葉がよく使われます。
これは、先人が行った授業を、その通りにやってみることです。


そうして、発問や指示、授業のリズムやテンポを身につけていく。
ある種、修行のような職人文化が教育界にありました。



ぼくも教育雑誌を読んだり、先輩の授業を見たりしては、追試をして授業の作り方を学んできました。



しかし、今では、YouTubeやInstagram、Twitterや教育サイトなどで誰でもその情報が簡単に手に入ります。


「板書」と検索するだけでも、これだけの情報がずらっと出てきます。



このように情報が誰でも簡単に手に入る時代においては、
スポンジになって情報を吸収する必要は、以前より薄くなってきたように感じます。

スポンジからバーテンダーへ


SNSなどで教育の世界を見ていると、
多くの教師が独自の方法やアイディアで授業を行っているのを見かけます。



これは、多様な情報や技術を自らが学び取り、それを組み合わせて新しい方法やアイディアを生み出しているからです。



まるで、バーテンダーがさまざまな材料を組み合わせて新しいカクテルを作るようなものです。



これからの時代、教師としての価値は「どれだけの情報を知っているか」ではなく、「どのようにそれを活用し、新しいものを生み出せるか」となるでしょう。


GIGAの波が来て、コロナの波も来て、
教育現場は昔とはガラッと姿を変えました。


今は、子供が1人1台GIGA端末を持っています。
今は、子供がネットで大人より物知りになれます。
今は、子供がプログラミングをできます。


子供の姿も変わり、教師に求められるものも大きく変わっています。

今までに教育界にあった情報や手立てだけでは、
真に子供のためにならなくなってきているのです。


だからこそ、単に情報を取り入れて排出するだけのスポンジ教師にはならず、多様な情報を組み合わせて新しいものを生み出すバーテンダー教師を目指すのがいいのではないかなと考えました。


フォローやスキ、ぜひよろしくお願いします。

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